第4話 あ、ちょっと……み、耳は……
ちょい長めです。
「……ふぅ……」
足許から一気に引き摺りたくしあげる。
僅かに残った染みが痛々しい下着は解せぬようにカピカピだった。
居心地着いたトオル。
彼は一切誰の目にもつかない個室で所用を済まし落ち着きを取り戻していた。
それはもう、見事なまでに固められたティシューには何億もの遺伝子を託し。
だが、アバヨとばかりに水流と共に儚く散る。
暴発寸前だった息子は今や鳴りを潜め、平静を保っていたようだった。
そんなショボくれた逸物を仕舞い込み、艶やかな表情で便座から立ち上がるトオル。
彼は思わぬ光景を目の当たりにして、ふと動きを止めてしまう。
男性トイレの個室は頭上辺りから放たれる冷ややかな視線。
まるで一部始終を掻い摘んでいたようにして、彼は僅かに樮笑むのだ。
「トオルちゃ~ん……ナニしてんの?」
シェパードの犬種。
トオルの先輩刑事・大野下ユージは殊更に眼差しを細めては部下の行為に呆れていた。
「いや! いやいや……。 ってか、先輩こそ何してんすか、こんなとこで!!」
トオルは誤魔化すようにして、マナー違反のユージに切に訴える。
トイレの個室を覗いてはいけません、と。
ナニをしていたくせに。
だがそれはマナー違反ではない。
「いや、あのね。ちょ~いと下手こいちまってさ……」
まだぶら下がった状態のままで話を続けようとしたので、勢いよくドアを開けた。
さすれば思わぬ反撃が股間に直撃し、ユージはぎゃいんと呻き悶絶する。
冷えきったタイル床にて踞るユージを見て、トオルは「してやったり」と鼻息を鳴らしてやったのだ。
「~~~~~……っ!!」
「まったく、もう。 で、何があったんですか?」
ことを逐えた両手を洗い、綺麗さっぱりにした後にユージを引き起こす。
刹那、強烈なボディブローを喰らいそうになるもトオルは身を翻す。
柔道の有段者である面目躍如といったところか。
「……腕ぇ、上げたじゃあねぇか」
「いつもヤられっぱなしじゃあないですからネ♪」
熱い漢の視線が交差する。
手繰り寄せられた互いの掌はしっとりと濡れていた。
┌(┌^o^)┐
ややもして。
危険な雰囲気になりそうだったのだが、断つようにして轟音が響き渡りふたりは冷静を取り戻す。
微かに紅を装った頬は親愛の情なのだろう。
「HAHAHAHAーHAーーーッ!!」
日本には不似合いな笑い声を伴いつつ辺りに衝撃が放たれ、室内のふたりは思わず蹈鞴を踏んではなんとか踏みとどまる。
トオルはいったい何事かと、そろりと顔を覗かせた。
湾岸署の二階の外れに位置するトイレから。
何故にそこを選んだのかは、それは勿論誰にもバレないと踏んだからである。
犬の嗅覚は誤魔化せなかったようであるが。
遠ざかる笑い声はやがて静寂となるも、廊下の上部は天井に夥しいまでに裂痕が残されていた。
幾つもの穴が穿たれ、または一直線上に裂傷が浮かび上がる。
僅かに映る朱色は何なのだろうか。
べっとりとしたその何かは重力の法則に従い、トオルの掌に納まり告げた。
「……これって……!!」
「ああ、タカの血だろうな」
「……え? どういう事ですか? いったい全体、何があったんですか!?」
疑問で頭が一杯になり一気に捲し立てるトオルを一先ず落ち着けるようにして。
ユージは彼の両肩に手を掛け事情を説明しようとする。
「いやぁ、まさかなぁ……。 あの野郎、猫被りやがって……」
── 話は少し遡る ──
「吐けって言ってんだろーが!!」
冷たさを帯びた机に力強く叩き付けられる拳。
ふさふさ具合が何とも憎らしげに愛着を沸きだたせていた。
並べられた数々の書類が華麗に宙を舞う。
そこには凶悪殺人犯としての所業がびっしりと記されていた。
超・当人である娑夢はケロリとしてその態度を崩さず。
「知らないデ~ス♪ 何の事かサッパリ☆」
日本語分かりまセ~ン、といった風にしてシラを切通し続けていた。
その様子に煮え切らない様子で我慢できずに手を出そうとするも、ユージはトオルという前例を思い出し、食い留まる。
しかし ── 意外や意外。
壁際で冷静沈着を装っていたドーベルマンの刑事、タカが突如として豪腕を奮ったのだ。
「いい加減にしやがれ!! こちとら手前だけに構ってられねぇんだ!!」
サングラス越しに叩き付けられた殺気は、何人もの命を奪い手に掛けてきた娑夢ですら息を飲むほどに圧倒されてしまう。
タカは娑夢の胸ぐらを肉ごと掴み千切れんばかりにして。
天井へと額を擦り付けるほど高々とその巨体を持ち上げた。
「お、おいタカ! ズルいぞ!」
突っ込みどころが明らかに違う。
ユージは羨ましそうにして、短く舌を打つ。
しかし一方の被害者である娑夢は苦悶の表情を浮かべるも、突如けたたましく快活に笑い声をあげたのだ。
「 HAHAHAHAーHA!! お仕置きの時間デ~ス☆」
「「 何? 」」
ふたりの刑事は訝しげに耳をピンと立てるも間に合わなかった。
娑夢は手錠で拘束されたままの両手をタカの分厚い胸板に深く突き刺したのだ。
「ぐ……が……っ!?」
口許からも胸元からも鮮血が吐き散らかされ、取調室は朱色に染まる。
「タカ!!」
「これからが本番デ~ス☆」
タカを心配するユージを余所に、娑夢はその眼差しに残忍非道な灯火を宿す。
そして解き放つ。
「 STORM……BRINGERッ!!」
「ぐあああああああああッ!!」
取調室内にタカの絶叫が激しく木霊する。
身体を大きく震わせながら、絶え間無く注がれる衝撃に。
だが決して意識を失わないように足掻く。
「おいっ!! 手前、離しやがれっ!!」
息も絶え絶えなタカの様子に焦り、ユージは咄嗟に背後を取り、娑夢を羽交い締めにしようとする。
しがみついたまでは良かったのだが、ある一点に気付いたユージは目を見開き驚愕の表情を浮かべてしまった。
ぽっきりとへし折られていた筈の一本角。
それは下顎からぐんぐんと生えていったのである。
「HEYHEYHEーーーY☆ もっとデ~ス♪ もっともっとぉ……MENYMENYえねるぎーを寄ッ越しなッサ~イ♪♪」
「ぐあああああああああああああっ!!」
「このっ!! 止めやがれっ!! タカを放せっ!!」
必死にしがみつくも一旦は離れ、ユージは拳を殴打した。
なのに一切効いた様子がない。
それもその筈、娑夢の身体は逞しさを帯び今や鋼鉄のように頑健さを増していたのだ。
もふもふではあるもののユージは手足を ── もとい、全身を凶器と化しそこから繰り出される技の全ては極悪非道なモノである。
しかし実際のところ、その殆どはタカとの連携技であった。
虚しさだけが娑夢の巨体に叩き付けられる。
「Finishデ~~~ッス!!」
えねるぎーとやらを吸い尽くした娑夢は手錠を力づくに引き剥がし、やがて寂れた表情のタカを軽く頭上高くへと担ぎ上げる。
次の瞬間、スーツ越しに彼の身体は貫かれていた。
「ぐぼおおおうっ!!」
まるで百舌鳥の早贄のようにして、鋭い角にひっそりと聳え佇む。
辺りに夥しいまでの鮮血が放たれ、タカはそのままぐったりとして意識を失ってしまった。
「そんな……バカな……タカぁぁぁっ!!」
「お次は貴方の番デ~~~スッ☆」
不敵な笑みとはまさしくこの事をいう。
タカの返り血を一身に浴びながら、娑夢はユージへと狂喜に充ちた眼差しを向けていた。
「く……っ!!」
今も尚、伸び続ける尖角。
そこにあるタカを救い出したいのだが、如何せん。
解決策が見いだせずにいた。 熟考などする暇はない。
ユージは一先ず退却の道を選ぼうとしてドアノブに手をかける。
「逃しまセ~~~ン☆」
獲物を携えたロングホーンではなく、ショルダータックルであったのが幸いしたか。
ユージは扉ごと吹き飛ばされ、豪快に宙を舞う。
「ぐっはっ!?」
課長を含め、仕事をしていた面々はその突然の出来事に対応など出来ず。
目を点にして、描かれた放物線の美しさに心を奪われていた。
「 HAHAHAHAーHA!! 」
豪快な笑い声をして、壁ごとぶち抜き尚もユージへと襲い掛かろうとする娑夢を見てしまい、即座に身を隠すあたりは流石かもしれない。
署員達は皆各々の机の下へと縮こまる。 くわばらくわばら、と。
「~~~~~っだ!!」
そうはさせまいと器用に身を翻し、ユージは華麗に着地する。
だが場所が悪かった。
そこは課長の机の上であった。
机の下から小声で叱るフレンチブルドッグが何やらきゃんきゃん言っていたが気になどせず、ユージは中指を立てて娑夢を挑発する。
「HEY☆ かむぉ~~~ん♪」
「むッ! カッティーーーン!!」
お株を奪われたのがよほど気に触ったのか。
娑夢は辺りの机を薙ぎ飛ばしつつ闘牛のようにして怒濤の勢いで突っ走ってくる。
「おー……れいっ!!」
軽やかにしてそれを躱す様は彼の闘牛士を彷彿とさせる。
見事な体捌きを以て疾風迅雷のごとき強烈なタックルを避け、次なる机の上に華麗に着地するユージ。
先ほどのダメージは無かったのだろうか。
だが微かに血が溢るる口許がそれを物語る。
決して表情には出さずあくまでも飄々として、ユージは更に娑夢を焚き付けるのだ。
「HE~~~Y☆ お尻ペ~ンペン♪」
「 Goddamn !!」
弾道ミサイルのように吹き飛ばされる机の数々。
両手で頭を覆い隠す署員達は言葉も少なく悲鳴をあげている。
そんなことはお構いなしにユージは娑夢を挑発し続け、ようやく辿り着いた場所でくるりと彼に背を向けたのだ。
僅かに、だが深く息を吸い込む。
両手をほぼ肩幅に離して床につけ、両足を前後に開いて屈んだ姿勢をとる。
「Ready…………Goっ!!」
クラウチングスタートから放たれたユージは音速の壁を突破するが如く、一瞬にしてその場から姿を消したのであった。
「とまぁ ── そんなワケよ? 」
トイレの手洗い場で水をがぶ飲みしながら、さも思い出話かのようにして彼は語る。
しかし話を聞いていたトオルは呆れ返った様子で開いた口が塞がらないようであった。
「いや……いやいやいやいや! 鷹野山先輩、放りっぱなしじゃあないですか!?」
「そうともいう」
「何を悠長な……!!」
「でも、タカだぜ? 何とかすんじゃね?」
「いやいやいやいや! そこまでバケモノでは……」
と言うも顎に手を添えつつ過去を振り返ってみては、何だかんだで数々の武勇伝が思い描かれてしまう。
トオルは悩むも、果たしてこのままで良いのだろうかと狭い室内を徘徊していた。
「嘘だぴょん。 助けにいくに決まってんだろ?」
ユージはトオルの肩に手を回し、細やかに耳に吐息を吹き掛ける。
「あ、ちょっと……み、耳は……」
あふん、と悶えればしなやかに脇腹に拳が突き刺さった。
「冗談やってる場合じゃあねぇぞ」
アンタがやったんやないかい。
そう突っ込みたかったが、そこはぐっと堪える。
トオルは脇腹を擦りつつ耳打ちに心を傾けた。
「言いにくいんだけどぉ……」
嫌な予感しかしない。
「囮になってくんない?」
だが断ると言い切れず、トオルは損な役割を引き受けるしかなかったのであった。
次回は1月26日の予定です。




