(四)
「クロード・ウィンダリアが退学すれば、一年の全員が喜ぶんだよ。だからお前に頼んでんじゃん。お前があいつを襲撃して、あいつが反撃する。そしたらウィンダリアは晴れて退学だ。暴力は校則違反だからな」
突然出てきたかつての友人の名に、頭の中が一瞬真っ白になった。
――クロードを退学させる? ユージをけしかけて?
何が校則違反だ、お前が今やっていることは違うのか。と、叫びそうになるのをぐっと堪える。ここで自分が出て行けば、会話は中断されてしまう。まだその時ではないのだ。
ユージを追い詰めていたのは、予想以上に真っ黒な悪意だった。
もし谷中の計画を実行すれば、ユージだって学校にはいられなくなる。それどころか、貴族を襲撃した罪で即刻監獄行きだ。未来は永遠に閉ざされる。
だけど、それは谷中だって同じことだ。計画を立てた主犯として、重い罰が課せられるはず。
なのに平気な顔ができるのは、父親の権力を当てにしているからか。いや、貴族でもない警察部隊の少佐に、罪をもみ消すほどの力はない。相手が花爵家となればなおさらだ。
「たとえお前がオレのことをバラしたって問題はない。余所者を嫌ってる人間は大勢いるからな。もちろん警察にも、裁判所にだっているんだぜ。お前の言うことなんか誰も信じねぇよ」
「それ、本気で言ってるのか?」
「あん?」
愕然とした顔でユージが呟いた。胸ぐらを押さえている谷中の手を掴み返し、渾身の力で睨みつける。
谷中は一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐにうざったそうに奥歯を軋ませた。
それでもユージは退かない。退いてなるものかと、谷中の威圧を跳ね除ける。
「確かに、移民や二世は嫌われもんだよ。今まで、何度酷い目に合わされたか知れない。でもなぁ、公平に接してくれるやつだってたくさんいるんだよ。前いた基礎学校でも、お前たちの言動に顔しかめてるやつらが、たくさんいたんだよ。お前ら見えてなかったんだろ? 視野狭すぎだっつーの」
「…………」
その反抗的な目が気に入らなかったのか、谷中は一旦拘束する手を離すと、ユージの頬を力任せに張った。
勢いよく地面に転がったユージは、体を折り曲げてげほごほと咳き込む。
そんな姿を見下ろす谷中の目は、蔑みと怒りでどす黒く染まっていた。
「視野が狭い? どこがだよ。オレは皆のために考えてんだよ。一番穏便に、全員が得する展開をさ。あいつは上級クラス候補の筆頭、おまけに貴族だぜ? 第三学校に不必要な存在だ。だから、あいつがいなくなれば丁度いい。上級クラスに入れる人間が一人増えるんだからな。貴族だからって同級生に気を使う必要もなくなる。いい事尽くしだ。オレの視野のどこが狭いって言うんだよ」
「げほっ……。やっぱり馬鹿だろ、お前。一人増える? 上級クラスは人数制限なしって話だけどなっ。優秀なら選ばれる、その逆なら選ばれない。それだけだろっ」
地を這いながらも吼えるユージに対し、谷中の取り巻きはヘラヘラと嗤った。
トワは目を瞑り、頭を振った。
ここまで言っても、彼らには何も伝わらないらしい。
〈水天〉の適正者判定はザルだと、初めて思った。いくら能力値が規定に達していようが、その可能性があろうが、こんなクズに守られる世の中なら終わっているも同然だ。
「七海さん。ちょっと頼まれてくれる?」
「うん。なぁに?」
唐突な呼びかけに、カノは間髪入れずに応じた。その体はもう震えてなどいない。彼女もまた、谷中たちの身勝手さに怒りを覚えていたのだ。今あいつらの真ん中に殴り込みをかけろと言ったら、本当に殴りに行くかもしれない。そんな勢いがある。絶対言わないけど。
トワは小さく微笑んで、カノへの頼み事を口にしようとした。
――その直後に、ユージの言葉が放たれるまでは。
「それになぁっ、皆が皆、お前らみたいなどうしようもない最低のクズだと思うなよ! ほとんどのヤツは、ちゃんと一生懸命頑張ってる! 卑怯な真似して同級生を蹴落としたりなんかしねぇ! 皆必死で訓練してんだよ!! 自分のためじゃねぇ。特務兵になって、国守って、この国で生きてる家族を守りてぇんだよ!! お前らなんか、同級生に劣ること考えて怖がってる臆病者だ!」
――その叫びは、谷中たちには向かわず、一直線にトワの胸を抉った。
痛みというよりは何か途轍もなく大きな衝撃が、頭にがーんとぶち当たった。
(ああ。そうだったのか)
ユージはもう戦っているんだ。
家族を守るために、謂われのない差別から大切な人達を救うために、特務兵になろうとしているんだ。
それはもはや戦いだ。
分かっていると思っていたけど、分かってなかった。
トワは彼のほんの上辺しか見ていなかった。その姿勢を眩しいと思いながらも、何も感じ取ろうとはしなかったのだ。
大切な人を守るために、強くなること。
その気持ちが、自分には……ない。
ユージの言葉で、今初めて気付かされた。
以前、綾坂は言った。
力を伸ばしてみないか、と。
力とは、何も戦うための武力だけを指すのではない。
上級特務兵になれば、確固とした地位を築ける。そう、ユージが望んでいるように。
地位も力だ。
国にとって必要な人間であることを示せば、他に何が付随しようと戦えるはずなのだ。
実際、いざという時は、綾坂もそうやって百鬼兄妹を助けてくれようとしている。
彼がトワに勧めたのは、それと同じ力。立場だ。
しかしトワは拒絶した。正確には、恐れた。
国の中枢こそ、彼にとって恐れるべきものだから。
(僕は臆病者だ……)
ミチルを守るための力が目の前にあるのに、手を伸ばそうとも、戦おうともせず逃げていた。
行く手には険しい谷底が広がっているのかもしれない。そこには恐ろしい獣がいるのかもしれない。
それらに立ち向かう勇気も覚悟もトワにはなかった。
でも。
『……わたし、お兄ちゃんがいなくちゃ生きていけない。でもね……――お兄ちゃんはわたしがいなくても生きていける』
自分自身を切り離さなければ、兄は上手く生きていけないと考えたのか。ミチルの中で、自分はそんなに弱い兄だったか。
もう、ミチルにあんなことを言わせたくない。
(詰まるところ、僕が勝手に思い込んでいただったのか)
怯えて暮らさなければならないと。
自分たち兄妹は、異端なのだと。
本当に恐れるべきは、そんな風に考える臆病な自分の心だったのだ。
「――くん、トワくん? もう、どうしちゃったの! 私に頼み事あるんじゃないの?」
「……七海さん」
「あ、やっと気付いたぁ!」
怒ったような口調とは裏腹に、カノはほっと肩の力を抜く。深い海を思わせる瞳に安堵の色が浮かんでいるのを見て取ると、トワまでなぜか気分が落ち着いた。
「あー、えぇっと……。そうそう、頼みたいことね。思い出した」
「もー。しっかりしてよ、トワくん」
まさかカノにそれを指摘されるとは。しかし事実なので何も言えない。思わず苦笑いしてしまう。
「大した頼み事じゃないよ。教官室行って、教官呼んできて。できれば綾坂教官がいい」
カノは盛大に不満そうな顔をした。眉根を寄せ、唇を尖らせる。
「えぇ? わざわざ行くの? “こおる”使えばよくない?」
「通信、ね。あれは緊急時のみってさっき言われたばっかでしょ。殺されるって状況でもないし、僕が止めるから大丈夫だよ。ほら、さっさと行く」
「うーん……分かった」
まだ少し納得の行かない顔であったものの、カノは四つん這いで茂みから這い出ると、迷いを捨てて走り去った。
木の陰に消えていく後ろ姿を見送ると、トワは、さて、と呟きながら立ち上がる。
暴力、喧嘩は校則違反。最悪、退学処分だ。
だがこれでカノが巻き込まれることはない。
あとは自分の好きなようにやるとしよう。
ユージは一方的な暴行を加えられていた。一人はどこで拾ったのか、太い木の棒など振り下ろしている。ユージは攻撃が急所に当たらないよう体を丸めて耐えるが、食いしばった歯の間から堪えきれない苦悶の声が漏れている。
五人の内、谷中だけは仲間の背後から暴行の様子を見ていた。だからと言って、彼が何もしていないわけではない。ユージが一際痛がるところを目敏く見つけては、仲間に指示を与える。そして、ユージが高い悲鳴を上げる様を実に楽しそうな目で眺めるのだ。悪魔のように。
トワは足音を消すこともせず、堂々と集団に近づいていく。
一番近い生徒まであと十歩を切ったところで、谷中がこちらに気付いた。一瞬呆気に取られた顔をした後、我に返って口を開こうとする。しかし彼が誰何の声を上げる前に、トワはユージを蹴るのに夢中だったモーガンの肩を掴み、振り返った頬を殴り飛ばした。
「あがぁ!?」
唾液とともに鮮血が舞う。その中に、白くて小さな塊もある。
一回転してから崩れ落ちたモーガンへ、谷中たち四人の視線が注がれる。
呆気にとられ立ち尽くす彼らを、トワは冷え冷えとした目で見渡すのだった。




