第10話 あ、ごめんね……?
相変わらずです(笑)
時を告げる蝉は既に鳴りを潜め、辺りは閑散としていた。
夕闇迫る湾岸署 ── その屋上だけを除いて。
真夏の夜の風物詩、ビアガーデン。
昼間っから呑めるところもある。
だがここはあくまでも警察署なのだ。
しかし警察官だから呑んではいけないなどという規則はない。
今や湾岸署の屋上は所狭しと賑わい、各々酒を片手に楽しんでいたようであった。
いや、そうせざるを得なかったのかもしれない。
「おぅい。こっちにもビールをくれ~」
「はい、生いっちょう!」
半ばヤケクソ気味に手渡されたがキンキンに冷やされていたグラスを煽り、一気に流し込む。
喉を鳴らしながら五臓六腑に染み渡ればなにもかも忘れてしまうものなのだ。
「ぷはーーーっ!!」
堪らず溢れる歓喜の声。
それは辺り一斉から聴こえてきた。
口許に着いた泡を綺麗に舌で拭い、更に追って喉を潤す。
汗ばむほどの暑い夜、涼をとる署員達はなんだかんだで楽しんでいた。
と ── 突然、辺りに暗闇が訪れるも会場の中心部が照らされる。
ライトアップされた特設リング。
一際目立つ巨体がそこに立ち聳えていた。
「赤コーナー……500パウンドぉぉぉ……。 大鬼の勇治郎ぅぅぅぅぅっ!!」
── わあああああッ!! ──
沸き起こる観衆。
そして遂に明かされた大鬼の名前。
勇めて、治める。
モノは言いようかもしれない。
「ういぃぃぃ……はっはーーーっ!!」
調子にのって、観客の声援に答える大鬼の勇治郎。
髭も生えていないのに、まるでどこぞのプロレスラーを彷彿させるかのアピール。
これには否が応にも観衆が盛り上がる。
どうやらほぼ全員が彼のプロレスラーのファンであるようであった。
対して、映え渡る蒼の絨毯を歩み、中央に備え付けられた特設リングに軽やかに宙を舞う巨体 ──
「青コーナー! 551パウンドぉぉぉ…………。 一角の沙夢ぅぅぅぅぅっ!!」
「 HAHAHAHAーーーHA☆」
一角の沙夢は声高らかに、快活に笑い声をあげるのであった。
キラリと輝く一本角。
だがそれはあくまでも下顎から生えた出っ歯である。
こちらは異世界であるが、どうやら現実世界に則った生物学上の構造だった。
ちなみに、イッカクの主な捕食者はホッキョクグマとシャチである。
ある意味、大鬼は正しく大敵と言えるであろう。
特に決めポーズはないのか、観衆に対して忙しなく投げキッスの嵐。
「Boo! Booーーーッ!!」
斯くしてそれは非難轟々。
ファンは一人も居ないのか、一斉に親指が降り下ろされる。
それもそのハズで、彼のせいで日常業務に支障を来しているのだから。
一部の者達は楽しんでいるようにも思えたが。
緊急召集された面々 ── 湾岸署の署員達は、付き合わされるハメになった己を悔やむ。
だが当の本人はどこかしら他人事のようにして口笛を吹いていた。
寧ろ、端から見ればそれは家族であるかのように微笑ましく。
ちんまりとした、美少年と見間違うばかりの美少女を膝の上に座らせていた。
トオルは思わず目前のゆるふわ髪を撫でる。
……俯きがちに顔を伏せる美少女、和燐。
自ら提案したものの、その厚待遇に照れは隠せない。
トオルの空いた片方の手にそうっと掌を被せ口許に悦びが浮かぶ。
やがて自然と胴元へと導かれた。
「キィィィっ!! あんの小娘ぇぇぇ……」
一部の熱狂的ファンのひとりが代表して手拭いを噛み締めている。
意外にも教育が行き届いていなかったようだ。
というか、やはりトオルはそれなりにモテているという証がそこにあった。
しかしトオルにしてみれば今はそれどころではなかった。
何故ならば ── 彼の隣には神にも等しき存在の姿があったからだ。
課長どころではない。
遥か極みの絶対的な権力が周囲に放たれる。
もふもふ感も甚だしく、見た目は可愛らしいものではあったが。
佇まいの所作にはまるで隙がなく、組まれた両腕からは即座に覇気が放れていたのである。
チベタンマスティフ ──獅子を彷彿させる毛並みと肉食獣を想わせる鋭い眼光が会場全体を見渡していた。
質素ながらも豪華なスーツは一介の刑事が着こなせるモノではない。
湾岸署の頂上に君臨する頭はすぐ隣の座席で萎縮しているトオルなどには一切構わず、意気揚々として待ち侘びていた。
どうにも、闘いが好みらしい。
「早く……始めんか……!!」
既に空っぽであったグラスは宙に浮き、僅かに紅潮した頬は酔いを示していた。
貧乏揺すりの如く震えていた片足が激しく観客席の床を叩き付けたのである。
観衆は固唾を呑む……。
同時に、審判役を買って出たユージは思わず焦ってしまった。
普段「お調子者」として振る舞ってきた彼にはまるで似つかわない。
勇猛果敢なシェパードでさえ、彼のマスティフ犬には叶わないのだろうか。
斯くして滲む汗を堪えながら、爽快な鐘の音が鳴らされたのである。
── カーーーーーン ──
開始の合図とともに猛牛は突進した。
大鬼の勇治郎。
彼は四方に貼り廻らされたロープなどには頼らずに疾風怒濤の勢いで沙夢に襲い掛かる。
そんな彼ではあるが今や年は老いさらばえ、寄る年月には勝てぬだろう。
だが決して体力の衰えなどは微塵も感じさせず、稲妻の如き目映い閃光が観客席の皆を惹き付けた。
しかしそれは徒労に終わる。
「 HAHAHAHAーーーHA☆」
巨体が鮮やかに宙に舞う。
照明は鮮烈に躯を照らしつけ、優雅に円を描く様に魅入ってしまう。
観衆は汗を掻くのも忘れ、その見事な体捌きに「ほう」と溜め息を漏らしてしまうほどであった。
「むう、流石は終世の宿敵よ。だが……ワシとてただダラダラと過ごしていたわけではないわ!!」
かつてふたりの刑事により決して裁かれることのない牢獄で封じ込まれていたクセに。
その一言には復讐を誓う念が籠められていた。
大鬼の勇治郎は一際激しく闘志を剥き出す。
「お誂え向きデ~ス!!」
覚えたばかりの日本語を唱え、沙夢は奇妙な、珍妙な構えをとる。
と同時に顕れたのは ── 幾十にも並べられた鋭い刃。
いったいどこに隠し持っていたのか。
今、彼の両手には振動音を奏でる器具。
または凶器にも成りうる存在があった。
果たして、使い途などあるのであろうか。
……それは世間一般でいうバリカンであった。
違う点とするならば、その振動する刃の長さと。
周囲を喰らい尽くさんとするばかりにけたたましい駆動音。
「……お仕置きデーーース……」
いつにも増して気合いが入る沙夢。
その角と表情からは一切の油断が消えていたのであった。
大鬼の名前、ヤバいなぁ。
とはいえ初めから決まっていたので変えません。
主人公、トオルの出番が殆ど無い件(爆)
タイトル、難儀だわぁ。
(;゜∇゜)
次回は2月23日辺りの予定です。




