第3章
「そろそろ、ここを離れて大学へ行くことを考えてみてはどうだ、マキシム?」
夕食の席で、父が言った。私は黙って俯いた。このところ、夕食の度に父は私の進路について触れるのだった。
「そうね、母さんもそう思うわ、」母も父の言葉に頷いた、「こんな田舎にいても、仕事といえば木を伐るくらいしかないしね。おまえは他の子と違って本を読むのが好きだし、首都へ行けばおまえにもっと合う仕事も見つかると思うのよ」
「でも材木は需要があるよ。ここにいたほうが、生活は安定するかもしれない」
私は思わず反論した。私は、アルマを離れることにあまり乗り気ではなかった。
「確かにそうだが、おまえは腕力がないし樵には向いていない」
若い頃から木を伐り続け、家族を養ってきた父ははっきりと言った。私は項垂れた。自分でも、到底樵に向いていないことはよくわかっていた。父は更に言葉を続けた。
「もしこれからもアルマに留まりたいと思うなら、おまえは尚更、一度ここを離れて大学へ行くべきだ。商業を学び、材木を扱う商人にでもなれば、またここへ帰ってきて仕事をすることもできるだろう。おまえには、木を伐るよりもそのほうが向いている」
私は溜息を吐いた。自分の進むべき道について、自分でもどうしてよいのかわからなかった。ただ黙ってスープを啜る私を見て、妹がくすくすと笑いながら言った。
「私知ってる。マキシムは、どうしてもアルマを離れられないの。だって気になる人がいるんだもの」
「そんなんじゃないよ」
私は慌てて否定した。が、妹は私の僅かな表情の変化を見逃さなかった。
「あら、図星だったの」
妹はわざとらしく目を丸くして、大げさな声色で言った。
「やっぱりね。愛しい愛しいセラフィーマ、愛してるってマキシムが手紙に・・・」
「僕の手紙を読んだな!」
私はかっとして妹に掴みかかった。
「僕の部屋に無断で入るなって、いつもあれほど・・・」
「やめなさい、マキシム。大人気ない」
父の厳格な声が私を制した。
「セラフィーマのような娘と付き合うのは反対だ」
苦々しい父の表情を見て、私は思わず尋ねた。
「どうして、父さん?」
「あら、マキシムだけが知らないのよ。身を焦がす愛のために、目が曇ってしまっているのね」
妹は、生意気にもまた笑って言った。
「セラフィーマは、毎晩酒場に出入りしてるわ。どうしてあんな子がいいの、マキシム?」
「そりゃあ、セラフィーマは美人だもの」
母が口を挟んだ。
「でも母さんも、あの子は反対よ。お付き合いするなら、やっぱり身持ちの固いお嬢さんでなくてはね。それに、うちだって決して立派な家ではないけれど、お付き合いをするなら、やっぱり家庭的にもきちんとしたおうちのお嬢さんがいいわ。でないと、後々結婚なんてことになったときに・・・」
「わあ、マキシムが結婚だって!」
妹が騒いだ。
「いやだ、マキシムったら耳まで真っ赤!愛しいセラフィーマ、僕の美しいセラフィーマ・・・」
「やめろったら!」
私は食事をやめて席を立ち、母が止めるのも聞かずに大股で外へ出た。涼しい空気を求めて、私はいつもの巨木のほうへ向かった。
木の下には、こちらに背を向けたセラフィーマの姿があった。夜の始めの仄明るい青い光の中で、彼女のお下げに編んだ金髪の後れ毛、白いブラウスの膨らんだ袖、そして薄紫色に染まった赤いスカートが、微風に軽く靡いていた。セラフィーマのやや俯いた後ろ姿はほっそりと頼りなく、私は彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。
「セラフィーマ」
私は上ずった声で、彼女に声をかけた。彼女は振り返り、赤い唇を少しだけ動かして微笑した。辺りを満たす青い夕闇の中で、彼女のエメラルド色の瞳が輝いた。
「どうしたんだい、こんな所で」
「あたし、家に帰りたくないの」
セラフィーマは言った。
「君の父さんが、君をぶつからだね」
思わず言った私に、セラフィーマは首を振って答えた。
「ううん、父さんはもう、私をぶったりなんかしないわ。そのかわり、父さんは最近、母さんがいないと私の身体を撫で回すの。私はすごく嫌なんだけど、父さんが怖いの。父さんは・・・、いつも・・・、こんなふうに・・・、私を・・・」
そこまで言うと、セラフィーマは不意に私に向かい、私の両手を取った。彼女は私の手を、黒いボディスで締め上げたほっそりとした自分のウエストに当て、それから豊かな腰、鳩のように円い胸へとゆっくりと滑らせた。風に揺れる彼女の髪が匂った。こんなふうに彼女に触れたのは、それが初めてだった。脳天を突かれるような、自分が自分でなくなってしまうような衝撃が走り、私は全身が痺れていくのを感じた。甘美な陶酔と突き上げるような衝動が、同時に私を訪れた。そして私は、今まで感じたことのないその衝動のうちに、言い知れぬほどの破壊の力が秘められていることを一瞬にして悟った。セラフィーマを傷つけることを恐れ、私は思わず、彼女の手を振り払った。
怖れと興奮で息を弾ませる私の顔を、責めるようにセラフィーマは見据えた。もどかしげに叱責するような、あの燃えるような緑色の瞳だ。彼女の愛らしい面に、怒りの色が広がった。彼女はぎゅっと唇を噛み、狼狽する私をじっと見つめた。
「意気地なし!」
彼女は甲高い声で叫び、私の胸をその手で突いた。不意を食らった私は、もんどりうってその場に倒れた。倒れた私の目には、ただ走り去る彼女の後ろ姿が小さくなっていくのが、草の間に映るのみであった。