第6話 ……ふぇ? ンなバカな!!
またもやカオス回(笑)
「すみませ~ん。どなたかおられませんか~?」
静けさで満たされた受付室のカウンター。
いつもなら笑顔の似合う受付嬢が配置されている筈。
確か秋田犬の女性が居たとトオルの記憶にはあった。
大きく『生活安全課』と表記されたプラカードが天井からぶら下がっている。
「っかしぃなぁ……何で誰も居ないんだよ……」
そうではなかった。
受付の机の下で鳴りを潜めていた女性。
秋田犬はそうっと顔を覗かせる。
「わっ! ビックリしたぁ……なんだ、居るじゃあないですか」
「……トオルさん……奴は居ませんか?」
「ん? 誰のこと……って、ああ。そういうことね。いや、今ンとこ見てないけど」
「ふぅ……良かった。で、何のご用でしょうか?」
彼女はゆっくりと窓越しに立ち上がり、耳をピンと立てスンスンと鼻を鳴らす。
気配に危険が無いことを察した秋田犬の受付嬢、豊かに実ったその胸元には『北条夏音』とあった。
小さめの名札に照明が突き刺さり、これ見よがしにキラリと光る。
そう、この『北条』という名前は湾岸署内では彼女を含め二人しかいない。
もう一人はというと、それは父親。
トオルにしてみれば神にも等しき存在。
フレンチブルドッグの課長。
夏音はその敬愛なる課長犬の娘なのであった。
……果たして。
違う犬種が遺伝子に託されるのだろうか?
深く考えてはいけない。
ここはあくまでも異世界なのだから。
現実世界の常識など照らし合わせてはならないのだ。
もう慣れたハズだったのだが、違和感は拭えない。
トオルは眉間に指を添えながら浅く溜め息を吐くのであった。
「あらあら、そちらは……トオルさんのお子さんですか?」
「……ふぇ? ンなバカな!!」
突拍子もない推測が暗い雰囲気を吹き飛ばす。
トオルは思わずすっとんきょうな声をあげてしまい、滲む汗が心中を物語っていたようでもあった。
かつての現実世界でも多数の女性と行為に至ったことはあるが、何れも為すべきことを成してきた。
いわゆる避妊 ── 決して欲望のままに中に出さず遺恨なきようにしてきたトオル。
況してや彼はこちらに来てから一切そのような生殖行為に至っていない。
今を思えば所構わず、桜の季節に衝撃の出逢いをした彼女 ── ベニーを抱いてしまえば良かったと後悔は募る。
乗り越えた筈の痛みが再来して胸が苦しくなり、溢れだそうとする涙を堪えるのだ。
数拍を置いて、トオルは己を取り戻す。
「……違いますよ。この子、どうやら迷子らしいんですが……」
左肩に手を添え前に出るように押しだそうとしたのだが、身を隠すようにしてさっとトオルの背後に回る和燐。
彼女はまるで人見知りのような態度で、顔を半分だけ覗かせて夏音を窺う。
「あらあら、トオルさん。相変わらずモテますねぇ~」
嫌みにも聞こえるがトオルにとっては日常茶飯事なので、照れたようにポリポリと頭を掻く。
相手は強豪。 何せ課長の娘である。
間を保ちながら、慎重に言葉を選ばなければならない。
決して引かれないように、それでいて然り気無く ──
「そりゃあ俺ですから! 引く手数多っすよ♪」
光る歯並び、格好付けた親指。
時代が時代ならウケたであろうか。
斯くして気合いは空振りする。
「 ── はぁ。やっぱりトオルさんはトオルさんでしたね……」
静まりきった室内に猛吹雪が漂い、身を潜め縮こまっていた他の署員達はより一層に肩を抱き抱えてしまった。
最早突っ込むまでもない。
寧ろ一言でも発せた夏音に盛大な拍手を送りたい。
「いやぁ、それほどでも~」
誉め言葉と受け取ったらしい。
トオルは照れた仕草をするが、それが却って夏音を半歩引き下がらせた。
「で……ご用件は……その子でしたね」
夏音は負けじと本題へと戻す。
中々に強いハートの持ち主である。
「ええっと、お嬢ちゃん。お名前をここに書いてくれますか?」
歴戦のトオルでさえ男の子だと騙せ通せたのに、初見で性別を見抜いたのは流石同性だからだろうか。
夏音は、まだトオルの背中に張り付いている和燐の表情を窺いつつ、机の上に書類を提示した。
「ほら、わりんちゃん。名前を、フルネームで書いてってさ?」
トオルは優しい眼差しを向け、上目遣いの和燐を安心させようとする。
だが突如、強引に美少女は抱き抱えられたのだ。
「うわっわっ!」
すっぽりとトオルの胸元に収まる和燐。
一気に鼓動は高鳴り、彼女は瞬時にして顔が真っ赤になってしまった。
その様子を見て何かを察したのか。
夏音はにやにやと口許を歪ませる。
「あらあら、まったく……トオルさんったら相変わらずですねぇ」
何だかんだでモテる男なのだ。
それは湾岸署内の殆どの者達が知っていた。
なので、くれぐれも引っ掛からないように先輩女子は新人に先ず「トオルには気を付けろ」と指導しているほどであった。
そんなことは露知らず。
俯きながらペンを取り、和燐は早く済ませようとして名前を素早く記入する。
次いで年齢や住所欄、家族構成なども、目を通すや否や達筆で埋め尽くされた。
やり遂げ提出したのち、トオルの腕を払い除け、和燐は再び彼の背中に張り付いてしまう。
「……あらあら、すみませんでした。私よりも年上でしたのね……」
書類を受け取り目を通す夏音は和燐に深々と謝罪した。
なんと、和燐は28歳なのであったのだ。
こっそりと顔を覗かせ舌を出す態度にはまるでそう感じさせず、あどけなさのほうが目立っていたが。
「少々お待ちくださいませ」
夏音はそう言い残し、書類を片手に作業机へと向かい、引き出しから住所録を確認する。
直ぐ様内容を確認した彼女は僅かに驚き、トオルの元へと急ぎ駆け付けるのだった。
「誠に申し訳ありませんでした!」
「……ん? なんのこと?」
それはトオルに向けられたモノではない。
ポカンと立ち尽くす彼の背中に小判鮫のように貼りつく彼女。
和燐に対する謝罪。
平身低頭して深く謝罪する秋田犬。
どうやらこの世界においては「腹を見せる」という行為は滅多に無いらしい。
「まさか……人魚族の党首、バイオレット様の御息女とは露知らず、数々の無礼。誠に申し訳ありませんでした!」
いつからここは戦国時代になったのだろうか。
隠れ、身を伏せていた面々まで勢いよく姿を現し床に額を擦り付けていたのであった。
ほどなくして和燐は言う。
「苦しゅうない。おもてをあげい」
「「「 ははーーー!! 」」」
たったひとりの美少女に屈伏される署員達。
いったい何を見せられているのか。
トオルは酷く、頭が痛くなったのであった。
─── 控えおろう ───
その者蒼き髪を靡かせ、もふもふの絨毯を往くなり。
次回は2月4日辺りの予定です。
ちなみに、丘に上がった人魚の見た目はほぼ人間と変わりありません。




