第一包の三
知美は女に促され、カウンターの中に入った。
「わあ……私、カウンターの中に入ったのって初めてです」
いつもと違う立ち位置に少しばかりドキドキしながら、知美は店内を見渡した。狭い店内には商品棚が陳列しているだけだが、カウンターの中から見る景色だけあって一味違って新鮮だ。
「どうぞ、入って」
女はそう言いながら、知美の方に振り返った。それから、ひっそりと佇む小さな扉──薄い緑色をしたスチール製の、どこにでもある普通の扉だ──のドアノブに手をかけた。
(この奥は従業員さんの休憩所か倉庫かな……)
そう推測した知美だったが、開かれたドアの中を見て、あっと驚いた。
──扉が開けられて現れたのは、店内の四、五倍はあろうかという広さの部屋だった。そこは従業員の詰所でも倉庫でもなく、普通の部屋とは明らかに様子が違う。
部屋一面には、たくさんの長机が並べられていた。机の上にはビーカー、フラスコ、試験管、ガスバーナーなど、知美自身が小中学校の理科の実験で扱ったことのあるものから、何に使うか検討もつかないようなものまで、様々な器具がひしめき合っていた。
まるで不思議な世界に足を踏み入れたようだ。部屋に漂う雰囲気は、学校の理科室などとは訳が違う。
知美は思わず感嘆の溜息を漏らした。
「すごい……店の奥にこんな部屋があるなんて。ここ、実験室かなにかですか?」
白衣の女は、ふふっと笑って答えた。
「ここは調剤室&私のラボよ。……あ、ラボっていうのは研究室のことね」
女が得意げに言った──その瞬間だった。後について部屋に入ってきた知美の足元を見て、女は慌てて付け足した。
「あ! そこ、床気をつけて!」
「え……!?」
知美は俊敏にも女の警告に反応した。前に踏み出そうとした右足を、慌てて引っ込める。
見ると、板張りの床の一部が明らかに変色している。もし知美がここに足を置いていたら、確実に床が抜けていただろう。
「あはは……ごめん、ごめん。そこの床、腐っててさ。この部屋、ボロボロなのよ」
女にそう言われて、知美は部屋を見渡した。壁も天井も木造で、作られてからかなりの年数が経っているようだ。そういえば、一歩歩くごとに板張りの床がギシギシと音を立てている。
表の店内は新築なのに、すぐ隣の部屋は今にも崩れそうな古民家。この二つの部屋の雰囲気が真逆なのが、知美には少しおかしかった。だが、それと同時に愛着も湧いた。先ほど知美がこの部屋を不思議な世界だと思ったのは、扉を通り抜けて一昔前の世界にタイムスリップしたように感じたからかもしれない。
白衣の女は壁に立てかけてあったパイプ椅子を一つ運んで来ると、ガタガタと音を立てながら机の傍に椅子を広げた。
「どうぞ座って」
「ありがとうございます」
勧められた椅子に知美が座る向かい側で、女が知美のパイプ椅子よりも少し上等な肘付き椅子に座った。背もたれの部分にコンビニの袋がぶら下げられているところを見ると、彼女専用の椅子なのだろう。
「じゃあ……まずは自己紹介から聞かせてもらおうか」
女はすぐ横の机に手をつき、そこに顎を乗せて、ニンマリと言った。まるで女社長気分だ。
「わ、私、森崎知美と言います。歳は二十四で、カメラマンのアシスタントをやって二年目になります」
知美は緊張しながらも、仕事の面接を思い出しながら言葉をつないだ。それを聞いていた女は耳を疑った。まじまじと知美を見る。
(二十四歳……? 私とそう歳、変わらないじゃない。…………童顔なのね)
実は、知美が店に入ってきた瞬間、女は知美のことを小学生だと思った。近頃の小学生の発育の良さを考えると、そう思ったのも仕方のないことかもしれない。
今度は、女の方が自己紹介を始めた。
「私は薬剤師の紫城あかり。この薬局の店長でもあるわね」
「薬剤師……?」
その時になって初めて、知美はどうして女が白衣を着ているかに納得した。つまりは、彼女が薬剤師だからだ。今まで生きてきた中で、病院どころか、薬局にも数回市販薬を買う目的でしか訪れたことのない健康体の知美にとって、「薬剤師も白衣を着る」ことは新事実であった。
「で、どうしてこの店に来ようと思ったんだい? 何か薬が欲しかったんだよね?」
白衣の女、紫城あかりは、ニンマリとお得意の笑みを浮かべた。エメラルドグリーンの大きな瞳がキラリと光る。
「は、はい。今朝このチラシを見て、ここが職場から近かったので休憩時間に抜け出して来たんです……というのも」
そこで知美は言葉を切って、手元のチラシを見た。宣伝文句の、ある一文に目を留める。
(──あなたが本当に手に入れたい薬が見つかる……)
「あの、私が手に入れたい薬って……本当にあるんですか?」
チラシを見ながら呟いた知美に、女は笑みを崩さず、ただこう答えた。
「それはあなたがどんな薬を欲しがっているのか教えてくれないと、何とも言えないね」
あかりのその一言で意を決したのだろう。知美はごくりと唾を飲み込んでから、ゆっくりと話し始めた。