第73話 十年前の過ち⑦——窓の外
「え、え? あの、これってどういう……」
戸惑うエレナに、ソフィアは荒い息を抑えながら努めて明るい声で言った。
「このまま、下ります……」
「え⁉」
彼女が驚くのも当然のことだ。
だが、どうしてこの選択肢をしたのか、成功率はどれくらいなのかなどを話している暇はない。
(下りたらすぐに敷地の外に出て、待機している仲間に助けてもらわないと……)
ぼんやりする頭で、ソフィアは何とか考える。
「とにかく……、しっかり、捕まって。私の手に、力が入りづらくなって、いるので、申し訳ないのですが、あなたの力をかしてください。ここは高いですが、大丈夫。何とかなります……」
ソフィアは震える唇で言った。そして窓辺に足を掛け、顔だけ下を覗く。
この建物は表面がごつごつとした石を切り出し、それを積み重ねるようにしているため、出っぱっている石がある。それを利用し少しずつ手を引っかける位置を変えていけば、急激に落ちることにはならないだろう。
(最悪、一気に落ちたとしても、私の足の骨が折れるくらいで済むはず。まあ、意識が朦朧としている状態で、しかも人を抱えてこの高さから下りたことがないから、何とも言えないが……)
しかしやらねば殺されるし、エレナを残していけば彼女が酷い目に遭うことは目に見えて分かっている。
ソフィアはエレナの腰の辺りを右腕でぎゅっと抱きしめると、「行きますよ」と囁いた。すると彼女もソフィアの背に回した手に力を込めると、ソフィアの右肩の辺りに寄りかかっていた頭を縦に動かした。「分かった」ということだろう。
(よし、行こう……)
ソフィアは心の中で呟き覚悟を決めると、エレナの柔らかな髪の毛を頬に感じながら、窓辺から飛び出した。
★
「殺し屋の男?」
ユーインが聞き返したので、ソフィアはうなずいた。
「そうだ。そして色んな得物……、つまり武器のことだね。拳銃、剣、投げて使う薄い刃なんかを持っていたんだ。私はそれらの攻撃を避けたんだが、奴はエレナのほうにまで危害を加えようとしてね。守ろうとしたら、私は右の脇腹をざっくりやられてしまった」
まずい状況に、ユーインが息を呑んだ。ソフィアは静かに話を続ける。
「しかも毒が塗られていたせいで、体も上手く動けなくなった」
「それで、どうしたんですか?」
ソフィアはゆっくりと息をはきだすと、目を伏せて己のやるべきことを言葉にした。
「私の仕事はエレナを助けることだからね。何としても彼女をあの場所から連れ出さなくちゃいけなかった。それで、私は窓から飛び降りることを決めたんだ」
「ですが、三階ですよね?」
ちらりとユーインを見ると、「あり得ない」という表情が浮かんでいた。
確かにあり得ない。
だが、リョダリという名の一族は、その体がセルディア王国の市民とは違うのである。「セレイアヌ」の外見が、この国の人たちと違うように。
「そうだ。しかしリョダリなら、それくらいは縄も使わずに難なく下りることはできる。体の作りが違うみたいなんだ。しかしそれは一人の場合であって、体もボロボロだし、エレナを担いでだから上手くいくかは分からなかった」
「それなら、どうして……」
心配そうに尋ねる彼に、ソフィアは自嘲気味に笑った。
「情けないことに、それ以上の最善策が思いつかなかったんだよ。頭と体がまともだったら、もっとマシな考えが浮かんだだろうし、粘って戦うこともできたと思うが、それができなかった」
「あの、ソフィアさんたちは……無事に下に行くことができたんですか?」
遠慮がちの問いに、ソフィアは「そうだね……」と呟き、一度目を瞑り、再び開いてから答えた。
「下に行くことはできたよ。でも、エレナは私と一緒に窓から下りる寸前で、男の攻撃を受けてしまったんだ」
★
ソフィアが窓から飛び出した瞬間だった。背中に何かが当たったような感覚がある。
しかしそれを気にしている暇はなく、彼女は飛び降りた後に五度ほど外壁の凹凸を左手で掴んで、何とか下の草むらまで下りることができた。
「エレナさん大丈夫ですか?」
ソフィアはすぐに建物の陰に移動して、エレナに尋ねた。彼女は強張った笑みを浮かべてうなずく。無事に下りられるか心配だっただけに、恐怖から解放されて、表情が硬くなっているのだと思った。
「え、ええ……何とか」
「よかった」
「ですが、何かが刺さったようで、痛いです……」
ほっとしたのも束の間、そう言った彼女の左手には、薄くて小さい刃が深々と刺さっていたのである。




