castle of imitation
早朝、五時。朝日が部屋を潤す。新しい世界が始まる。
清美は目の疲労を感じ、瞼をきつく閉じた。勇次郎がワインを飲んで眠ってからも、徹夜で仕事を続けていたのである。
クラウドファンディングや、支援者の助けもあり、数年前から着実に資金は集まりつつあった。遊園地の立地は、総統のゴルフ場を更地にすることで話をつける。後は国に認めてもらうだけだ。国交省に伝もある。そのために清美は魔堂会にいると言っても過言ではない。
本当の正念場はここから。絶望的な戦いになるだろう。それでも今の清美には仲間がいる。
「心強いとは言いがたいですが」
勇次郎の固い頬をつついていると、清美の携帯が鳴る。非通知と表示されている。素早く手に取り、バスルームに駆け込む。
「はい……、もしもし」
緊張した面持ちですぐに電話を切り、タブレットを血眼でスクロールする。唇を噛み、夢であって欲しいと願いつつ、それはかなわなかった。
失意の中、スーツに着終え、惰眠を貪る勇次郎の額にキスをした。
「さよなら、私のヒールさん。嘘をついてごめんなさい」
それ以上、勇次郎に何も告げず、清美はホテルを出た。
「やあ、早いね。若いっていいなあ」
池の側のベンチに、四角い顔の老人が座っている。定年の余暇を過ごすかのように穏やかな風情は、朝の公園にマッチしていた。
清美は息を切らせ、老人を激しく問いつめる。
「約束が違うじゃないですか!」
A銀行、魔堂会と取引か。という見出しの記事が、今日発売の週刊誌に掲載される。清美はそれが警察からリークされたものであると、今朝知らされた。
「まあ、座りなさい。一週間前に可決された法案は知っているね?」
「テロ等準備罪のことですか」
新しく出来た法律は、組織的犯罪を未然に抑止する。つまり、怪しい活動をするための資金集めもその法律に抵触することになる。
「君たちには感謝しているよ。国内外に向けて良いデモンストレーションになった。魔堂会は我が国の平和の礎になったのだよ」
清美な納得がいかず、なお食い下がる。
「だって、遊園地は国と、魔堂会との夢の架け橋だって言ってくれたじゃないですか。あれは嘘だったんですか」
「まだそんなこと言ってるのかね。若いっていいねぇ」
老人は持っていた杖の柄を掴み、清美に抱きつくように覆い被さる。同時に、抜き身の刃で清美の胸から背中までを貫いた。仕込み杖だ。
「五年後には、東京オリンピックが開催される。不定分子は取り除かなければならん。国が決めたことだ。浄化するんだよ、全てね」
ずるりと刀を抜くと、赤黒い血が滴った。清美の耳にやさしい毒がそそぎ込まれる。
「血の色は人間と同じなんだねぇ。君の父親は最低の警察官だったよ。誇りに思いたまえ、君はその恥をすすいだんだ。安心して眠りなさい」
老人が去っても清美は目を開けたままベンチに座っていた。
因果応報かもしれない。清美は、公安警察のスパイとして数年前から魔堂会に潜入していた。国と魔堂会、二つを繋ぐ、架け橋になれればと自惚れていたのも事実だ。
もっと早くに気づくべきだったかもしれない。警察官の多く、そればかりか政治家にも魔の者を徹底的に排除しようとする過激な考えを持つ者が多いという真実に。
しかし、先ほどの彼だけは、清美の上司だけは同じ志だと信じていたのに、あっけなく裏切られた。あの男は父の上司でもあった男だ。恐らく清美の父も事故に見せかけて、同じように消されたのだろう。もはや憎しみだけが清美の体を動かす最後の原動力となっていた。
胸に潜めていた携帯が鳴る。気力を振り絞り、携帯をタッチする。
電話は勇次郎からだった。慌ただしい気配が伝わってくる。
「俺だけど。今どこだ? 事務所やばいことになってんぞ。警察のガサ入れだ。俺はこれから事務所に向かう。お前は逃げろ」
「……、ホストさんはどうするつもりなんですか」
「城を枕に討ち死にしてやんよ。総統一人じゃ可哀想だろ」
律儀なところありますねー、ビビりのくせに。からかおうとしたが、声が出せない。舌が痺れる。口からも血が次から次へと溢れてくる。まるで沼のように濁った汚い血だ。
「おい? どうした? よく聞き取れない。今どこにいるんだ」
「遊園地、今、遊園地にいるんです。楽しい」
どうしてそんなことを言ったのか、清美にもわからない。ただどうしても伝えたいことがあった。
「私たちは所詮、つまはじき者に過ぎなかったみたいです。ならせいぜい思い知らせてやりましょうよ」
「おい、何言ってんだ。大丈夫か?」
「皇さん、悪夢というのは素晴らしい。楽しい夢は一瞬。終わって欲しくても、終わらない悪夢は強い爪痕を残します」
「 おい、何を」
「貴方だけは、私のヒールでいてください。私の裸見たんですから、責任、取って下さい……」
清美の手から携帯が滑り落ちる。地面の石に当たり、大きな音がした。首が胸に着くように垂れ、そこから動くことはなかった。
勇次郎に後を託し、清美はこの世に去った。