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各々、手に入れたもの

 だから。


佳乃(よしの)ちゃん!!」


 この時に、声を出せるのは。


「なんかさあ……なんかよく分かんねえけどさ、俺、佳乃ちゃんが死ぬの嫌だよ!! 戻ってきてくれよ、頼むから!!」


 涙声で、こんな恥ずかしげもないことが言えるのは。筋金入りの馬鹿でしか、きっとないのだろう。きっと何もわからず、それでも何かを感じ取って追いかけてきた五郎(ごろう)を見て、(あらた)はそう思った。


 そしてその馬鹿みたいに純粋な言葉は、佳乃の空いた胸を揺さぶった。彼女は包丁を見つめる。なぜこれを自分が持っているのか、分からないという表情になって地面に放り投げ──それから、顔をくしゃりと歪めて、こう言った。


「なんでよ。あなたが、泣くことないじゃない……」


 後は、言葉にならない。佳乃めがけて突進してきた五郎と鈴木(すずき)、それに後から来た静馬(しずま)直美(なおみ)と、もみくちゃになって彼女はわあわあと泣いていた。三年前のあの時から、ずっと止まっていた涙と声があふれたように、それはしばらくやむことがなかった。


「……良かったですね」


 鹿ノ子(かのこ)が静かに言う。静かに(あらた)の横に並ぶと、彼女はさらに言った。


「聞かないんですか? どうして私が、鹿ノ子さんの事件の犯人と、その行方まで知っているのか」

「別に、不思議でもなんでもないから聞かんだけだ。お前と(ひじり)は、()()()()()()だろう」


 新が言うと、鹿ノ子は目を見開いた。まさかお前が知っているとは、と言いたげな表情に、新は苦笑する。


「あの婆さんはあんたの身内か? 顎の触り方が一緒だぞ。それに、聖の方はスピーカーで分かった」


 あのスピーカーは後ろ側に電源があり、かがまないとオンオフが見えない。それなのに聖は遠くから見て、電源が最初から切れていると知っていた。……まあこれがなくても彼は鹿ノ子とセットなので、鹿ノ子の正体が分かった時点で運営側だろうと想像はつくが。


「本当に、意外なところを見られていますね。先ほど、祖母がゲームをとっとと進行しろと申告してきたところですよ」

「え」

「佳乃さんと宗一郎(そういちろう)さんのやり取りに必死で、誰もクイズに答えてくれなかったじゃないですか。拗ねてますよ、お婆さま」


 新は苦笑した後、鹿ノ子に向かってこう言った。


「正解は『花札』だろ。俺は八月の『芒に月』」

「はい、ご名答。ゲームが無効にならなくて、本当に良かったです」

「お前ね、この状況で……」


 新が鹿ノ子に苦言を呈しようとした時、公民館の柱の陰に人の姿を見た。長い髪を幽霊のようにざんばらにした姿を見て、新は思わず己の目を疑う。


 それは、初日に姿を消したはずの女。ここにいるはずのない女が、ぎらぎらと光る眼をしたまま、獣のように姿勢を低くして突っ込んできた。


熊谷(くまがい)!?」


 呼び止めても、熊谷はまるで獣のような声をあげて走っていく。そして佳乃が捨てていた包丁を、右手でひっつかんだ。


「まずい!」


 彼女の視線は、間違いなく佳乃に向いていた。それを見て取った宗一郎が、熊谷に声をかける。


「君、それで何をするつもり」

「復讐に決まってるでしょう! こいつがいつか破滅すると思って待ってたのに、最後の最後で腑抜けやがって!!」


 そう言いつつも、熊谷は宗一郎にも憎しみの目を向ける。


「あんたもあんたよ! よくもあの時、私を見捨ててくれたわね!!」


 血も凍るような叫びが、正面から宗一郎を襲う。宗一郎は熊谷を正面から見据えると、わずかに眉をひそめる。


「君、誰だっけ?」


 この言葉が、完全に熊谷の理性を断ち切った。彼女は最初の標的だった佳乃に背を向け、雄たけびをあげながら宗一郎に切りかかる。


 助けは間に合わない。佳乃の周りには人が何人もいるが、宗一郎は一人だ。走っても、位置的に熊谷の方が速い。


「……っ」


 宗一郎がわずかに足を引いた次の瞬間、黒い旋風が駆け抜けた。いや、正確にはそう見えた。


 次の瞬間、素早く宗一郎と熊谷の間に割り込んだ聖が、襲ってくる女の顔面に、強烈な回し蹴りを叩きこんでいた。


 ぐえ、とも、ぎえ、とも聞こえる声をあげながら、熊谷の身体が吹き飛ぶ。本当に手加減なしで思いっきり蹴ったらしく、熊谷は変な風に体をよじりながら地面に落ち、動かなくなった。


 しばらく誰もが絶句する中、最初に動いたのは宗一郎だった。


「やれやれ、助かった。『鬼札』がうちにいるのは知ってたが、まさかここで襲ってくるとは」


 新は思い出した。花札の十一月の唯一のカス札は、「柳に雷」「鬼札」と言われる特殊なデザインで、トランプのジョーカーにもたとえられるトリックスター的な役割である。最序盤に脱落したから今まで意識していなかったのだが、まさかまだ村にいたとは思わなかった。


「……もしかして隠してたか? 運営側が」


 宗一郎が聞く。確かに凍死するような季節でないにしても、水も食料もなしに一週間放置されたら、人を襲うような元気は残るまい。


「はい。その方がゲームが面白いので」


 鹿ノ子はあっさりと答えた。


「聖のいる家の近くに海岸があったでしょう? その近くの洞窟に」


 新はこれを聞いて呆れた。聖が海水浴の話題を避けたのは、こんな理由だったのか。あの時五郎あたりが突進していたら本気でまずかったと、肝が冷える。


「あとこれはもっと意地悪な話題なんだけど……もし、新が最後のクイズに正解していなかったとしても、あんたは俺を庇ったか?」

「いや」


 聖は、これもまたあっさりと首を横に振る。


「俺はお嬢様やお館様からこう命令を受けていた。『()()()()()()()()()()()()()()()()、彼らを守れ』と。つまり、クリアしていないのなら、俺が動く理由は一切ない」


 新はそれを聞いてぞっとした。つまり彼らは最初から最後まで、ゲームにしか力を注ぐつもりはなかったのだ。こいつらはこいつらで、危険なのだと思い知ったのである。


「俺たちを恨むか?」


 聖に問われた宗一郎は、首を横に振った。新と違って、彼はもう怒りも恐れも感じていない様子だ。


「いや。なんで?」

「君はさっき、後ずさったな。さすがに殺されかけたら『恐怖』を感じたかと思ってな。屈辱だったんじゃないか?」


 その問いに、宗一郎は今度は首をかしげる。


「どっちかというと『嫌悪』かな。でも確かに、普段とは少し違っていた」

「感情のある世界へようこそ、だな。初めての感情がそれというのは、縁起が良くなさそうではあるが」

「これが感情、ね……」


 宗一郎はしばらく空を見てから、ぽつりと言った。


「それなら初めてじゃないな。少し前に、味わっている。『敗北感』とでも、言うやつを」


 聖は意外そうにぽかんとした後、初めてかすかに笑ってみせた。


「どっちにしても、ろくなもんじゃないな」


 あがり始めた夏の太陽は、その言葉を吸い込んでから、より強く輝き始めた。ゲームの終了を告げるスイッチのようなそれを見ながら、新はようやく実感することができた。


 割り切れないところも言いたいこともあるが──やっと、全部終わったのだと。




 それからの作業は非常に淡々としたものだった。どこからかワラワラ湧いてきた黒服が、のびている熊谷を抱えてどこかへ連れて行き、婆さんが閉会を宣言する。それが終わった後、新は初めて婆さんと直に会話をした。


「……ほんとはあんた、人死にが出るのを望んでたんだろう? あの女、何かやらかしてないか」

「恋人を殺しかけた前歴があってね。親の力でもみ消したけど」

「それじゃ、配信は殺す方を想定してたのか。残念だったな」


 しかし新の言葉を聞くと、婆さんは今まで一番嫌らしい笑い方をした。


「いいやあ。むしろ、あんたには感謝してるくらいさ」


 そのニヤニヤ笑いを見て、新は何かに思い至った。


「おい。まさか、俺たちで賭けなんかしてないだろうな」

「してるに決まってるじゃないか。私は誰も死なない方に賭けて、なかなか大きく勝たせてもらったからね。二度目があれば、是非参加しておくれ」

「二度と来るか、クソババア!!」


 新の絶叫を笑い飛ばした婆さん──千代見(ちよみ)という名前らしい──だったが、約束はちゃんと守ってくれた。優勝した時点でまだキーワードは二個しか出ていなかったので、新は八百ポイントを獲得。そのポイントを使って、両親から合法的に離れるために必要な人材を手配するよう、頼んだのだ。


「俺はもう成人してるが、正式に親と縁を切るとなると色々揉めるだろう。法律や行政に詳しい人がいいな」


 そう言った数日後には、隣町の大きな弁護士事務所の所長が、直々に会いに来た。やっぱり血がつながっている以上完全に無関係とはならないが、対抗手段は色々あるという。とりあえず将来的に戸籍を分けたり、住民票の閲覧制限をかけるといった手段から試してくれるそうだ。


 新的にはこれで終わってくれたら非常にめでたしめでたしだったのだが──残念ながら、そうはいかなかった。ゲームの残滓……あまりよろしくないものが残ったのだ。


 ゲームから一か月後の、まだ残暑の厳しい時期。


 弁護士との打ち合わせを終えて、残暑厳しい中を帰ってきた新は、玄関前で立ちすくむ。そして無言で扉を手前に引くと、扉はすっと動いた。


「おかしいな~、鍵はかけて出たはずなんだけどな~」


 わざとらしい声をあげながら、玄関に脱ぎ捨ててある大量の靴を踏みつけて奥へ向かう。


「お、帰ってきたぜ。新、先にやってるぞ」

「飲み物何がいい? コーラ? ウーロン茶?」

「そういう問題じゃねえわ。お前ら、毎度毎度入りびたりやがって」

「だって佳乃ちゃん来てるんだもん」


 あの事件の後、佳乃は「恩返し」と称して、新に料理を教えたり、作り置きを増やしてくれるようになった。それがお世辞抜きで美味いので、新も納得の上でマンションの合鍵を渡していたのだが……五郎がどこからかそれを聞きつけて、直美と一緒に来るようになってしまった。


 新は元八班、五郎は元九班の面子と親交を深めていて、たまに彼らが連れ立ってくることもある。その日は佳乃が汗だくになるのが気の毒なので、新も調理を手伝うのだった。


「お前らまで招待した覚えはないぞ」

「やだわあ、薄情。あのゲームの時は、さんざん協力してあげたじゃんか」

「あの時の借りは、余ったポイントで返したはずだ。お前が会いたがってたクリエーターやホワイトハッカー、何人か俺経由で紹介してやったろ」

「それはそれ、これはこれ」


 悪びれない直美に、新はため息をついた。しばらくは聖の正体を知って、「私って男を見る目がない」と凹んでいたのだが、元気になった最近では紹介してもらった人間とつるんで探偵の真似事までやっているらしい。楽しいしか考えない女が、あまり危険なことに首を突っ込まなければ良いが。


「鹿ノ子と聖は、相変わらず音信不通か」


 彼女らと交換した連絡先は、しばらく経つと解約されてしまったらしく、どんなやり取りもできなくなった。あの調子で飄々と生きているのは間違いないのだから、新が心配することでもないし、正直二度と会いたくない。


 そんなことを新が考えている間に、五郎が台所に顔を向けていた。


「佳乃ちゃーん、俺ギョーザも食いたい」

「分かった」

「佳乃、迷惑だったらちゃんと断れよ?」

「……五郎くんと直美さんはいいわよ。世話になったから。私が気に食わないのは、ベッドで堂々と寝ているそこの男!!」


 だん、と包丁の尻をまな板に叩きつけて、佳乃が叫ぶ。


「なんで毎回毎回いるのよ!」

「暇だし、新といた方が退屈しないから」


 なぜか宗一郎は、教えてもないのに新の家をかぎつけては(おそらくポイントを使って運営に聞いたと思われる)、そこを定宿にし始めた。親はそう悪い人ではなさそうなのでそっちに帰れと何度言っても、「つまんないから」というわけの分からない理由で断られてしまう。


 飲食代として唐突に紙束つきの札を出してくるあたりも気味が悪く、なんとか追い出したいのだが今のところうまくいっていない。これこそ残ってほしくなかった残滓だ。


「俺は迷惑なんだけどな。お前、なに考えてるか分からんし」

「この棒アイス、結構美味いな。もう一本ないの?」

「あっ、俺が楽しみにしてた最後の一個!!」


 宗一郎がアイスの棒を投げ捨てた瞬間、佳乃がゆらりと動いた。


「……家主様、実力行使していい?」

「許す。存分にやれ」


 佳乃は包丁の代わりに、荷造り用の紐を手にしている。ベッドに近づくやいなや布団で宗一郎をくるっと巻き取り、紐でギュウギュウに縛り上げた。中央に人間が入ったチャーシューのようなそれを蹴って転がすと、玄関から叩きだす。


「今の季節、アレ普通に熱中症で死なね?」

「布団がもったいないから、しばらくしたら回収しに行く」

「心配するのは布団なんだ……」


 五郎と直美は心配しているが、宗一郎はどんな仕打ちを受けても、なぜか復活してくるのを知っている新は黙っていた。


「佳乃、餃子焼くならホットプレート出すぞ」

「お願い。終わったら焼きそばも横で焼いちゃいましょう」

「ゼータクだなおい!」

「やったあ、具は絶対海鮮にしてね~」


 賑やかな一同を見ながら、新はふっと目を細める。子供の頃憧れた、騒がしくも楽しい食事。自分で選んだ友達と自由に遊べる時間。そんなものは、テレビや漫画の中にしかないと思っていたのに、なぜか今は目の前にある。それが信じられないほどくすぐったくて、思わず笑ってしまった。


「新」


 全てを見透かしている様子の佳乃が横に座って、一言だけで聞いてきた。


「今、生きてて楽しい?」


 それに対する新の答えは、もう決まっていた。



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