第94話 リルとセレイラ
商人たちが過ぎ去ったあと、セレイラは後ろから来る次の一行が百メートルほど離れていることを確認して、自身の馬をリルの隣に移動させた。
「でも、僕ら以外にも追っている人たちがいるんでしょう? イグマンだってそうだし、別の幹部が雇っている傭兵もいるってフロイドさまはおっしゃっていた。そうなると僕たちだけで女と戦おうとするのは案外難しいんじゃない?」
リルとセレイラはスビリウスに所属しながらも、特定の人物の下で動いているわけではない。そのため上層部から連絡を受け、その都度依頼された仕事をする。
今回は闇取引が開催された劇場で手伝いをしていたところフロイドから電話があり、ジェレミア伯爵家の後継者とその弟を捕まえる依頼を受けたのだった。
だが、この仕事はスビリウスの上層部にとって重要事項のようで、フロイド以外の指示役の誰かが、鼠を捕まえるための猫を放ったというのである。ただし、それが誰であるのか、誰の指示であるのかまでは教えてはくれなかった。
もし自分たちよりも先に誰かが兄弟を取り返したら、あの女と戦わずに終わってしまうかもしれない。
「そうかもなぁ」
リルが青い空を見上げてぼんやりと言うと、セレイラが嘆いた。
「それに、日中には手を出すなってフロイドさまからお達しがあるし、ますます無理なんじゃ……」
要するに、他のスビリウスの関係者に先を越されるのではないかと思っているのである。大きなため息をつく相棒に、リルが明るく声を掛けた。
「元気出せよ、セラ」
するとセレイラは的外れな励ましに、むっとする。
「別に落ち込んでいるわけじゃないよ。出し抜かれたらつまらないなって思っているだけ」
だがリルは気にしたふうもなく、「まあ、そうなったとしても今回は仕方ないさ。俺たちの仕事は『兄弟の回収』であって、あの女と戦うことじゃないからな」と言った。
リルが尤もなことを言うので、セレイラは形のいい唇を尖らせる。
確かに彼の言う通りだ。強い者と戦える楽しみはあるが、任務の重要性はそちらではない。いかに確実にあの兄弟を回収できるかなのだ。
「……そうだけど」
不服そうに呟くセレイラを見て、リルは彼の背を軽く叩いた。
「とにかく女どもがどこに泊まるのか追いかけて、今夜にでもさっさとやっちまおうぜ。回収さえしてしまえば、どうしたっていいわけだし」
リルの最後の言葉に、セレイラはゆっくりと目を輝かせる。
捕まえてしまえばどうやってもいいのだ。つまり、先に兄弟を捕まえたあと、ゆっくり女と戦えばいい。
「それもそうだね」
表情を明るくするセレイラに、リルは笑顔を返した。
「おう。さ、行くぞ、セラ。そろそろ進まないと見失う」
「そうだね」
そして二人は馬を並べ、再び進み始めた。立ち止まって話をしていたため、追いかけている兄弟との距離七百メートルぐらいまで広がっていそうだ。速歩の足取りで追いつくとしても、また気配を読まれたら意味がない。
「いい緊張感だ」
リルとはその駆け引きを楽しみながら、自分の気配に気づいた女を追いかけるのだった。
☆
宿屋を出て約二時間ほど経ったころ、ソフィアたちは大通りから畑や住宅が並ぶ場所に入る。ほどなくして小川の畔が見えてきたため、その辺りで休憩をしていた。
小川の水面は日の光を反射してきらきらと輝き、優しいせせらぎの音が心地よい。そして流れてくる水の香りが爽やかで、この辺りの水の水質がいいことを伺わせる。
「晴れてよかったよ」
ゆったりと雲が流れる青い空に向かって腕を伸ばすアレクシスに、ソフィアは馬を撫でながらうなずいた。
「そうだな。まあ、夏じゃないし突然雨が降ってくることもそうはないだろうから、今日はあまり気にしなくていいと思う」
「うん」
うなずいたアレクシスだったが、ふとあることに気がついた。
ユーインとアルフィが、ソフィアにぴたりとくっついて離れないのである。彼女が右に行けば、右に行き、左に行けば左に行くという具合である。傍から見ると仲の良い親子のように見えるが、アレクシスは訝しく思い、ソフィアに近づくと小さな声で尋ねた。
「なあ、何でこんなにユーインとアルフィが君にぴったりくっついているんだ?」
するとソフィアは目を細めて笑う。
「嫉妬か?」
アレクシスは何でそんなことを聞くんだろうかと一瞬目を見張ったが、すぐに意味が分かった。
アレクシスが「ユーインたちがソフィアにだけ懐いていて悔しい」と思っていると解釈し、揶揄ったのだ。
しかもソフィアの場合、彼がどういう理由で質問しているのかを分かっていてやっている。こういうところが少々意地が悪い。
「違うっ」
聞くんじゃなかったと思ったアレクシスはソフィアから離れようとしたが、彼女が彼の袖を掴んだため、反動で引き戻される。何だろうと思っていると、川のほうに視線を向けたソフィアが抑えた声で今度は真面目に答えた。
「今朝対峙した連中とは違う別の奴がくっついてきているんだよ。だからこの子たちには私から離れるなと言ってある」
アレクシスは目を丸くする。
「本当か?」
「嘘をついてどうする。というか、表情を変えるな」
ソフィアに指摘され、彼は驚いた表情を引っ込めた。
「ごめんって。それで、どれくらいの人数だ?」
ソフィアはアレクシスの袖から手を離し、肩をすくめる。
「さあ。一人いることは間違いないけどね。そいつはわざと気配を出して、私が気づくかどうかを試したからな。だが、それだけじゃなさそうだ。どうも変な気配が漂っている」
ソフィアの表情は変わらないが、川に向けている視線が鋭い。想像するに、「変な気配」のせいで、気を張っているのかもしれないとアレクシスは思った。




