アトルス
「師匠、姉さんが新魔王を連れて帰ってきました。」
やかましい薄汚れたような声に叩き起こされる。眠い目を擦りながら起き上がると、助手のセルサが工房に侵入していた。リザード系の亜人で陽気なヤツである。
(朝っぱらから騒がしいな。)
「師匠、新魔王ですよ。」
(新魔王?そうか、魔王はオーディンに殺されたんだっけか。)
「師匠、シショォォォォォォォ!」
「うるさい、静かにしろ。」
「師匠が寝ぼけているから悪いんじゃないですか。それよりも新魔王ですよ。姉さんが連れて来ました。」
姉さんとはオリヴィアの事だろう。あいつも大変そうだと思う。
「で、どんなヤツなんだ?」
「ありゃ、元々人間だったようですね。金髪で、蒼い目をしていました。」
人間。
人間という言葉に反応する。今までの魔王は、魔獣や魔神といった存在だった。自分と同じ種族だと知って若干の安心感が湧く。若干だが。
「師匠、あいさつに行った方がいいですよ。てか、行きましょうよ。我ら鍛冶職人の為にも。」
「分かった、分かった。今準備するから、待っていてくれ。」
魔界では、アトルス達鍛冶職人の地位は高くなかった。そのため魔王に挨拶に行くことはよくあった。媚びを売るだけなんだが。
取りあえず、水挿しに手を伸ばす。
アトルスは水を一口飲むと大きなため息を吐いた。
まずは、釜を確認しに行く。そして、火が消えていることを確認した。昔、火を消さずに外出して、工房が火事になるという事故があった。あれ以来、寝る前と外出時には欠かさず点検をして来た。勿論、昨日の夜も確認したのだが、念には念を入れる。
次に、錬成していたアダマンタイトの状態を確認する。これも大切で、怠ると金属が劣化してしまう。
最後に、軽く工房を掃除する。(セルサに言わせれば、軽くではないのだが)
いつもは掃除しない、防具立てのほこりを軽くはらうと硬い金属質のものがガランと音を立て、床に落ちた。拾い上げてみると、王室のバッジだった。人間だった頃に、付けていた物だ。
人間。
本日二回目だ。何か馴染みがあるのだろう。
アトルスは、ふと昔のことを思い出してみる。しかし、貴族の息子だったことぐらいしか覚えていない。それと、立派な友達がいたような。
今では、魔界で鍛冶職人をやっている。魔王に拉致られたのだ。そして、師匠に修行させられ、魔界一の鍛冶屋として知られていた。もう、魔界での生活に慣れてしまい、案外悪くないとも考えている。
「そろそろ、出かけようか。」
そうつぶやいた時だった。工房の扉がゆっくりと開き、赤黒い翼を生やした人型の悪魔が現れた。悪魔が訪問してくるのは、魔界ではよくある事だが、ここまで恐ろしい雰囲気を醸し出している個体は久しぶりに見た。
アトルスは、冷静に考え、状況を把握する。かなり高位の悪魔なのでは、という結論になったので丁寧な口調で話す。高位な悪魔ほど魔界での地位は高いのだ。
「どちら様ですか?」
「ああ、まだ聞いていなかったのか。そうか......。私は、レジャック・ミスリー・ラグナロク・エッダーだ。」
どこかで聞いたことがあるような名前だった。だが、思い出せない。それでも、思い出さなければいけない重要な何かな気がした。
アトルスが黙っていると、レジャックと名乗った悪魔が再び口を開く。
「おいおい、こちらが名乗っているのに黙りこくったままとは、どういう了見だ?」
その通りである。だが、勝手に他人の工房に上がり込んでおいて言われても説得力に欠ける。まあ、怒らせても面倒なので、取りあえず名乗っておいて損はないと考え直す。
「私はアトルスという者です。本日は、どのようなご用で?」
「そうだな。魔剣を打ってもらいたくてね。それに、完全武装も欲しいしな。」
アトルスは、落胆する。
(もう、魔剣を鍛えるのは止めたんだ。丁重に断っておこう。)
「ウチでは、魔剣はやっておりません。他を当たってください。」
「そうか......。では、私が新魔王だと言っても同じことが言えるのか?」
驚愕の事実。
この悪魔が新魔王というのなら、自分はその頼みを断ったことになる。魔王の力は絶大で逆らったら最後と言われているのでその頼みを断る存在は魔界にはいなかった。。
(これは、困ったことになったな。魔王の頼みあっては......。しかし、己の誓いを破ることは出来ない。決めたのだ。もう魔剣はやらないと。)
「私は、自分の誓いを破ることは出来ません。魔剣は鍛えないと、師匠に誓いました。」
「では、その理由を聞いてもいいかな?」
「魔剣は様々な物を壊します。それは、あなた様自身もです。私たちが魔剣を鍛えても誰も幸せになりません。」
アトルスは、3年前に魔剣をめぐった戦いで起きた悲劇を実際に目撃している。魔剣を求めた低位の悪魔が高位の悪魔に喧嘩を売ったのが原因だそうだ。その戦いでは、魔剣の力に巻き込まれた住人達が大量に亡くなった。今でも、その事が夢に出てくるぐらい自分の中でトラウマになっていた。
「それは、使い方の問題だろう。壊すために魔剣を使う者もいるかもしれないが、守るために使う者もいないとは言えないぞ。」
「確かにそうですが、私には壊す者も守る者も同じ力を求める者にしか見えないのです。」
「それなら、私が守るために魔剣を使うと証明出来ればいいんだな?」
「分かりました。魔王様が守るために魔剣を使うと証明してくだされば、魔剣を打ちましょう。」
とは言った物の、そんな方法が無いのは分かっている。しかし、新魔王がどのような方法で証明をするのか気になった。
「簡潔にいこう。アトルス、これを見たまえ。」
新魔王から渡された短剣を見る。紫色に輝く刃渡りに思わず見とれてしまった。オリハルコン製だろうか。金の装飾が施してあり、かなりの逸品に思えた。
(どこかで見たような…。)
アトルスは、ハッと息を飲み込んだ。その短剣に印された紋章、それはさっき鎧立てから落ちたバッジと同じ物だった。バラバラにされたピースが順番に組み立てられたように、ある真実が見えてくる。
(レジャック...紋章...王室派...アルトリオ王国...)
レジャックと名乗った新魔王、彼はアルトリオ王国の王子で、自分の無二の親友であるあのレジャックだった。自分が最も尊敬し、自らの命に変えてでも守りたいと思っていた男だ。その英知と寛大さには、いつも驚かされていた。魔界に送られてからも、会いたかった、会いたかったあの人だった。
「久しぶりだな、アト。」
その言葉に思わず涙する。親友との再開がたまらなく嬉しかった。
「レジャぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そう叫ぶとれじゃっくから差し出された手を強く握り締めた。
◆
「酷い話だな。」
レジャックは、兄ガリグラーティーに殺された事をアトルスに話していた。
アトルスが自分の事を覚えていてくれて、心の底から安堵していた。
(これでこそ、オリヴィアの反対を押し切り、一番にアトルスの下に行った甲斐があったというものだ。しかし、よく前魔王はここの鍛冶屋のことを知っていたな。記憶の中にアトルスという人間の鍛冶職人がいるという物があって、もしや?と思って来たんだが、当たりだったな。)
「それでアト、私は守るために魔剣を使うと証明出来ていたかな?」
「ああ、勿論だ。俺が最も信頼している人だからな。それで、これからどうするんだ?地上に戻るのか?」
「そうしようと思っていたが、今は魔界を安定させる事も重要なのでは、とも思い始めた。」
「本当に、レジャーはしっかりしているな、あの頃と全く変わらない。」
あの頃というのも、10歳程度の頃、レジャックとアトルスは良く遊んでいたのだ。しかし、アトルスが何者かにさらわれ、消息不明となってしまった。このときは、本当に悲しんだのを覚えている。今、こうして再び巡り会えたのは、奇跡以外のなんでもなかった。
「レジャー、魔剣に関してなんだが、どんな金属がいい?」
「最高の物を頼む。金属にはあまり詳しくなので、お任せということで頼みたい。」
「了解だ。一週間ほどで完成させる。」
「よろしく頼んだぞ。」
再び扉から物音が聞こえる。
「オリヴィアが来たようだ。怒られてしまうかな。それでは、失礼するよ。また城で会おう。」
バーンと勢い良く扉が開く。そして、オリヴィアが入ってきた。
(赤いドレスに乱れが見える。きっと急いで来たのだろうな。)
「ご主人様、勝手な行動は困ります。探したのですよ。これから、式典の準備が御座いますので、城の方にお越しください。」
隣では、アトルスが苦笑していた。楽しんでいるようにも見える。
(少し、忙しくなるな。我が国民には、もう少し辛抱してもらおうか。)