第一包の四
「私……ある男性カメラマンが経営している撮影スタジオで働いてるんです。私が彼の下で働くきっかけになったのは、大学時代に行ったある写真展でした。そこで出会った一枚の写真を一目見るや、私、すっかり心を奪われてしまって──その写真を撮ったのが彼でした。それから、卒業後の進路を考える時期になって……カメラマンになって、私もあんな写真を撮りたいって思ったんです。念願叶って、卒業後は憧れの彼のスタジオで働くことが決まりました」
「へえ、カメラマンねえ。すごいじゃない」
「私なんかまだまだです。一年間彼のアシスタントとして勉強してきましたが、私ったらまだまだミスばかりで……。二年目になっても、彼に毎日怒られてばかりなんです」
知美はバツが悪そうに笑った。
「でも……もっと仕事を頑張らないといけないのに、彼のカメラや写真に対する情熱の方が気になってしまって……。そんな彼は私の最も尊敬する人というか、私……その……」
言葉を詰まらせながら、知美の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。リンゴのような顔になった知美を見て、あかりは「はは~ん」と笑った。
「惚れちゃったってわけね」
あかりに言葉の続きをズバリ言われてしまった知美は、戸惑いながらも沸騰した頭でコクンと頷いた。
「彼に想いは伝えた?」
脳震盪を起こすほどの勢いで、知美はブンブンと首を振った。
「いっ、いえ! そんなことできません! 彼、独身ですけど、付き合っている人や好きな人がいるかもしれないし……!」
そこまで言い切ると、知美はがくりと肩を落とした。
「第一、こんな幼稚な私なんか見向きもされないでしょうし……。それに、私に告白なんてされたら、彼だって迷惑だろうし……」
今まで共に仕事をしてきた経験上、あの男──重野が結構モテることを知美は知っていた。
傍目には、大柄で強面な姿と、興味があるのは仕事だけという素っ気無い雰囲気は、女性を近寄らせないには十分な条件を満たしているように見える。だが、重野の場合は逆で、女性から誘われているのを知美は何度も見たことがあった。それも群がってくるのが、仕事のクライアントであるモデルや女優など容姿端麗な女たちばかりだ。
今のところ、それらの誘いは全て断っているようなのだが、知美自身、見てのとおり容姿は中学生──下手すれば小学生にも見える──、仕事は失敗ばかりとあっては、知美が逆転勝利を狙えるはずがない。ライバルたちが自分よりも格段上な相手ではなおさらだ。
知美は言葉を続けた。
「私は仕事で彼の傍でカメラを学べるだけで幸せなんです。……ただ」
「ただ?」
あかりは言葉の続きを促した。知美は言葉に力を込めて口を開いた。
「ただ、一日だけでいいから、彼の恋人になりたいんです……!」
知美は手を握り締め、力強く言い放つ。
「それさえ叶ったら、私……自分の気持ちを整理できると思うんです。きっと、彼に対する気持ちをきれいに忘れることができるって……」
言葉が途切れると、知美は手を下ろし、残念そうに肩を落とした。今までの力強さはどこかに吹き飛んでいってしまったようだ。
「でも……一日だけでも彼の恋人になれる薬なんて、この世にあるわけがないですもんね……。そんなおとぎ話みたいな魔法の薬なんて……」
そして、知美はパイプ椅子をギシッと鳴らして立ち上がった。その顔には、自嘲か諦めかの笑みが浮かんでいた。
「ありがとうございました。私の変な話を聞いてくれて……」
あかりに頭を下げた知美が帰ろうと足を踏み出した──その時だった。透き通った声が静かな部屋に響き渡る。
「あるよ。一日だけ彼の恋人になれる薬」