真犯人
「あなた……よくもあんなことをして、へらへら笑って生きてきたわね。何人死んだと思ってるの!?」
彼女の喉から、血を吐くような絶叫が飛び出す。
「旦那さんが亡くなって、子供の学費のために仕事を三つ掛け持ちして倒れた人の気持ちがあんたに分かる? 受験のために出てきたお孫さんにあのホテルを予約したのを気に病んで、後を追って自殺した人がいるのを知ってる? あの時死んだ百十二人だけじゃない、何百人も不幸にしておいて、何も感じないの!?」
父さんと母さんだって、と佳乃は声を詰まらせた。
「たまたま道路が事故でふさがってなければ、あんなホテルになんか……」
「そりゃあしょうがないね。運命ってやつだ」
宗一郎の言葉を聞いて、佳乃の目から涙が干上がった。再び、天を衝くような怒りの空気が、彼女を取り巻く。
「……じゃあ、ここで私とあなたが会ったのも、運命だと諦めなさい!」
彼女は後ろ手で、だぶっとしたパンツの尻ポケットに手をやった。おそらく四角いふくらみから見て、スタンガンが入っている。それで自由を奪った上で、確実にとどめを刺すつもりなのだ。
今の彼女の脳は、怒りで煮えた中に、絶対零度の計算が混じっている。目的を達するまでは、絶対に止まらないだろう。誰の言葉も、もはや届きはしない。
だから佳乃の足がじりっと動いた直後に、新は紐を引いた。
高い破裂音が、空気を切り裂いて響き渡る。一瞬拳銃の音を思わせるそれに、佳乃の足が止まった。
「佳乃!! 止まれ、そいつは放火犯じゃない!!」
その隙にたたきこむように、新は叫ぶ。佳乃がようよう、いつもの顔で振り返った。
「殺すな! お前、本当はそんなもんになりたかったわけじゃないだろ!!」
限界まで叫ぶ。ああ、なんてとんだお節介だと思いながら。でも、ここで見過ごしたら、きっと明日の飯は味がしない。そう思ってしまう自分の性格を呪いながらも、新は口を動かした。
しかしそれにしてもここまで佳乃に入れ込むのはどうしてだ、という声も新の内側から聞こえる。その答えはすでに、自分が知っている気もした。
ここには流されてきた。両親に知らされたくない、戻されたくない一心で。でも気づいた。自分の過去の経験が生きて、勝てる場面もあるのだと。
だから、何かを成して帰りたかった。自分の手で、己がこれまで生きていて少しは良かったじゃないかと思えることができたら、きっと帰ってからも頭を上げて生きられるし抵抗できる。
あの手紙の予言通りにならないために、新は佳乃を見てきた。彼女を助けることが、抵抗の最後の仕上げなのだ。だから今回のことは、ただの我儘。
その思いがこもった声を、新は佳乃にぶつける。彼女は少し不快そうだったが、ようよう口を開いた。
「……どういうこと? 放火犯じゃないって。それに、あの音」
「ああ、音はクラッカーな。懇親会で、黒服どもが鳴らしてたやつ。備品の要求リストに書いといたら、ちゃんとくれたぞ」
「そんな前から、私が実力行使に出るって予測してたの?」
呆然とする佳乃を軽くねめつけて、新は言う。
「ああ。お前、複雑そうに見えてすげー分かりやすいからな。妙に大人しい時点で、疑ってた」
むっとする佳乃をよそに、新は今度は宗一郎を見た。
「反対にお前は、えらいことひん曲がってるなあ。犯人でもないくせに佳乃をあおって、まさかわざと殺されるつもりだったとでも言う気かよ」
「……そうだと言ったら?」
答える宗一郎の声は一段低い。これは本気なやつだな、と新は苦笑した。
「待って。それより先に、新がどうして彼を犯人でないと断じたのか聞きたいんだけど」
「最初にあれっと思ったのは、『火事に出くわした時なんか、通報のスマホ画面を連打する指が震えちゃってさ』って宗一郎が言った時だ。その時の仕草もおかしかった」
「どういうこと?」
「日本の消防の番号は『一・一・九』だ。三回目で数字を切り替えなきゃならない。これで連打っていうのは間違いじゃないが、表現としては弱い。実際、宗一郎は指でスマホを叩きまくる仕草をしてたしな」
つまり、通報したのは嘘ではないとすると、それは日本国内ではなかったということになる。
「お前、リムジンの中で言ってたよな。外国にはよく行ってたって。その時あがった国の中に、唯一消防の番号を『連打』できる国があるんだよ……オーストラリアだ」
オーストラリアの緊急通報番号は『零・零・零』のトリプルゼロだ。これならば、宗一郎の言葉や仕草とも一致する。
「そこまで絞れたら、後は直美とそのお仲間に頼んで宗一郎に似た留学生がいないか調べてもらや、遅かれ早かれお前がいた時期が判明するってわけさ。んで……事件の起こった三年前の二月一日、確かに火事があって日本人の通報があったそうだ。その場に居合わせた女が、お前の写真を無断でブログにあげてたぞ。夏服で日焼けしたやつな」
「向こうは季節が逆だからな。バカンスの女が舞い上がったか」
それを聞いた宗一郎が、初めてまともに苦い顔をした。
「その写真の時間がおおよそ夕方六時。そっから日本に帰って放火するには、どう頑張ったって時間が足りない。つまり、こいつは犯行があった時間に日本にいたはずがない。よって、犯人ではない」
そこまで聞いて、佳乃は目を見開いた。まだ包丁を持ってはいるものの、さっきまで柄を握りしめていた指がわずかに緩んでいる。
「じゃあ……私が見たあの写真はなんなのよ!? 火事現場からこいつが逃げるところが写ったあれは!」
「合成だろ。物理的に存在できなかった以上、それしかない。今は色々ソフトも出てるしな」
新は念のため、オーストラリアの女性が撮った写真と、火事現場の写真を直美に託していた。どちらが嘘なのか、知り合いの鑑定士が見てくれるというので、依頼したのだ。
「結果はもう分かるだろ? 日本の火事現場の方にいたお前が、加工物だと判断されたよ」
「はあ。それを見破られるとは。あの子、俺に参っているようで意外とそうでもなかったんだな」
宗一郎は種を見破られて、初めて佳乃の前で荒っぽい口調を披露してみせた。佳乃はまた驚かされて、もはや何も言えなくなってしまっている。
「ご名答。俺の計画も失敗か。やはり、お前はもう少し俺の側に取り込んでおくべきだったと思うよ」
「お前の言いなりになんかなるか、鍛えられ方が違うんだ」
新は毒づいた。そしてようやく、ここにきて宗一郎の一端を理解する。さっきの顔を見て気づいた。今までの彼には、本物の感情が感じられなかった。
「それに、お前に取り込まれる人間の癖ってのは決まってるだろ。自分を肯定してもらいたい、否定されたくない、価値ある人間だと思わせてもらいたい──そういう人間に、宗一郎ってやつは実によくはまるんだよ。自分の意図を消して、相手の喜ぶことだけを言えるからな」
宗一郎はそれを聞いて笑った。
「ご名答」
「それは何も、相手を思いやって隅々まで気を回してるからじゃない。むしろ逆だ。徹底的に相手のことに興味がないから、相手が何をしようが感情が動かない。ほぼ百パーセントの人間に、負の感情も正の感情も抱けない。それがお前の正体だろ?」
相手をただ受け流すだけの、空っぽの器。しかしその器の部分だけがあまりに美しかったため、人はその真意に気づかない。薄々気づいていても、自分がそちらの方が心地が良ければそこに居続けようとする。そういう人間を渡り歩いて、宗一郎は今まで生きてきたのだ。
「その状態がつまんないってのはなんとなく察する。しかしなあ、遺族の感情逆なでする写真まで捏造して、人に殺してもらおうとすんなよ。どうせ、作ってんのこの事件のやつだけじゃないだろ」
「未解決事件のはあと二、三件作ったと思う。どれも芳しくないが」
宗一郎の回答を聞いて、新はため息をついた。
「死にたいなら首くくるなり、ビルから飛び降りるなり、いくらでも方法があるだろ」
「そうしようとした時期もあったんだけどな。俺の中に残ってた、自我ってやつが言うんだよ。俺を殺した人間のことは、さすがに憎めたりするんだろうかって。最後の最後に、それを確かめてから死んでみたかった」
「阿呆くせ。感情を感じたいなら、五郎の隣にでも立っとけ。バカすぎて、三分に一回は驚けるぞ」
新は宗一郎にべっと舌を出してから、佳乃の横に立った。すると彼女が、絞り出すように叫ぶ。
「じゃあ……じゃあ、犯人は誰なのよ!? 直美さんが調べてたってことは、たどり着いたんじゃないの!? 私はこれから、一体誰に復讐するために生きてればいいのか、教えてよ」
「あー……それはなあ。さすがに直美でも無理だったみたいだ。結構上の方で、ロックがかかってるらしい。ただ、捕まってはないみたいだが」
新が困りながら答えると、公民館の向こう側から誰かの足音が聞こえてきた。
「その疑問には、私がお答えできると思います」
鹿ノ子だった。後ろに聖も控えている。
「佳乃さん。あなたの実際の仇である放火犯は、すでに死亡し被疑者死亡のまま送検されています。あなたも読んだであろう放火告発記事はだいたい正しく、犯人はオーナーの甥でした。その事実は上の意思によって箝口令がしかれたため、ほとんど知っている者はいませんが」
「死んだ……?」
佳乃はしばし呆然としていたが、急に鹿ノ子に詰め寄った。
「どんな死に方だったの? 事件、事故、それとも殺人? 父さんと母さんと同じくらい、苦しんで死んだの!?」
鹿ノ子はその問いに、憐れむような視線を返した。
「……死ぬ瞬間にそう苦しんではいないでしょう。車でスピードを出しすぎて、壁につっこんで即死ですから。死んだということすら、自覚する時間はなかったかもしれません」
「そんな!!」
佳乃はたまりかねた様子で叫ぶ。
「父さんも母さんも、あの日死んだ人も、死ぬまでどれだけ苦しんだか! それなのに張本人は、そんなにあっさり死に逃げしたっていうの……そんなバカな話が許されるの!?」
「許す許さないではなく、起こるのです。それがこの世の中。努力は実るとは限らない反面、一夜で成功を手にする者もいる。まっとうに生きても悲惨な死に方をする者もいる反面、何をやってもあっさり死ねる者もいる。それは、この世の中がそういう、平等を保障しない仕組みになっているからですよ」
鹿ノ子は落ち着いた口調で言った。
「そんな……」
「どうしてもそれが気に入らないというのなら、自分で死ぬという選択肢しかない。ここの彼のように殺してほしい、なんていう変わった願望がなければ、すぐにカタをつけることも可能です。でもね」
今にも崩れ落ちそうな佳乃を一瞥して、鹿ノ子は言った。
「あなたはそれでいいのですか? おそらく両親が見たがっていたであろうあなたの未来も、あなたを助けたいというここにいる彼の願いも放り捨てて、自分の人生を片付けても、本当に後悔しませんか?」
鹿ノ子が新を指さし、さらに続ける。
「世の中はよく奪いますが、たまに与えてくれることもあります。……それをつかんで生きますか? ここで終わりにしますか? どちらにしても、あなたの自由ですが」
鹿ノ子は正面から問う。佳乃はすぐにそれに答えることができなかった。彼女は今、生と死の間で揺れている。ずっと自分の中に一本通っていた柱のようなものが、今唐突に崩れ去ってしまったのだから。何を信じていいのか、何が希望だったのか、自分では分からなくなってしまっている。だから、包丁の切っ先を首に向けたまま、固まってしまった。
それは、傍から見ていてもよくわかる。少しでも空気を読める者ならば、今までの彼女の心境を慮って、口をつぐまざるをえなくなる。止まるよう説得した新ですらそうだった。




