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お菓子争奪戦

作者: あいうえお.

 時刻は三時を回った。


 手洗いに行くと言って部屋を出て行った長兄のつよしが、台所の方のドアからリビングに戻ってきた。


 その手はポテトチップス九州しょうゆ味のパーティーサイズの袋を掴んでいる。それをガサガサ振りながら剛は言った。

「腹減らん? これ見つけてきた」

「そがん振ったら中身の割れるやろうが」

 次兄の譲治(じょうじ)がテレビから目を逸らさずに言う。剛は彼の背後にいるのだが、音だけで判断したみたいだ。


 譲治はスーパーファミコンのコントローラーをきつく握り、時々「クソがッ」とか声を荒らげている。ぷよぷよに夢中なのだ。

「勝手に食べて良かとやろうか?」

 私は一応聞いた。私は譲治の後ろのソファに寝そべり、することもないのでテレビの画面を見つめている。

「別に良かやろ」

 無邪気に言って、剛は菓子の袋を開けようとする。

「ちょっと待てって! これの終わってから開けろって!」

 譲治はキリの良いところでゲームを終わらせた。自分も同時に食べ始めたいらしい。


 さっきまでは剛と対戦していたのだが、短気な譲治は剛がトイレに行っている間も待っていられず、一人プレイモードに切り替えてプレイしていた。

「譲治の負けてから開けてやらんね」

 私は譲治のために提案してやった。私たち三きょうだいは、互いを呼び捨てで呼んでいるのだ。

「勝ってからやろが! うっさかぞ、優子(ゆうこ)!」

 親切に言ってやったのにうるさいと言われてしまったが、反論すると余計面倒なことになるのを知っているのでスルー。


 きょうだいの中で最も寛容な剛はリビング中央のコタツ机にスナック菓子を置き、胡座をかいて大人しく終わるのを待っている。


 結局譲治は負けた。

「さっさと開けろ」

 待ってもらっていたクセに、偉そうに言う。負けたせいでイライラしているのだろう。

「ハイハイ」

 剛がやっと袋を開けた。ガシャリ。


 ビューンビュン‼︎ ガッ‼︎


 ポテトチップスに勢い良く伸びた三つの手がぶつかり合うが、勢いを弱めるなどという愚かな行為をする者はいない。


 シューガッボリボリボリボリシューガガガッ!


 兄であろうと、弟妹であろうと、容赦はない。うかうかしていると食料は全て敵の胃袋の中に収まってしまう。


 これは戦いなのだ。このリビングは戦場だ。


 今日の私は調子がすこぶる良い。

 手を伸ばす、チップスを鷲掴む、口に持って行く、咀嚼する。

 飲み込む暇もなくまた同じ動作を繰り返す。何も考えてはならない。この時ばかりは恥も外聞もかなぐり捨ててポテチ掴み取りマシーンと化す。


 その内口の中が大変なことになってきて牛乳の一杯でも飲みたくなるのだが、そんな悠長なことをしていると、瞬く間にチップスは空になってしまう。

「ゆうほ! ぺーふはやふぎやろ! ふはりともスホッフ‼︎」

 いきなり譲治に怒鳴られた。口いっぱいにチップスを詰め込んでいるので聞き取りにくいが「ペース速すぎ二人ともちょっと止まれ」と言っているようだ。


 私と剛は仕方なく手を止めた。さっきも書いたように、彼に逆らうと逆に面倒なのだ。今のうちに口腔内のチップスを飲み込んで次なる戦いに備える方が断然賢いやり方だ。


 譲治は部屋の隅に置いてある、もう誰も弾かなくなったアップライトピアノへ駆け寄り、その上のメトロノームを取って戻って来た。


 まさか……嫌な予感がする。


 メトロノームはうっすら埃を被っているし、左右へ揺れる棒の部分が錆び付いている。ちゃんと動くのだろうか?


 彼は埃を雑に払ってそれを目一杯遅いテンポで作動させた。♩=40くらい? 一応動くみたいだ。


 カッチ……カッチ……カッチ……カッチ……


 眠くなるようなテンポ。


「お前はこのテンポで食え」

 譲治に命令された。予感、的中。

「え⁈ 何で私だけ! 剛は?」

「年功序列」

 譲治はきょうだいの中で一番偉そうだけれど、一応兄を立てるという考えはあるようだ。


 泣く泣く私は亀みたいな速度でポテチを食べた。当然、瞬く間にほとんどを二人の兄に奪われてしまった。


 いつもこうなのだ。

 長兄の剛は私の四歳上、次兄の譲治は二歳上。そして末っ子長女の私、優子。

 それにしても両親は私たち三人の名付けをことごとく失敗していると思う。

 剛は体力がなくて風邪ばかりひいていたし、譲治は人に何かを譲るという概念が欠落している。私は特に優等生でも優しい訳でもなく、全てが平均的な人間なのだから。


 私は三人きょうだいで末っ子で女一人だから「じゃあ、家族全員にすごく可愛がられるでしょ?」と良く言われる。

 しかし現実はむしろその逆で、兄二人、主に譲治の小間使いとしての役割を担って来た。

 その上、古い考えの母には「女だから」と言う理由で台所の手伝いをさせられる。いいことなんて一つもない。生まれ変わったら男になりたいと昔は良く思っていた。男にも色々な苦労があると知ってからはその考えは消え失せたけれど。


 剛はティッシュで汚れた指を拭き、私と譲治にも一枚ずつ渡してくれた。丸めたティッシュを指し、

「これ捨てとって」

 と譲治。

「よろしく」

 と剛。

「後でね」

 私は少しの抵抗を試みた。


「また勝負しようで」

 腹ごしらえが済んだ剛と譲治は再びぷよぷよを始めた。

 スマホをいじりつつ対戦の行方を見守ろうと、私はまたソファに寝そべった。形勢は五分五分のようだ。

 が、しばらくして突然テレビ画面が白黒になり固まってしまった。


「げっ。バグりやがった」

 剛がゲームソフトを取り出して息をフーフー吹いている。ソフトを差し込んでもう一度スイッチを入れるが、画面自体が暗いままだ。

「これは完全に壊れとるね」

 剛は諦めが良い。

「勝って終わりたかったとに」

 譲治は悔しそうだ。

「いっそ壁に投げつけてみれば?」

 私は適当にアドバイスしてみた。

「お前は無責任なこと言うな」

 また譲治に怒られてしまった。が、腹が膨れたせいかそこまで強い言い方ではない。単純な男だ。


 その時ガチャリと音がして、母がリビングに顔をのぞかせた。

「わっ!」

 私たちは悲鳴を上げた。スーファミの復旧作業に夢中で、全然気付かなかった。

「あんたたち、まだ起きとっとね?」

 母は目をショボつかせながら言った


「ごめんお母さん、起こしてしもうた?」

 代表して私が謝る。

「いや、いつも起きる時間やけん。新聞ば取りに来たとよ。もう寝らんばばい、後できつかけんね」

「台所にあったポテトチップス食べたけん」

 と、剛。

「あぁ、あんたたちの食べるて思うてうたったい。言うとば忘れとった」

 そう言って母は外に出て新聞を取り、二階の寝室へと戻って行った。時刻はいつの間にか四時半になっている。


 譲治はまたゲームソフトに息を吹きかけたり振ったりゲーム本体を軽く叩いたりしていたが、

「二十年以上前のやもん。ちゃんと動く方がおかしかやろ」

 とゲームを壁際に寄せた。やっと諦めたようだ。


 剛がまた台所に行き、今度はアルコールの缶を三本持って来た。酒好きの彼が昨日たくさん買って来たのだ。コタツ机には既に十本近くのビールやらチューハイやらの空き缶が並んでいる。

「もう一本ずつ飲まん? 菓子食ったら喉乾いた」

「良かばい」

 私と譲治は同時に言った。どうせ今日も家でダラダラするだけだ。


 私たちは飲みながらさっきの母の感想を言い合った。

「お母さん痩せたね」

「来年還暦やけんね」

「年取って早起きになったとばいね」

 私たちはしばし沈黙した。それぞれ何か思うところがあるのだろう。


 それから母の還暦祝いをどうするか話し合った。久々にきょうだい間で成人した者同士らしい会話をした気がした。





 去年の秋に父が病死した。私たちは夏休みを利用して初盆の法要に参加するため帰省していた。


 昨晩、お肌のために早寝早起きをモットーにしている私は、ゲームで盛り上がる兄二人を尻目にさっさと二階で寝たのだが、いつもと違う枕のせいか夜中に目を覚ました。


 トイレに行こうと階下に降りると、呆れたことにまだ二人は飲みながらゲームを続けていた。三十過ぎの大人が血まなこになってゲームに興じている様子に「こいつら大丈夫か?」と心配になったが、彼らがちっとも変わっていないのに少し安心したりもした。


 それから自分だけのけ者にされたような気分になって、仲間に加わろうとリビングのソファーに腰掛けてチビチビ飲みながら戦況を見守っていたのだ。


 雑談し菓子を食べアルコールを飲みしている内に外が明るんできた。


 結局、私たちは徹夜してしまった。


 いい加減疲れて朝のニュース番組を見ながらソファーでまどろんでいると、床に転がっていた譲治のスマホがピロンと鳴った。彼はスマホに飛びつく。


「何? ライン?」

 私はある予感がして尋ねた。

「うん」

 譲治はスマホを操作しつつ応答した。

「女やろ〜?」 

 法事の合間もちょいちょいスマホを弄っていたので、何となくそう感じていたのだ。


「……そうたい」

 完全に目が覚めた。彼は意外に素直で、だから私は次兄のことを憎めないのだ。

「どがん人? 名前は? 年いくつ? 何ばしよる人ね⁈」

「いっぺんに聞くなって! 職場の人たい」

「職場恋愛たい。良かねぇ〜〜。おはようラインね? ラブラブた〜〜い」

  剛が仲間に加わった。これで二対一。しかし、もうラインの返信に夢中だからか譲治は答えない。


 彼は隣県の大学の水産学部に進学し、そのままその県内の造船会社に就職した。結婚したらますます会う機会は少なくなるだろう。


 送信が済んだのか譲治はスマホをコタツ机に置き、アップライトピアノを指差して剛に言った。

「何か弾いてよ」

「よかばい。選曲は任せんね」

 上手いこと逃げられた。質問攻めにしようと思っていたのに。


 剛は他県の高校で音楽の教師をしている。

 昔の母はそれなりに教育熱心で、三人とも音楽教室に通わせられた。しかし私と譲治はわずか半年で辞めてしまい、続いたのは剛だけだった。

 彼はピアノに目覚めたのかその後音大に進学、ピアノを専攻しとうとう先生にまでなってしまった。

 音楽で身を立てているのは親戚中を見渡しても彼一人だけだから、進学した当時は突然変異だと騒がれたものだ。


 そして県内に残っているのは私一人になってしまった。私は実家からJRで二時間の市の、小さな製本会社で働いている。


 剛はピアノの蓋を開け、あちこち鍵盤を押したりして「ピッチが……」とか呟いていたが、やがて軽快なリズムが流れ出した。

『だんご3兄弟』だった。


 譲治は自分が弾けと頼んだ癖に、所在ないのかまたスマホを弄り出した。でもきっとちゃんと聴いているのだろう。


 私は少し不満だった。私は女で、三男ではないからだ。それでも目を閉じて聴いてやった。


 演奏が終わり、剛がこちらに戻って来る。

「調律しとらんけん音の駄目やったね」

「そう? ようわからん」

「私も」

「お前の結婚式、これば弾いてやっけん」

 剛は譲治を見て笑った。

「まだ結婚するかわからんし」

「私もタンバリンで参加してやるばい」

「いらんことすんな。曲聞いたら眠くなった。二階でちょっと寝てくる」

 完全に逃げる気だ。

「俺も」

 剛も彼の後に続く。


「優子それ片付けとって」

 部屋から出る前に、コタツ机の上のメトロノームと空き缶と空っぽの菓子の袋とその他のゴミを顎で示し、譲治が言う。


 またこれだ。

「人使いの荒かっさ」

 私は悪態を吐きつつも、台所に袋を取りに向かった。


 泣いても笑っても、私は死ぬまで二人の妹なのであった。




ありがとうございました。

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