第21話 ギリギリセーフだよね?
何から何まで真っ暗闇。
右を向いても左を向いても。
── 灼熱の ──
飛沫散るらむ病室で。
灯火明るく覚醒するなり。
「ん……うぅ……」
意識が朦朧としていた。
アルコールは一滴も口にしていない。
酒豪ではないにしても酒に強いほうであったというのに。
蛍光灯の灯りがあまりにも眩し過ぎたのか。
思わず片手で覆い隠す。
トオルは懸命に重たい身体を起こそうとした。
「……あれ? 何で寝てたんだろ……」
献血に費やしてしまったことが要因であると鑑みられる。
ただ、どこか暑さが感じられていた。
柔らかな吐息と温もりが側に寄り添っていたのである。
それはいわゆる添い寝というヤツだった。
まだ15~6と思わんばかりの容姿。
幼い顔立ちをした美少女和凛がまるで雛が親鳥を温めるようにしてそこにいたのである。
同じ布団のなかで。
「……ゴクリ……。 こ……これは、いったい……?」
思わず唾を呑み、狼狽えてしまう。
トオルは即座に下半身を確認した。
だが息子は何も答えない。
「おう。気が付いたかよ」
「うおうッ!?」
立ち上った芳しき香り。
湾岸署名物、不味いと賞される珈琲の酸味がトオルの鼻孔を擽ったのであった。
しっかりとした苦みが室内に立ち込めてゆく。
「ちょ……いつから居たんですか!? 何視てたんですか!? プライバシーの侵害じゃあないですか!! ……いや、そうじゃない。違う違う、そうじゃない。そうじゃなぁい。 ……いったいぜんたい、何がどうなったんですか? ねぇッ、教えてセンパぁイ!?」
勢いよく身を起こし、トオルはまるで何かを誤魔化すようにして先輩へと疑問を突き付けた。
かなりテンパっていたのか。
動揺は隠せない。
ただでさえ滲んでいた下着がさらに湿気を帯びてゆく。
「馬っ鹿、お前……。 気ぃ失ってたんだぞ?」
まるで感謝するのが先だろうと言わんばかりに偉ぶるユージ。
彼は普段から椅子に座る習慣が無いのか、机にどっしりと腰を掛けながら懐から取り出した煙草の先に火をくべた。
「ぷはぁ~~~」
幾つにも折り重なるような灰煙はドーナツ状に浮かび上がりプカプカと漂う。
「いや、ここ禁煙でしょ!?」
「んな、かたいこと言うなって♪」
厳しい表情でトオルはすかさず忠告したが、よく見てみるとかなり年期の入った灰皿が幾つも鎮座されていたようだ。
その灰皿には丁寧にネームプレートが貼られており、どうやらそれはここ医務室の主の名前らしかった。
つまり禁煙ではなかったということになる。
「ったく……いったいここを何だと思ってるんだよ……」
誰にも聞こえないように囁いたが、少なくとも今のトオルに言えた義理ではない。
隣で寝そべっていた和凛が無意識かもしれないが絶対に離さないようにしがみついてきたのであった。
気のせいか。
股間の方へと艶かしく掌が伸びてきたので、これ以上誤解の無いようにとトオルは優しくその手を引き離す。
「しゃあねぇなぁ……」
面倒臭そうにポリポリと頭を掻く。
決して後ろ足ではない。
見た目は犬だが、立ち振舞いは人間そのもの。
ユージは軽く灰を皿に叩き付け、経緯を掻い摘むようにして語ろうとした。
「トオル、お前……。 これから先、大変だぞ~♪」
その口振りとは真逆に。
いつになく真剣な眼差しであった。
普段のおちゃらけた様相などまるで感じられない。
ふたりの先輩刑事、どちらかといえばギャグ担当を任されるのがユージである。
ドーベルマンが固く、シェパードが緩いといった風潮はない。
だとしてもその立ち振舞いや存在感からは真剣さだけが辺りに漂っていたのであった。
ひとこと文句を言いたかったがトオルは敢えて黙りを極め込む。
話を聞かねば進まないのである。
「タカがその娘っ子の生気を吸い付くしたあと……お前、突然気を失っちまったんだぜ?」
ユージが言う娘っ子とは、今もなお温もりを欲さんとする和凛のことに他ならならない。
即ちそれは愛情なのであろうか。
真剣な話をしている最中だというのに、トオルの逞しい太股をか細い指先が淫らに撫でようとしていた。
必死に自制心を保とうとする。
性欲はもて余していたが、それはそれ、これはこれなのである。
もっこり厳守を貫くトオル。
「その娘……確か和凛ちゃんだったっけか? なんでもお偉いさんの令嬢らしいが……」
ユージは僅かにその表情を曇らせていた。
それは一連の事件の真犯人が和凛であったと言うことに過ぎない。
凶悪殺人犯、娑無すら手玉にとる魔女。
もう一方の、諸悪の根源。
真凛の仕業であったとしても過言ではなかったのだが。
今もなお健やかな寝息をたてている少女からは予想だにつかなかったのであろう。
トオルはユージから話を聞くにつれ沈痛な面持ちで、だが艶やかな額に。
和凛の緩やかな髪を優しく鋤くように撫でつけていった。
「……つまり……この娘が元凶なんですよね……」
何処か切ない素振りでトオルは呟く。
それは警察官としての立場などではなく、たった、いち個人としての意見なのであったのだろう。
「いや、話はそんな簡単なモンじゃあない」
突如、渋い表情をしたドーベルマン刑事が現れた。
「鷹野山先輩……」
いつものサングラスでなかったのが気にかかったのだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
たぶん、それはお尻で踏んでしまっても大丈夫な最新鋭のサングラスであったのだろう。
細かいところにまで手が届く。
もう、年齢を重ねてもくっきりと文字が読めるのであろう。
ハ○キルーペと銘打たれたサングラスを軽やかに外しつつ、先輩刑事鷹野山が経緯を語る。
「さっき俺のなかに流れてきた記憶や生い立ちから察するに……どうやら真犯人は家族 ── つまりは家庭環境にあったんだ」
鷹野山は接吻を交わした異性のエネルギーを奪うだけでなく、その者の生い立ちを覗くことができた。
プライバシーの侵害ではあるが相手の本心を見抜くには都合が良い。
相手が犯罪者であったならば尚更のこと。
「で……どうするよ?」
その一言に全てが詰め込まれていた。
和凛の家族は別室でかなり憔悴しきって項垂れてはいたものの、最早一縷の望みに託すしかなかったのか。
分厚い壁越しに、たった一人の軟派刑事の返答を待っていた。
もし、その答えが間違っていたのであらば即座にトオルは永久追放されていたであろう。
突如、異世界に飛ばされてしまったというのにその仕打ちはあまりにも酷い。
果たして、この世界でも神様なんて居ないのか。
裁きは刻一刻と迫ってきていた。
尻尾をピンと立たせたままタカとユージが見守るなかトオルを地獄の底へと追い詰めてゆく。
はりつめた空気が重くずっしりと載し掛かる。
「じゃあ……こんなのはどうでしょうか?」
一か八か。
思い付いた解決策を言い放った。
最早、あとには引けない。
ただ……無責任だったかもしれない。
「俺が……彼女を更正してみせます!!」
潔い。
だが、それが今後どう響いていくのか。
「じゃあ……やってみろよ」
何処か満足げな表情でユージがトオルの肩に手を掛ける。
まるで他人事のように。
続け様にタカも軽々しく言い放つ。
「結婚式には絶対呼べよ?」
ふたりが立ち去ったあと茫然とした目付きで窓の外を見上げるトオル。
既に時間はずいぶん経過し朝を迎えていた。
トオルは切なそうにポツリと呟く。
「ごめん……。 でも、ギリギリセーフだよね?」
離れた個室に後生大事に飾られた遺影はパタンと閉じる。
それは『アウト!!』と言っているかのように。
遥か先を見渡すと、真夏の代名詞がもくもくと沸き上がってゆく。
巨大な入道蜘蛛が吐き出す糸はどこまでも膨れ上がり、それはこれから続く物語を紡いでいるようでもあったのであった ── ……。
一応、今SEASONはあと一話で完結。
次回更新は来月の予定です。




