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不真面目特務候補生の覚悟  作者: 良田めま
第二章 クラスメイトたち
21/74

(二)

 龍のように身をくねらせた炎が、カノの周りをぐるりと囲んだ。彼女を餌にしようと踊りかかったビスクワームたちは、炎に焼かれて一瞬にして灰と化す。熱を帯びた風がそれらの残骸を吹き飛ばすと、辛うじて炎を免れたビスクワームがじりじりとたじろいだ。


 カノは異変に気付き、震える瞼を少しずつ持ち上げる。するとその視界に、熱風にはためく紺色の何かが映った。

 大きなコートを着た誰かが、彼女の前に背を向けて立っているのだ。


「え、だ、誰……?」


 戸惑う声を上げるが、コートの人物は答えない。

 とそこで、カノは周囲を取り囲むビスクワームの数が減っていることに気が付いた。まだまだ多くの数が生き残っているものの、さっきの比ではない。


(この人が助けてくれたの?)


 その答えに行き着くのは、ごく自然な成り行きだった。

 目を瞑り、頭を抱え、為すすべもなく食い散らかされるはずだったカノを、彼だか彼女だか分からないが、コートの人物が間一髪で助けてくれたのだ。

 じん、と熱いものが、目の奥から込み上げてきた。


 でもまだ終わったわけではない。周囲にはまだたくさんのビスクワームが残っている。コートの人物を警戒してか今は動きが鈍いけれど、いつまたさっきのように襲いかかってくるか分からない。


 じっとしていた方がいいのかもしれない。

 コートの方の手助けをしたいけれど、今の自分ではたぶん無理だ。下手に動くと足手まといになる。

 不意にコートの人物が身を翻す。それに気付いた時にはもう、カノの体はふわりと宙に浮いていた。


「へっ? うわ、きゃ――むぎゅっ」


 後頭部を包む手が、カノの顔面を自分の胸に押し付ける。そのおかげでコートの人物が男だと分かったものの、全然落ち着ける状況ではなかった。


(飛んでるっ! 飛んでるー!)


 魔法で身体を強化しているのだろう。男はカノの体を軽々と抱え、身軽に宙を舞う。

 悲鳴を上げたいのに、後頭部を押さえつけられているせいで息もできない。心臓がばくばくと音を上げ、顔を熱くしているのが自分の体温なのか男の体温なのかも分からなくなった。

 ぽつりと男が何か呟いた気もするが、もはや全く聞き取れない。

 その直後だ。激しい爆音が男の後方から轟いた。


「んぅーーー!!」


 カノは咄嗟に男の体にしがみつき、全身を縮こませた。

 こんなに大きな音を聞いたのは生まれて初めてだった。空気がびぃんと振動し、鼓膜が揺さぶられるのが分かる。

 自分の神経は図太い方だと思っていたが、そうでもなかったらしい。


(怖い――!)


 ビスクワームに囲まれた時より、もっと。


 その時、後頭部に宛てがわれた手が、すっと動いた気がした。

 撫でられていると分かったのは、手が二度三度と同じ場所を行き来したからだ。

 心臓が別の意味でどくん、と跳ねる。恐怖がどこかへ吸い込まれるように消えていき、代わりに安心感が広がってくる。

 いっときの浮遊が終わり、崩れた廃墟の屋上に足が着き、男と体が離れた後も、どこかふわふわした心地にカノは包まれていた。


「…………」


 助かった、のだろうか。ビスクワームも屋上までは追ってこないだろう。

 すごく怖い思いをしたせいか、胸のどきどきが止まらない。両手を重ねて、そこを押さえてみる。

 頬が熱いのはどういうことだろう。ショックを受けたみたいに頭がぼうっとなって、自然と目がコートの影を追ってしまうのは。

 助けてくれた男の顔が見たくて視線を上げようとした瞬間、固い手のひらがカノの頭をぐいっと押し下げた。「わっ」と声を上げて驚いている隙に、男はすたすたと彼女から離れていく。

 見上げた時にはもう逆光の中に背を向けて佇んでいる。しかも頭にフードを被っていて、輪郭すら掴めない。


「あぅ……」


 なぜだか分からないが、ひどく残念な気持ちになった。

 顔が確かめられなかったからか。拒絶されたからか。距離が遠のいてしまったからか。

 そこまで考えて、カノは全身の血が沸騰するような羞恥心を覚えた。


「あっ、あの、あ、ありがと、ございました……助けてくれて」


 恥ずかしさを誤魔化すように口を動かす。垂れた横髪を耳にかけようとして、全体的に髪がボサボサなことに気が付き慌てて手で直した。ついでに服についた埃をばんばんと払い落とし、スカートの裾を整える。そこまでしても、まだ何か足りない気がしてソワソワする。


「こんなところで何をしていた」

「へっ!? わ、私ですか!?」

「君以外に誰がいる」


 抑揚の乏しい平坦な声。良く言えば落ち着きがあり、悪く言えば冷たくて暗い。カノが受け取ったのは前者だった。


(大人っぽい……なんか良い……)


 つい、ぽーっとなってしまう。顔が拝めないならせめて声だけでも聞いていたいと、知らず耳を傾ける。


「聞いているのか」

「! はっ、はい! はい、聞いてます聞いてます!」


 どことなく怪しがる気配が伝わってきて、カノは自分の対応を後悔した。返事を二回繰り返したのはよくなかっただろうか……。


「えっと、と、友達に落とし物を探すように頼まれて、来たんです。ベリーちゃんっていうマスコットキャラのキーホルダー……あの、見てませんか? 西門の南って、ここら辺ですよね? 場所的には合ってると思うんですけど……」

「見ていない。その説明では範囲が広すぎる。闇雲に探すのは無理がある」

「ですよねー……」


 カノはがっくしと肩を落とした。自分でもそうだろうなと思っていたのだ。改めて人から指摘されると、これからどうすればいいのか余計に分からなくなる。

 やはり、このまま探し続けるのは時間の無駄かもしれない。日を改めるか、彼女にもう一度詳しい話を聞くかしないと、精神的にも辛すぎる。


(あれ? そういえば、連絡先とか聞かなかったな。待ち合わせ場所とか、時間とか……。あれ? あれれ?)


 勢いで請け負って、そのまま実家にも寄らずここまで来たのだ。早く落とし物を見つけて届けてあげたくて。

 今まで疑問にも思わなかったけど、偶然出くわした知り合いに頼むにしては難易度の高い依頼な気もする。しかも計画性なし。嫌な予感がじわじわと胸の底に広がる。


「その友達は信用するな」

「…………」

「郊外は危険なところだ。友達を向かわせるような場所でないことは、子供だって知っている」


 カノには答えるべき言葉がなかった。彼の言うことは正しい。きっと十人に聞いたら十人が同じことを言う。カノだって頼まれた時、一度は断ることを考えた。

 それでも引き受けてしまったのは、あの子の困った顔に絆されたからだ。役に立ちたい、喜んでもらいたいと思ったのだ。

 しかし今考えると、果たして彼女は本当に困っていたのだろうかと疑問が浮かぶ。偶然再会した知人に頼むのもそうだし、キーホルダーを失くして困るというのもちょっとおかしい。その割に詳しい理由は語らないし……。


「……そっかぁ。そうだよねぇ」


 また(・・)嘘を吐かれたのかもしれない。そう分かっても、カノは彼女たちを恨む気になれなかった。自分がちゃんと気付けばよかったことだ。そのためのヒントはあった。にも拘わらず二時間も廃墟をさまよい続けたのは、我ながら馬鹿だなぁと可笑しくなってしまう。


「はぁぁぁ」


 疲れがどっと押し寄せてついた溜め息に、バタバタと布のはためく音が重なった。


「……ん?」


 見るとコートの男が屋上の縁に立ち、今まさに飛び降りようとしているではないか。

 カノは慌てて男を呼び止めようと、立ち上がる。


「あの! ま、待って……」


 こちらを向こうとしたのか、肩越しにフードが少し揺れる。顔を見せてくれないのが本当に残念だ。


「その、なまえ……そう、名前! 私、七海カノって言います! もしよければあなたのお名前とご住所と好きな食べ物を教えて下さい!」


 鼓動が天高く飛び跳ねるのを感じながら、勢いに任せて言い切った。

 質問の脈絡の無さに戸惑ってか、男は振り向こうとした姿勢のまま動かない。

 そのまま十秒、二十秒が過ぎていった。

 ただひたすら、カノは待つ。何時間でも待つ。その鉄よりも固い意志を感じ取ったのか。やがて男は、低く嘆息して言った。


「……セツナ」

「! あ、ありがとうございます! で、ご住所と好きな食べ物は――あっ」


 カノが言い終える前に、男はコートを翻して廃墟の屋上から飛び降りる。

 一瞬で見えなくなったことにカノはしばし呆然としていたが、はっと我に返ると弾かれるように屋上の縁へ向かった。そこから身を乗り出して彼の姿を探そうとし、しかしすぐに別の物に目を奪われ、息を呑む。


 そこには、見たことのない景色が広がっていた。

 爆風で木は根こそぎ吹き飛び、雑居ビルは形を失い、ひしゃげた看板のようなものが窓枠に引っかかっている。さらに道路は粉々に砕かれ、下から茶色い土が顔を覗かせていた。

 ついさっきまでカノはその道を歩いていたはず。その時は、もっとたくさんの瓦礫が転がっていたように思う。それなのに、眼下の道はある意味掃除されたかのように綺麗だ。


 確かに元々廃墟だったし、人も住んでいないのだからどれだけ壊れようと困ることはないのだろうけど。

 ちょっとばかしやり過ぎなのでは、とも思うのだった……。

 敵は大群とは言え、虫型のEランク。地面をボッコボコに吹き飛ばす必要があったのかどうか。


「で、でもほら、これで敵全滅間違いなしだし。何も問題ないのだよ、何も」


 と、誰に向けたのか分からない擁護を口にする。

 それに本格的な魔法の訓練をはじめたカノには、これが熟練者の技であることが朧気ながらも伝わった。だから素直に尊敬の念が湧くのだ。

 いつか自分もこんな大きな魔法が使えるようになるだろうか。Eランクの魔物にすら勝てない自分でも。


(そうなったら、セツナさんの隣に立てるのかなぁ)


 その時は顔を見せてくれるかもしれない。何の根拠もないけど、期待を込めてカノはそう思い込むことにした。

 セツナにしてみたら迷惑かもしれない。でも、次はいつ会えるか分からないのだ。これくらいの期待は抱いてもいいじゃないかとカノは心の中で反論する。


「……私、また会うつもりでいるんだ」


 無意識にそう望んでいる自分に気付くと、何かがカチリと音を立てて嵌まった気がした。

 感じたことのない昂揚感が胸を満たしている。もどかしく切ない思いに、ふと混じる不安。

 しかし今はただ、「会いたい」という気持ちだけを抱きしめて、カノは彼がどこかにいるであろう廃墟を眺めるのだった。

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