表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「婚約破棄ですか? 承知いたしました。では、お貸ししていたカードは返していただきますね」——私が配った幸運を回収したら、元婚約者も義妹も継母も全員没落しましたが、もう遅いですわ

作者: ゆうた

「君との婚約を破棄する」


王太子主催の夜会。

数百の蝋燭が煌めく大広間に、エドワール・デュ・モンフォールの声が響き渡った。


周囲がざわめく。令嬢たちが扇で口元を隠しながら囁き合い、紳士たちは興味深そうに成り行きを見守っている。


私、リゼット・フォン・クレールモントは、その視線の中心に立っていた。


「君のような地味で取り柄のない女は、公爵家の次期当主である私には相応しくない」


エドワールは金髪を靡かせ、まるで英雄のような顔で宣言する。その隣では、義妹のマリアンヌが勝ち誇った笑みを浮かべていた。蜂蜜色の巻き毛、薔薇色の頬、豊満な肢体を惜しげもなく見せつけるドレス。


「お姉様には荷が重すぎましたのね」


マリアンヌの嘲笑。その後ろでは継母オデットが扇の陰から嗤っている。


……ああ、やっぱりこうなったか。


内心でため息をついた。


正直に言おう。驚きは、ない。


だって私は知っている。エドワールの「精悍さ」も、マリアンヌの「美貌」も、継母オデットの「幸運」も——全部、私が与えたものだということを。


私の指先が、無意識にドレスのポケットに触れる。そこには一組のカードが眠っている。『占いトランプ』。クレールモント家に代々伝わる、運命を操る力。


ハートのエースはエドワールに。商才と人望を与えた。

ダイヤのキングは継母に。財運と社交での成功を。

スペードのクイーンはマリアンヌに。美貌と魅力を。


全部、私が配った。

彼らが私に優しくしてくれることを、ほんの少しだけ期待して。


……馬鹿みたいでしょう?


「黙っているということは、反論もないようだな」


エドワールが勝ち誇る。その横でマリアンヌが彼の腕に絡みつき、これ見よがしに微笑んだ。


「エドワール様は私のものですわ、お姉様」


継母が一歩前に出る。


「さあリゼット、皆様の前で婚約解消を承諾なさい。これ以上恥を晒す前に」


周囲の視線が突き刺さる。憐れみ、嘲笑、好奇——様々な感情を孕んだ目。


私は、静かに息を吸った。


十年。

十年間、私は耐えてきた。継母の仕打ちに。義妹の嫉妬に。婚約者の無関心に。

実の父は見て見ぬふり。使用人たちは継母の顔色を窺う。


私の味方は、傍らに控える侍女のニコラだけだった。


でも、もういい。


彼らは自分で選んだのだ。私を捨てることを。私の価値を知ろうともせず、踏みにじることを。


ならば——


「承知いたしました」


私は微笑んだ。


その笑みに、エドワールが一瞬怯んだのが見えた。マリアンヌの目が揺れる。継母の扇を持つ手が止まる。


おかしいでしょう? 今まで俯いて何も言わなかった「地味で取り柄のない」継子が、こんなにも穏やかに笑うなんて。


「ただ、一つだけ」


私は一歩、前に出た。


「お貸ししていたものを、返していただきますね」


指を、鳴らす。


パチン、と小さな音が広間に響いた——その瞬間。




光が、走った。


エドワールの胸元から、マリアンヌの髪飾りの奥から、継母オデットの首飾りの間から。


三枚のカードが光の軌跡を描いて飛び出し、私の手元に吸い込まれるように戻ってくる。


ハートのエース。

ダイヤのキング。

スペードのクイーン。


私の指の間で、カードたちが淡く輝いている。お帰り、と心の中で呟いた。


「な……っ」


エドワールが呻いた。


私は彼を見た。そして、目を瞠った。


——ああ、こんな顔だったんだ。


精悍さが消えていた。彫りの深かった顔立ちは平凡に、輝いていた金髪は色褪せて見える。覇気のない、どこにでもいる貴族の青年。それが本来のエドワール・デュ・モンフォールの姿。


「何を……何をした!」


エドワールが叫ぶ。その声すら、かつての威厳を失っている。


「きゃああああっ!」


悲鳴が上がった。マリアンヌだ。


彼女は両手で自分の顔を覆っていた。指の隙間から見える肌は、くすんでいる。蜂蜜色の髪は枯れ草のように色を失い、豊満だった肢体は痩せこけて——


「私の、私の顔がっ……!」


社交界の華と謳われた美貌。その全てが幻だったことを、今、この場の全員が目撃していた。


「あ、ああ……」


継母オデットも異変に気づいたらしい。首元に手をやり、絶句している。


かつて眩く輝いていた宝石は、ただの石ころのように光を失っていた。彼女の肌には皺が刻まれ、豪奢なドレスだけが浮いている。


私は三人を見渡した。


「何も。元に戻しただけですわ」


淡々と、告げる。


「あなた方の才能も、美貌も、幸運も。全て私がお貸ししていたもの。当然、返していただく権利がございますでしょう?」


大広間が静まり返っている。


誰もが息を呑み、目の前で起きた「奇跡」を理解しようとしていた。


「そんな……そんな馬鹿な話が」


エドワールが震える声で言う。


「君は、ただの地味な……取り柄のない……」


「ええ、そう見えていたでしょうね」


私は微笑んだ。氷のように冷たく、されど穏やかに。


「あなた方が私の取り柄を奪っていたのだから、当然ですわ」


今になって思う。


なぜ私は期待していたのだろう。愛してもらえると、認めてもらえると。


カードを配り続ければ、いつか優しくしてもらえると。


……馬鹿だった。


彼らは最初から、私を見ていなかった。私という存在ではなく、私から流れ出る「幸運」だけを、無意識のうちに貪っていただけ。


「リゼット!」


継母が金切り声を上げた。


「今すぐ元に戻しなさい! 私はあなたの母親なのよ!」


「継母、でしょう」


訂正する。


「それに、なぜ戻さなければならないのです? あなた方は私を捨てた。ならば私も、あなた方に施す理由がない」


「この……この恩知らずが!」


恩知らず。


その言葉に、思わず笑ってしまった。


「恩知らず、ですか」


私は三人を見据える。


「十年間、あなた方のために尽くしました。継母様の社交での成功のために、義妹の縁談のために、婚約者殿の事業のために。私は惜しみなくカードを配り続けた」


声は震えない。もう、泣かないと決めたから。


「その見返りが公開婚約破棄とは……ふふ、随分と高い利子を払わせてくださいましたね」


ざわめきが広がる。


貴族たちがひそひそと囁き合っている。


「クレールモント家の占いトランプ……まさか本当に……」

「あの地味な令嬢が継承者だったのか」

「では、今までモンフォール公爵子息が成功していたのは……」


真実が、露わになっていく。


「リゼット嬢」


凛とした声が響いた。


振り向くと、黒を纏った長身の男性が歩み寄ってくる。


漆黒の髪、深い翠緑の瞳。彫りの深い端正な顔立ちに、穏やかな微笑み。


——隣国ルーンハイト王国の第二王子、セルジュ・ヴァン・アルヴェール殿下。


なぜ、彼がここに。


「久しぶりですね」


殿下は私の前で足を止め、優雅に微笑んだ。


「七年前の社交の場以来でしょうか。あなたが私に、あるカードを託してくださった日から——ずっとお会いしたかった」


……七年前?


私は記憶を探る。確かに、幼い頃、隣国の王族と交流する場があった。あの時、私は——


「これを、覚えていますか」


殿下が懐から取り出したもの。


一枚のカード。


他のどのカードとも違う、特別な一枚。


——ジョーカー。


「お与えになったのはあなたでしょう、リゼット嬢。Loss(喪失)ではなくLuck(幸運)を自ら選ぶ者にのみ与えられる、最強の札を」


私は息を呑んだ。


覚えている。あの日、継母に虐げられて泣いていた私に、優しく声をかけてくれた少年がいた。


『泣かないで。君はきっと、とても強い人だから』


あの言葉に救われて、私は無意識にカードを差し出していた。私の持つ中で最も特別な、たった一枚のジョーカーを。


「あなたは私を覚えていなかったでしょう。でも私は忘れなかった」


殿下の翠緑の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「七年間、あなたの情報を集め続けました。あなたがどれほど家族のために尽くし、どれほど報われずにきたか。そして——この日を、待っていた」


この日を。


私が解放される日を。


「君の価値を知らぬ者たちに、もう札を配る必要はない」


殿下は私の手を取った。


「リゼット・フォン・クレールモント嬢。私と共に来てください。ルーンハイトで、あなたの力は正当に評価される」


大広間が再びざわめく。


エドワールが蒼白な顔で叫んだ。


「待て! リゼットは私の婚約者——」


「先ほどご自分で破棄なさったでしょう」


殿下が冷ややかに遮る。


「もはやあなたに彼女を縛る権利はない」


私は殿下の手の温もりを感じながら、最後に三人を振り返った。


継母は崩れ落ち、義妹は顔を覆って泣き叫び、元婚約者は茫然と立ち尽くしている。


「長い間、お世話になりました」


私は微笑んだ。


「どうぞお元気で。——もっとも、これからは自分の力だけで生きていかねばなりませんけれど」


踵を返す。


ニコラが静かに私の後ろに控えていた。その目には涙が光っている。


「お嬢様」


「行きましょう、ニコラ」


私は歩き出した。


セルジュ殿下と共に、新しい未来へ向かって。


背後で継母の悲鳴が響いたが、もう振り返らなかった。




夜会から三日後。


私はセルジュ殿下が手配してくださった別邸で、束の間の休息を取っていた。


「お嬢様、お茶をお持ちしました」


ニコラがカップを差し出す。湯気の立つ紅茶からは、心地よい香りが漂っていた。


「ありがとう」


カップを受け取りながら、私は窓の外を見る。


穏やかな午後の日差し。小鳥のさえずり。


……静かだ。


今まで、こんなに静かな時間があっただろうか。継母の嫌味も、義妹の嘲笑も、婚約者の無関心も——何もない。


「お嬢様」


ニコラが口を開いた。その表情は真剣だった。


「モンフォール家から使者が参りました。三度目です」


「追い返して」


「承知しております。既に」


ニコラが淡々と報告する。


「また、クレールモント伯爵様からも文が届いております」


父から。


「……読まないわ」


「はい」


ニコラは何も言わなかった。ただ静かに頷くだけ。


彼女は知っている。私がどれほど父を待っていたか。助けてくれることを、味方になってくれることを、どれほど願っていたか。


そして、それが叶わなかったことも。


「お嬢様」


「何?」


「私は全て見ておりました」


ニコラの声は静かだが、深い感情が込められていた。


「継母様がお嬢様から食事を取り上げた日も。マリアンヌ様がお嬢様のドレスを切り裂いた日も。旦那様が見て見ぬふりをした日も」


「ニコラ……」


「私の母は、お嬢様の実母様の侍女でございました」


知らなかった。


私は目を見開く。


「お嬢様の実母様は、お嬢様をとても愛しておいででした。亡くなる間際まで、お嬢様のことを案じておられた」


ニコラが懐から古い手紙を取り出す。


「これは、実母様から預かっていたものです。お嬢様が辛い時に渡すようにと」


震える手で受け取る。


黄ばんだ封筒。見覚えのある筆跡。


——母様の字だ。


「後ほど、お一人の時にお読みください」


「……ありがとう、ニコラ」


涙が込み上げる。でも、今は泣かない。まだやるべきことがある。


コンコン、と扉が鳴った。


「失礼します」


執事が現れる。


「セルジュ殿下がお見えです」


「お通しして」




数分後、セルジュ殿下が応接間に入ってきた。


黒を基調とした装いは相変わらず洗練されている。しかし今日は、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。


「良い知らせがあります」


殿下は向かいのソファに腰を下ろす。


「お聞かせください」


「モンフォール公爵家の主要取引先が、軒並み契約を打ち切りました」


……始まった。


「エドワールが指揮していた事業は全て頓挫。判断力を失った彼には、もはや何もできない」


当然だ。彼の商才と幸運を支えていたのは『ハートのエース』。それがなくなれば、本来の——凡庸で浅慮な貴族子息に戻るだけ。


「マリアンヌ嬢は社交界から完全に姿を消しました。あの変貌を目撃した者たちの間で噂が広まり、誰も彼女を受け入れない」


美貌を失った義妹。虚栄心だけで生きてきた彼女に、何が残るというのか。


「そしてオデット夫人ですが——」


殿下の目が鋭く光った。


「過去の詐欺行為が発覚しました。王都の憲兵隊が動いています」


「詐欺……」


「クレールモント家の財政難を隠すため、夫人は裏で違法な取引を重ねていたようです。『ダイヤのキング』の幸運がそれを覆い隠していた」


なるほど。


私が与えた幸運で、継母は罪を逃れ続けていたわけだ。皮肉な話。


「間もなく逮捕されるでしょう。伯爵は連座を免れるために、夫人との離縁を決めたそうです」


父が、継母を切り捨てた。


今更。今更、そんなことをしても。


「リゼット嬢」


殿下が私の名を呼ぶ。


「辛いですか」


「……いいえ」


首を振る。


「当然の報いです。彼らは自分で選んだ。私を利用し、私を蔑み、私を捨てることを」


「そうですね」


殿下は頷いた。


「因果応報。彼らは己の選択の結果を受け入れるべきだ」


窓から差し込む光が、テーブルの上のカードを照らす。


ハートのエース。ダイヤのキング。スペードのクイーン。


三枚のカードは、もう誰にも配られることはない。


「リゼット嬢」


殿下が立ち上がり、私の前に跪いた。


「改めて申し上げます」


翠緑の瞳が真っ直ぐに私を見つめる。


「私の妻になってください」


「……殿下」


「私が賭けるのは、常に最も美しい逆転劇だ」


殿下は微笑んだ。


「そしてあなたは——私が七年間待ち続けた、最も美しい勝利の女神だ」


私は殿下の手を取った。


温かい。


この手は、私を利用しない。私の価値を知り、私自身を求めてくれる。


「喜んで」


私は微笑んだ。今度は、心からの笑みだった。


「あなたの元へ参ります、セルジュ様」




ルーンハイト王国への旅路は、驚くほど穏やかだった。


馬車の中で揺られながら、私は母の手紙を何度も読み返していた。


『愛しいリゼットへ。あなたがこれを読む頃、私はもうこの世にいないでしょう——』


母は全てを知っていた。


占いトランプの力。それを継ぐ者の運命。そして、力を持つ者が陥りやすい罠を。


『どうか、あなたの力を、あなた自身を大切にしてくれる人のためだけに使いなさい。見返りを求めない愛は美しいけれど、愛を返さない者に与え続ければ、あなた自身が消えてしまうから』


母様。


私は十年間、その教えに背いていた。


でも今は——


「リゼット」


向かいの席で、セルジュ様が私を見ていた。


いつの間にか、名前で呼び合うようになっていた。婚約者として当然のことだけれど、まだ少し照れくさい。


「何を読んでいるのですか」


「母の手紙です」


「……そうですか」


セルジュ様は何も聞かなかった。ただ、優しく微笑んで頷くだけ。


この人は、いつもそうだ。必要以上に踏み込まない。でも、必要な時には必ず傍にいてくれる。


「セルジュ様」


「はい」


「なぜ、私だったのですか」


ずっと聞きたかったことを、口にする。


「七年前、私はまだ子供でした。泣いているだけの、何もできない子供。なのになぜ、あなたは私を覚えていてくださったの」


セルジュ様は少し考えるように目を伏せた。そして、静かに語り始める。


「あの日、私は社交の場で退屈していました。大人たちの打算と虚飾に辟易していた」


翠緑の瞳が、遠い過去を見つめる。


「庭に出ると、泣いている少女がいた。でも、その子は自分の涙を拭いながら、懐からカードを取り出していた」


「……」


「私は見ていたのです。その子が自分の大切なカードを、自分を虐げる継母と義妹に配る姿を」


セルジュ様の声に、感情が滲む。


「なぜ、と思いました。なぜ自分を傷つける者たちに、そこまでするのかと。聞けば、いつか愛してもらえるかもしれないから、と」


私は目を伏せた。


幼い頃の私は、本当に馬鹿だった。


「その時、私は決めたのです」


セルジュ様が私の手を取る。


「この子を、必ず迎えに行こうと。この子が『もう与えなくていい』と気づいた時、傍にいようと」


「セルジュ様……」


「君は与え続けた。誰よりも優しく、誰よりも強く。その心を、私は愛している」


涙が頬を伝う。


止められなかった。止めようとも思わなかった。


「ずっと、ずっと一人だと思っていました」


声が震える。


「誰も私を見てくれない。私の価値を認めてくれない。私は透明で、空っぽで——」


「違う」


セルジュ様が私を抱きしめた。


「君は透明なんかじゃない。空っぽでもない。君は——誰よりも眩しい光だ」


温かい。


優しい。


こんな風に抱きしめられたのは、いつ以来だろう。母様が亡くなってから、一度も——


「リゼット」


セルジュ様が囁く。


「君の価値を知らぬ者たちに、もう札を配る必要はない。これからは——私のために、配ってくれませんか」


私は涙を拭いて、顔を上げた。


「いいえ」


セルジュ様が驚いた顔をする。


「あなたにはもう、最強のカードを差し上げているでしょう」


私は微笑んだ。


「ジョーカー——Loss(喪失)ではなくLuck(幸運)を自ら選ぶ者にのみ与えられる札。それは、あなた自身の力で幸運を掴める証」


セルジュ様は、ゆっくりと笑った。


「なるほど。では、君に配るべきカードは一枚もないということですね」


「ええ」


私たちは見つめ合い、そして——


「ならば、カード以外のものを差し上げましょう」


セルジュ様が私の手に口づけをした。


「私の全てを。永遠に」


馬車の窓から、ルーンハイト王国の国境が見えてきた。


新しい国。新しい人生。


私は、自分の足で歩き出す。




——三年後。


ルーンハイト王国は、かつてない繁栄を迎えていた。


「王妃様、本日の謁見の予定をお伝えいたします」


侍女長となったニコラが、恭しく書類を差し出す。


「ありがとう、ニコラ」


私——リゼット・ヴァン・アルヴェールは、書類に目を通した。


三年前、セルジュ様と結婚した私は、王太子妃となった。そして昨年、先王が崩御され、セルジュ様が即位。私は王妃となった。


「運命のディーラー」


そう呼ばれるようになった。


私の占いトランプの力は、この国で正当に評価されていた。国の重要な決定の前には、私がカードを読む。誰に幸運を配り、誰から回収すべきかを見極める。


もちろん、無闇に配ることはしない。


価値ある者に、価値あるカードを。それが私の役目。


「王妃様」


ニコラが言葉を続ける。


「本日の謁見者の中に、一人だけ——特別な方がおられます」


「特別?」


「はい。王も既にご存知です。お会いになるかどうかは、王妃様のご判断にお任せすると」


ニコラの表情が、わずかに曇る。


私は書類をめくった。


最後のページに書かれた名前。


——エドワール・デュ・モンフォール。


「……そう」


三年ぶりの再会、か。




謁見の間。


玉座に座る私の前に、一人の男が跪いていた。


かつての金髪は色褪せ、精悍だった顔立ちは疲弊に削られている。着ている服は貴族のものだが、どこか草臥れて見えた。


エドワール・デュ・モンフォール。


元婚約者。


「……お久しぶりです、リゼット」


声も、覇気を失っていた。


「王妃様、とお呼びなさい」


傍らに立つセルジュ様が、冷ややかに訂正する。


エドワールは顔を歪めた。屈辱に耐えているのだろう。


「……王妃様」


絞り出すような声。


「何用ですか」


私は淡々と尋ねた。


「お願いが、ございます」


エドワールが頭を下げる。


「もう一度だけ……カードを、配ってはいただけませんか」


「……」


「モンフォール家は没落しました。事業は全て失敗し、領地は売り払い、今は平民同然の暮らしを——」


「自業自得ですね」


私は遮った。


「あなたは自分の力を過信し、私を捨てた。その結果を受け入れなさい」


「頼む!」


エドワールが叫ぶ。


「俺が間違っていた! 君の価値を知らなかった! だから——」


「だから何です」


私は立ち上がった。


ドレスの裾が優雅に揺れる。玉座を降り、エドワールの前に立つ。


「今更、謝れば許されると? カードを返してもらえると?」


「……」


「甘いですね」


私は懐から一枚のカードを取り出した。


そこに書かれた文字を、エドワールに見せる。


——『THE END』


「これがあなたへの最後のカードです」


エドワールの顔が蒼白になる。


「終わり。あなたと私の物語は、もうとっくに終わっている」


「リゼット——」


「王妃様、と言いなさいと申し上げました」


私は背を向けた。


「ニコラ、この方をお連れして。二度と謁見は許可しません」


「かしこまりました」


ニコラが近衛兵に合図する。エドワールが引きずられていく。


「待ってくれ! リゼット! 俺は——俺は君を愛していた!」


足を止める。


振り返りはしない。


「いいえ」


静かに、告げる。


「あなたが愛していたのは、私の力。私が与える幸運。私自身ではなかった」


「違う! 俺は——」


「嘘をつくのはおやめなさい」


振り返る。


エドワールの目を、真っ直ぐに見据える。


「あなたは一度も、私を見なかった。私の名前を呼ばなかった。私の話を聞かなかった。私がどれほど尽くしても、あなたは当然のように受け取るだけだった」


「……」


「それは愛ではありません。搾取です」


言葉が、静かに響く。


「さようなら、エドワール。あなたの人生に、もう私は必要ない。——いえ、最初から必要だったことなど、一度もなかったのでしょうけれど」


近衛兵がエドワールを連れ去っていく。


叫び声が遠ざかり、やがて消えた。


「リゼット」


セルジュ様が傍に来て、私の肩を抱く。


「大丈夫?」


「ええ」


私は微笑んだ。


「もう、何も感じませんわ」


終わった。


本当に、終わったのだ。




——その夜。


王の私室で、セルジュ様と二人きりになった。


「継母のオデットは獄中で病死したそうです」


セルジュ様が報告する。


「マリアンヌは田舎に引っ込み、誰とも会わずに暮らしている。そしてエドワールは——」


「もう、いいわ」


私は首を振った。


「彼らのことは、もう聞きたくない。過去は過去。私には今と、未来がある」


セルジュ様が微笑む。


「そうですね。——ところで、父上から手紙が来ていますよ」


「父上?」


クレールモント伯爵——いえ、元伯爵から、か。


継母の詐欺事件で爵位を剥奪された父は、今は小さな屋敷で隠居暮らしをしているという。


「読みますか?」


「……ええ」


手紙を受け取る。


『リゼットへ。すまなかった——』


謝罪の言葉が並んでいた。自分の弱さを、娘を守れなかったことを、長々と綴っている。


「許しません」


私は呟いた。


「でも、恨んでもいない。ただ——」


「ただ?」


「もう、他人なのだと思います」


セルジュ様が何も言わずに私を抱きしめてくれた。


温かい。


この人の腕の中は、いつも温かい。


「ねえ、セルジュ様」


「何ですか」


「私、幸せです」


涙が零れた。


悲しみではなく、喜びの涙。


「長い間、幸せになってはいけないと思っていました。私は透明で、空っぽで、誰にも必要とされない存在だと」


「……」


「でも今は違う。あなたがいる。ニコラがいる。私を必要としてくれる人がいる」


顔を上げる。


「ありがとう、セルジュ様。私を見つけてくれて」


セルジュ様が私の涙を拭う。


「礼を言うのは私の方です、リゼット」


翠緑の瞳が、優しく笑う。


「君と出会えて——私は、世界で一番幸運な男だ」


窓の外では、満月が輝いていた。


私の手の中で、カードたちが淡く光る。


もう、無闘に配ることはしない。


価値ある者に、価値あるカードを。


そして何より——


自分自身を、一番大切にすることを。


母様、見ていますか。


私はようやく、あなたの教えを理解できました。




——『THE END』




いいえ。


これは終わりではない。


私の物語は、ここから始まるのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ