真昼の旋律
白い鍵盤に、そっと細い指がおかれる。
刹那、強く重い、悲しい旋律。
ベートーベンのソナタ悲愴第一楽章だ。
繊細な十六分音符の羅列、そしてなんともいえない力強さ。
私の意識は曲の中をただよう。
雨上がりの霧の中を歩いているような、ふわふわした不思議な感覚は、うっとりするほど甘い。
流れるようになめらかな指先で、軽やかなスタッカートを刻む。
私の心も躍りだす。
好きで、好きで、しかたがない。
ピアノを弾く事が、辛い現実から逃げられる唯一の時間だった。
鍵盤をたたいている時だけの、限りある魔法。
でも、私は知っていた。
魔法はいつも決まって、いいところで終わってしまうことを。
私が昼休み、音楽室でピアノを弾いて過ごすのには理由がある。
3ヶ月前、お父さんが事故をおこして人を殺した。
ハンドルをきりそこねたお父さんの車は、ブレーキを踏む事もなく、あっけなく歩道につっこんだ。
お父さんは腕の骨を折ったくらいで済んだものの、歩道を歩いていた女性は、即死だった。
それから一変した、私の毎日。
お父さん、そして家族にむけられる冷たい視線。
友達なんて、1人もいなくなった。
冷たくなった友達達は、私のことが邪魔でしかたがないようだ。
……当然のことなのかもしれない。
誰も、殺人者の子供なんて相手にしたいと思わないに決まっている。
仕方の無いことなんだ、と諦めることしかできない。
「今日も弾いてるんだ、へんなの」
突如背後から聞こえてきた、あざ笑うような笑い声。
気にするな、私。
いつもの事なんだ、気にしたら負けなんだ。
いっそう私は曲にのめりこむ。
「そんな変な曲、馬鹿じゃない」
きゃはははは、高い声が響く。
ぷつり、と何かが途切れた音がした。
……変な曲なんかじゃない。
悔しくて、ぎりりと奥歯を強く噛む。
おまえたちに、何が分かる。
何もかも消えてしまった私に、唯一残ったのがピアノだった。
鍵盤だけが、私に優しい。
私の気持ちを素直に表現できる、受け入れてくれる。
ソナタ悲愴は、まさに私だった。
「やめて」
低くつぶやいた声は、彼女たちには届かない。
ならば。
私はすう、と息を吸い込んだ。
指先に力をこめる。
響き渡る、重々しく低い、ハ短調の悲しい調べ。
虚空をただよい、ゆっくりと消える。
お前たちに、私の気持ちが分かるか。
おもいっきりフォルテッシモをたたきこむ。
その後のピアノは、優しく、それでいて鋭く。
私は弱い。
言葉では反論なんて出来ないから、いつも語るのはピアノごしだ。
ピアノは、私の体の一部。
紡ぎだす旋律は、発する言葉。
私は知らず知らすのうちに、助けを求めていたんだ。
だから、廊下まで聞こえていると分かっていて、こんなにも悲しい曲を弾く。
私とソナタ悲愴を重ねて、響かせる。
諦めたと思っていても、結局はどこかで期待していたのかもしれない。
もう、いいや。
私は指を止めた。
唖然として立ちつくしている彼女たちへ視線を向ける。
分かっているのに、諦めきれないくらい中途半端な自分は卒業する。
変な期待もやめて、自分で戦う。
「馬鹿にすんなよ」
勝てる自信なんかない。
でも、それならそれで、誰よりも美しく散ってやる。
悲愴のように、美しく。
短くなってしまった…;
二作目です。
前回に引き続き乱文すいません;
そして暗い内容ばっかりでごめんなさいっ
こういう人です(ぇ
読んでくれた優しい方々、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!