第75話 アレクシスの髪
ソフィアが体を捻ってベッドのあるほうを振り向くので、ユーインは目を丸くしながら彼女の視線を追った。すると、アレクシスが寝ているほうの布団がもそもそと動き、彼が体を起こした。
「……気づいていたのか」
アレクシスはベッドから裸足のまま起きてくると、肩まである赤茶色の癖毛をぼさぼさの状態にしたままで、ソフィアの傍に立った。
「私に寝たふりは通用しない。知っているだろう」
ソフィアが笑みを浮かべアレクシスを見上げるようにして言うと、彼はばつが悪そうに、髪の色とは違う薄茶色の髭が少し生え始めている口の周りを擦った。
「知っているよ。だから一応言い訳すると、聞き耳を立てていたわけじゃなくて、話し声が聞こえたら目を覚ましちゃって、口出ししにくい内容だったから起きるに起きられなかっただけ、ってことなんだけど……」
するとソフィアは目を瞬かせてから謝った。
「……そうか。それは悪かった」
「いや、いいんだけどさ。もう起きるつもりだったし……。——そういえば、朝食は?」
アレクシスが話を変えると、ソフィアはテーブルの上に置いてあるトレーに視線を向ける。そこには、使われていない二つの白いカップと、水差し、湯瓶が置いたままになっていた。
「まだだよ。顔を洗ったり、口をゆすいだりしただけ。ただ、お茶は下からもらって来た。飲むか?」
「うん。でも、その前に口をゆすがせて」
「どうぞ」
するとアレクシスはカップを一つ手に取り、水差しから水を注ぐと、部屋の隅にある洗面所のほうへ行く。そこでうがいをすると、カップを一度テーブルに置き、今度はテーブルの下に置いてあった鞄から布を取り出し、顔を洗いに戻った。
だが彼は顔を洗う前に、髪の毛を手でとかしたかと思うと、赤茶色の髪をすぽっと抜いたのである。
「え……!」
見ていたユーインが驚いた声を上げると、ソフィアはアレクシスが使ったカップにハティルを注ぎながら「どうした?」と尋ねた。
「侯爵さまの髪が……」
ソフィアは多かった分を自分とユーインのカップに入れると、アレクシスのほうを見る。すると彼は赤茶色の癖のある髪ではなく、さらさらとした薄茶色のきれいな髪になっていた。長さも耳が少し隠れるくらいで清潔感があり、こちらのほうが優男の顔には似合っている。
「ああ。あれはカツラだよ。偽物の髪毛」
「偽物の髪、ですか?」
まだ驚いているユーインに、ソフィアが言葉を補足した。
「変装用によく使われる品物だ」
「そうなんですね……。知りませんでした」
しげしげとは見るのは失礼だと思ったのか、ユーインは遠慮がちにアレクシスのほうを見る。その様子を見ていて、ソフィアは昨夜ユーインたちと初めて対面する前にアレクシスが言った言葉を思い出していた。
(「暫く会ってないから分からないと思う」とか言っていたが、そもそもこの変装じゃ、ユーインとアルフィがアレクシスのことを覚えていたとしても分かりようもなかった、ということか)
顔すらも覚えていない相手が、髪型もその髪色もすっかり変えているのである。仮面を取ったところで分かりようがないではないか。
(そもそもスビリウスのところに連れていかれて、酷い目にも遭わされているわけで。それなのに、あんなところで顔を忘れられている人間と初対面の人間に、『助けに来た』と言われても信用できるわけがない。ユーインとアルフィがここにいるのは、本当に彼らが勇気を出して私の手を掴んでくれたお陰だな)
「うーん、おいしい。ところで、朝食は下に食べに行く?」
顔を洗い、髭も剃ってすっきりしたアレクシスがハティルを飲みながら尋ねた。
「食べに行ってもいいけど、アルフィがまだ寝ているし……、適当に買ってきてもらえるか? その間にあの子を起こしておくよ」
「分かった」
するとアレクシスはお茶を一気に飲み干すと、立ち上がりながらユーインに尋ねた。
「そういえばユーインは食べられないものはある? アルフィのことも知っていたら教えてほしいんだけど」
「僕は魚介類があまり得意ではないです。食べられないこともないですが……。アルフィは何でも食べます」
「そっか。分かった」
アレクシスはうなずく。そして鞄から新しい靴下を出すと、それを履いたあとにベッドのそばに置いてあった革靴を履き、カツラを被る。ポケットに財布が入っていることも確認すると、彼は「じゃあ、ちょっと行って来るね」と言った。
「はい、よろしく」
ソフィアが軽く答えると、アレクシスは軽快な足取りで扉の外に出て行く。
「さて、アルフィを起こそうかね」
「あ、はい」
アレクシスを見送ったあとにソフィアに促されると、ユーインは椅子から下り、大切な弟が眠るベッドのほうへ向かうのだった。




