第66話 お茶
「おいしい……。香りが良くて、それに味もほんのり甘いです」
ほうっと息をつくユーインに、ソフィアはふっと笑った。
「口に合うようで良かった。『ハティル』という名前のお茶なんだ。香草から作られている。鼻から抜けるような爽やかな香りが、好きだという人も多い」
「僕の住んでいるところでは、鮮やかで美しい赤茶のお茶がよく飲まれていたので、こんなに薄い色でも味がはっきりしているのが不思議です」
「東のほうで飲まれているお茶は、濃いと聞くね」
アレクシスが十二歳くらいだったころ、父である侯爵と東側へ行ったことがあり、そのお土産として「レイティル」という名前のお茶を出してくれたことがある。
煮出すと確かに鮮やかな赤茶色をした飲み物で、ソフィアはハティルとは違った味わいにおいしさを感じたが、一緒に飲んでいたアレクシスには苦かったようで、執事に牛乳と砂糖を足してもらって飲んでいたことがある。懐かしい思い出だ。
「そうですね」
ユーインはうなずくと、また一口お茶を飲んだ。どうやら気に入ってもらえたようである。
「いつもこのようなお茶を?」
「朝だけね。これはさっぱりしすぎるから、食後はまた違うお茶を飲むんだよ」
「そうなんですね」
「まあ、私のところでは、このハティルはあまり飲まないけどさ」
するとユーインがカップからパッと顔を上げた。
「リョダリの地……ですか?」
「うん。皆は豆を煮だした茶を飲んでいるよ。ハティルは鼻から抜けるすっとした香りが、うがいをするときに入れる薬草に似ているっていうんで、苦手な奴もいるんだよ。まあ買い置きはしているから、若い子たちはハティルを飲むこともあるけど、大体は豆の香ばしいお茶を飲む。そっちのほうが好みなんだと」
「ソフィアさんが飲み慣れていらっしゃるのは、よくこちらに来られるからですか?」
ユーインがそう尋ねる。アレクシスと関係があることから、リョダリの地から街に出てきているのかもしれないと想像したのかもしれない。
彼女はカップをテーブルに置くと「うーん」と少し考えてから答えた。
「それもあるかな。昔、リョダリの地を出て、セルディア王国の西側にある大きな街で仕事をすることが多かったからね」
「お仕事?」
「うん」
「あの、ソフィアさんは、ずっとこういうお仕事をされているんですか?」
おずおずと尋ねるユーインに、ソフィアは問いを返した。
「護衛みたいなってこと?」
「はい」
ソフィアは何気なく上のほうに視線を向けると、「まあ、そうだね」と言う。
「昨日みたいなこともしているんですか?」
そこまで踏み込まれると思っていなかったので、ソフィアは目を見開いてからユーインの顔に視線を戻した。真剣そのものの表情である。
何故ユーインがソフィアのことを知りたがっているのか彼女自身よく分からなかったが、ぼやかしたような答え方をしてはいけない気がしてつられて真面目な顔になる。
「闇取引への潜入のことか?」
「はい」
「……ずっとしていたわけじゃない。十年前に一度やめているんだ」
すると今度はユーインが目を丸くした。
「では、十年ぶりなのですか?」
手慣れた様子で行動していたため、久しぶりであるとは思わなかったのだろう。
それもそのはずで、リョダリには闇取引の潜入捜査などせずとも、商人の護衛をする仕事がある。
闇取引絡みの仕事よりもずっと楽ではあるが、常に怪我や死と隣り合わせであることは変わりない。族長だからと言って、現場に出ないうこともなく、一族の中で一位、二位を争うほどの実力の持ち主であるため、若い者たちと護衛の仕事に出てその技術を教えることも彼女の仕事なのだ。
そのため、駆け引きや戦いに関しては十年経とうとも衰えておらず、寧ろ磨きがかかっている。
しかし、ユーインの問いには、別の思いが見え隠れしているように思った。
「そうだねぇ……」
——何故、十年ぶりにこの仕事を引き受けたのですか?
(どうするかな)
ソフィアはゆっくり立ち上がると、窓側のほうへ歩き片側のカーテンを開ける。すると眩い光が部屋に差し込んだ。
目を細めその光に慣れると窓から下のほうを見ると、朝市が開かれている道沿いでは多くの人が行きかっているのが見える。
もう一方のほうも開けるともっと部屋が明るくなるが、アルフィとアレクシスがまだ寝ているので、ベッド側のほうは開けなかった。
(はぐらかすこともできるが……)
十年前の失態は、普段は話したいと思わない。
アレクシスにユーインとアルフィを助けるように依頼されたときも、闇取引だと知っていたら来なかったかもしれないのだ。それくらいに、彼女は十年前の過ちをずっと引きずっている。
しかし、いざ闇取引に潜入してみると、十年前とは違って落ち着いて仕事をしている自分がいた。あのころよりは、体力は多少落ちているかもしれないが、知力も、経験も、技術もずっと良くなっている。
(お陰で、もう少しアレクシスの手伝いができたら……と思っている自分がいる)
あのころ助けられなかった人を、今なら助けることができるかもしれない――。
ユーインたちを助けたことは、ソフィアにそんな思いを抱かせた。
(話そう。私にもう一度、戦う機会を与えてくれたこの子たちのために)
ソフィアは窓からくるりと振り向くと、テーブルの席に戻る。
すると、朝日で明るくなった部屋の中で、ユーインの端正な顔立ちには心配そうな表情浮かんでおり、緑色のきれいな瞳が静かにソフィアを見つめていた。
(光の中でこの顔をみたのは初めてだな)
昨夜からずっと暗闇の中ばかりで、明かりがあっても頼りない蝋燭の火ばかりだった。日の光は、部屋の中央まで差し込んでおり、テーブルは半分だけ明るくなっている。そこにはユーインの手が置かれていて、肌の白さが浮きだっていた。
彼女はユーインの緑色の目を見つめ返すと、席について静かに言った。
「私はね、十年前に助けられない人がいて、闇取引に関わる仕事から退いたんだよ」




