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不真面目特務候補生の覚悟  作者: 良田めま
第三章 実地訓練
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追跡

 あまりにも突然のことで、アサヒは自分が今どこにいるのか、どっちの方角を向いているのかすら見失ってしまった。

 後ろから攻撃を受けたのかと思ったが、違う。真下から突き上げられたのだと気付いた時には、体ごと視界がぐるりと回転していた。


 緩慢にも感じられる回転の中。アサヒは決して動揺すまいと、目に力を込めて把握に努める。


(今どうなってんの!? 皆は!?)


 頬にかかる髪の隙間から見えたのは――、


 真っ黒で深い、底なしの奈落だった。


 ゾクリと背筋が凍りついた。急に浮遊感が蘇る。彼女は落ちていた。いや、落ちようとしていた。

 奈落を縁取るのは、ずらりと並ぶ三角形の牙。一つ一つが彼女の拳くらいあり、アレに食いつかれれば人間などあっという間にボロ雑巾になるだろうと予想できる。そしてそんな想像も可愛らしいと思えるくらい、絶望的な現実が目の前にあった。


 このまま落下すれば、確実に食われる。


 そうは行くかと、アサヒはゴーレムの右腕にしがみつきながら叫んだ。


「黒川!!」


 呆気に取られていたユージが、はっと目を覚ましたようにアサヒを見上げる。

 その様を視界の端に小さく捉えつつ、魔力をゴーレムの左腕に総動員する。そのせいでゴーレムの右腕からはガクッと力が抜けたが、焦燥から目を逸らすように――あるいは覚悟を決めるように――アサヒは一つのこと以外全部無視した。


「受け取れッ!」


 何を、とユージの口が動く。それが音になるより早く、ゴーレムはアサヒの命令を受け、左腕を大きく振りかぶると、その手に掴んでいたものを勢いよく投げ飛ばした。

 すなわち、ハルトの体を。

 その直後、アサヒの姿が、せり上がってきた漆黒の口の中へ呑み込まれる。


 遅れてトワが動いた。

 ガキィンと鈍い音を散らして、青白さを孕んだ刀が鯨の尾ビレを叩く。だがしかし、鯨の硬い表皮はいとも容易く刀を弾いた。【強化コーティング】が剥がれ、鈍色の粒子となって散るのを視界の端で捉え、彼は柄にもなく舌打ちした。


 ユージは混乱しながらも、ほぼ無意識に体を動かして、ハルトの落下地点へと急いだ。少しでも早く。間に合え――と、必死でハルトへ手を伸ばす。最後はスライディングする形で、地面とハルトとの間に滑り込んだ。


 鯨が、ばくんっとその大きな口を閉じたのは、ユージがハルトを受け止めたのとほぼ同時だった。


 ユージも、その腕に抱えられたハルトも、カノも。信じられないと言った風に、目を見開く。

 消えたのだ。

 目の前で、仲間が一人。

 いともあっさりと、いなくなった。


 呆然とする彼らを嘲笑うかのように、鯨は巨体をくねらせ、波立つ地面の中へ飛び込んだ。


「待て……!」


 鯨の尾ビレが地中へ消える直前、ミナセがギリギリで拘束魔法を放った。三本の鎖が尾鰭に絡みついて捕らえるが、力技で引き千切られる。ガラスが割れるような音を立てて、魔力の鎖が粉々に砕けるのを、カノやユージは絶望的な顔で見つめた。


 このまま敵を逃せばアサヒを失うと、皆、頭では分かっていた。だが、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。

 攻撃も拘束魔法も効かない。そんな奴を相手に、どうやって攻めればいいのか。

 ユージが魔法を使おうと手を掲げたが、宙をふらりと漂っただけですぐに下ろされた。敵の体内にはアサヒがいる。下手すると彼女を巻き込むかもしれないと恐れたのだ。だがそんな心配をするまでもなく、鯨の姿は見えなくなってしまっていた。


 重苦しい沈黙が、五人の間に落ちる。

 しかし、僅かな隙も見逃さないというように、耳障りな喧噪を聴覚が捉えた。

 魔物の群れが、とうとうここまで辿り着いてしまったようだ。


「教官、あれ!」

「次から次へと……!」


 軽く毒づきながら、ミナセは破壊されたビルの合間を縫ってやって来る魔物たちを睨んだ。他の生徒もそれに続いた。


 ざっと見たところ、群れを構成しているのはDランクとEランク。ちらほらとCランクも混じっているようだが、その数はDランクと比べてとても少ない。

 数は分からないとしか言いようがなかった。幅二十メートル程の道路いっぱいに広がった黒波が、続々と押し寄せてくるからだ。その有様は、恐ろしいことに本物の海のようだった。


「撤退は厳しいわね」


 行軍のスピードが早い。烏合の衆と言うには意思が統率されすぎていて、違和感さえ覚える。

 ここに留まり、交戦するしかない。

 こっちは五名、あっちは無数。常識的に考えれば、多勢に無勢だ。身体強化の魔法を掛けて逃げ続ければ合流地点までは辿り着けるだろうが、敵を都市に近づけることになってしまう。

 それでも、無手クラスであればミナセは退却を決めただろう。だけど彼らは上級クラス。それぞれが高い資質を持ち、今日の訓練内容を見る限り、下級ランク相手なら心配はない。問題は敵の数だが……。


(たぶん先輩はすぐここに来る。それまで保てばいい。百鬼なきり君なら、私がいない間も任せられるでしょう)


 ミナセはアサヒの救出に向かうつもりだった。間に合うかどうかは分からないが、道明寺アサヒという戦力を、何もせずにただ失う事態は避けたい。何より、守ると誓った生徒を守れなかったことに責任を強く感じていた。

 他に手はない。


「全員、交戦じゅ――」


 ミナセが二班に号令をかけようとした、その時。彼女の脇をすり抜けて、一つの影が飛び出した。トワだ。魔物の群れから少し離れた方へ――アサヒの端末反応がある方角へ、魔物には目もくれず走っていく。


「なっ……百鬼君! 待ちなさい!」


 ミナセは一瞬言葉を失ったが、辛うじて声の届く内に制止をかけた。が、止まる気配は微塵もない。その代わり、ミナセの耳元に声が返ってきた。


『僕がアサヒの救出に行ってきます。副教官、皆のことはよろしくお願いします』

「ちょっ……!」


 戸惑いの声は、喉の奥に呑み込まれる。ちょうど、トワの背中が、押し寄せる魔物たちの向こうへ消えていくのを見たからだった。

 トワの身を案じる感情は湧かなかった。教官としてそれはどうかと思うが、彼なら敵の屍を積み上げて進みそうな予感がしたのだ。幸か不幸か、裏切られそうにない予感である。


「ああもう! あの子は!」


 まるでやんちゃな息子か弟を持ったような気分。いやいや、息子を持つにはまだちょっと少しだけ早いから――と心の中で自分に弁明しつつ、残った生徒たちに向かって叫んだ。こうなりゃ自棄だ、やるっきゃない。


「全員、交戦準備! 東良君、動けるわね!?」

「は、はい」

「黒川君は私に続いて前へ! 七海さんと東良君は私の合図で【障壁ウォール】を唱えて。私が言った通りにするのよ。いいわね?」

「え、で、でも私――」

「い、い、わ、ね?」

「はいぃ!」


 まさに鬼気迫った顔で睨まれ、カノは泣きそうになりながら頷いた。その隣にいたユージとハルトも、とばっちりを受けてコクコクと顎を動かす。


 敵の後方でいくつかの爆発が起こった。小猿鬼インプ道化毬パックボールが、橙色の爆炎に煽られて宙を舞う。その影がくっきりと、青空に映える。

 誰の仕業かなど、言われなくても明らかだ。


(まったく、置き土産のつもり? 助かるけど!)


 今ので敵の足が少し鈍った。こちらに向かう軍勢は見えるだけで三十はくだらないが、ミナセは臆するよりも己を叱咤した。久々の戦陣。無手クラス出身と言えど、DランクやCランクに遅れを取るようでは今ここに立っていない。


 ミナセは腰のホルダーから得物を抜くと、腕をしならせてそれを振るった。

 ビシィッと、何かが破裂するような鋭い音が空気を震わせる。

 鞭だ――と、カノとユージとハルトの三人が同時に思った。予想外過ぎて言葉にならない。


「……これしか上手く扱えなかったんですよ」


 三人の物言いたげな視線に気付いたミナセが、ちょっと恥ずかしがるように唇を尖らせてそう言った。大人とは思えない可愛らしさに、ユージでもハルトでもなく、なぜかカノが頬を染める。

 ミナセはさてと気を取り直し、もう一振り鞭をしならせる。


「さあ、やりますよ! ひとまず、死なないように頑張ります!」

「はい!」


 号令なのか何なのか分からない宣言に対して、カノとユージは直立不動で威勢よく応え、ハルトも二人の声に交じるように頷いたのだった。



 * * *



 命令違反のお詫びのつもりで魔物の群れに火の玉を投げ込んだトワだったが、ありゃあ焼け石に水だな、と遠ざかる群れを眺めつつ溜め息を堪えた。混乱はさせたかもしれないが、大した障害にはならないだろう。それくらい数が多い。何体かは、トワに気付いて進路を変えたようだ。成果はそれくらいだった。


 トワが得意とする魔法分野は、広範囲火炎系だ。炎系なら何でも使えるが、狙って撃つのが壊滅的に苦手なので、自然と近接系か、狙わなくても巻き込める広範囲系に偏ってしまう。威力は高いが、集団戦闘ではちょっと使いづらい。そういった事情があり、訓練ではあまり攻撃魔法を使ったことがない。なので、クラスではそういうタイプだと見做されているようだ。


 掃除人スイーパー活動ではバンバン使っていた。殲滅には便利なものだから、敵が多くて面倒だなと思ったら、すぐ燃やす。ついでに建物も破壊してしまいがちで、ガントーから「お前は街を壊したいのか?」と苦言を呈されたことさえあった。

 周りに味方がいない今のような状況にはもってこいの能力である。ついでに言えば、ちょっとくらい建物を壊しても――たぶん――文句は言われない。


 アサヒの端末反応はまだ生きている。その事実は、アサヒの生存をも意味している。彼女が鯨に飲み込まれる直前、閉じゆく口の隙間から垣間見えたのは、ゴーレムを球体に変形させて身を守ろうとするアサヒの姿だった。

 それを見た瞬間に感じたのは、「助けなければ」という、ただそれだけだった。トワがミナセの命令に背いて飛び出したのは、半ば義務感に突き動かされてのことだ。尤もそれだけではなくて、万が一セツナ化したら二班を率いるなんて絶対無理だと思ったからでもある。だったら最初から単独行動した方がマシだ。


 問題は時間がないことだ。ゴーレムは維持するだけでも少しずつ魔力を消費していくと聞く。アサヒの魔力量は多い方だが、今日は朝から魔力を消費し続けている。中のアサヒが怪我をしていないとも限らないし、体力が保つか心配だ。もし意識を失えば、魔力の蓄えが切れた時点でゴーレムは消える。魔力が切れても体力が切れてもアウトというわけだ。


(ってかあの鯨、めちゃくちゃ速いんだけど……!)


 魔導端末のおかげで、アサヒ――鯨のいる場所は手に取るように分かる。一定距離を超えない限り、〈ミトラス〉同士で追跡可能なのだ。距離を表す数字は、さっきから減ったり増えたりを繰り返している。こっちも【活身バイタライズ】をかけて最高速度を出しているはずだが、廃墟に邪魔されて肝心の最短距離が稼げないでいる。


 不幸中の幸いは、鯨もまた廃墟によって制限を受けているらしい点だ。地面に潜れるのだから自由に移動できるのかと思いきや、さっきから地表近くを道なりに進んでばかりいる。浮上せざるを得ない理由があるのか。もしかしたら、アサヒが抵抗しているのかもしれない。

 そのアサヒへ向けて、トワは何度も呼びかけていた。


「アサヒ? アサヒ! あのさ、聞こえてるなら答えろっつーの!」


 ……静寂。端末からは何も返ってこない。


「この馬鹿! エセお嬢様!」


 トワは端的に罵った。

 この罵倒を聞いて、怒鳴り返してくればいい。

 だが、やっぱり端末の向こうは沈黙に包まれている。

 繋がってはいるのだ。しかし、一向に返事が来ない。アサヒの声が、聞こえない。


(最悪、精神魔法を食らってるってことも……)


 嫌な思考が浮かぶ。


 ハルトが精神魔法を掛けられたと分かった時点で、トワたちも自らに【抗魔レジスト】を打っていた。なので、今のところトワたちに精神魔法の影響は現れていない。逆に言えば、【抗魔レジスト】の効果が切れた時、一気に精神魔法の影響が襲って来かねない。

 アサヒは、ゴーレムを盾にすることにおそらく全力を割いている。しかし、ゴーレムでは精神魔法の盾にはならない。アサヒが精神魔法の餌食となっている可能性は、大いにある。


(何にしろ、応えてくれないことにはどうにも――ん?)


 考えながら走っていたせいか、近付いてくる気配に気付くのが遅れた。

 ビルとビルの間の、狭い路地を駆け抜けるトワの前方に、数体の魔物が立ち塞がっている。

 Dランクの火喰蛇アラッサスと、Cランクの礫人殻エリオスギアだ。どちらも複数体いて、避けることはできそうにない。


(どうするか)


 冷静に考える。

 得意の火魔法を放つには狭すぎて両隣のビルを崩しかねないし、自分も火や瓦礫の中に飛び込むことになる。かと言って武器で対処しようにも、この数相手では一度立ち止まらなければならない。その間に、アサヒは遠くへ行ってしまうだろう。


 精神魔法には二種類ある。

 操るか、壊すか。

 どちらの場合も、抗うには【抗魔レジスト】に頼るか、人が持つ意思の強さを信じるしかない。だが、それにしたって限界がある。何十分も何時間も精神魔法の支配下に置かれ続ければ、鋼の精神力を持つ人間だっていずれは屈してしまう。


 アサヒはどうだろうか。気の強い子だとは思うが、精神的な強さとはまた別だ。

 何より、辛いに違いない。今の彼女の状況は、周りを敵に囲まれた中で孤軍奮闘しているようなものだ。

 味方は来ない。延々と、疲れ果てるまで一人で戦って、戦って。戦い続けたその先には……。



 魔物に殺されるなんて、最悪だ。残される方だって最悪だ。

 どちらも嫌だ。



 ――だったら、先に敵を殺すしかない。



 トワは喉の奥で息を止め――細く長く吐き出した後、意識を昏い水の底へと沈めた。

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