第64話 新聞
「分かった。それじゃあ、この剣は返してもらうよ」
「はい」
短剣を手にしたソフィアは、徐に立ち上がるとズボンのベルトを外す。そして、短剣が入った革の鞘についているベルトループにベルトを通して、再びズボンのほうに通した。これで必要なときにすぐに使うことができる。
(これで、よし)
これで彼の話は済んだと思っていたソフィアだが、見るとユーインがちらちらとこちらを見上げていた。
「どうした?」
「あの、一応お聞きするのですが、ソフィアさんも僕の父上や母上がどうなったのかご存じないのでしょうか?」
ソフィアが聞くと、ユーインは躊躇いがちに尋ねる。
知っていたら教えてほしいのだろう。
だが、生憎ソフィアは、ユーインたちを助けるまで、ジェレミア伯爵がオブシディアンという組織を作りスビリウスと戦っていたことはもちろん、ジェレミア伯爵がどういう為人なのかもよく知らない。
「すまないな。私は君のお父上のことは何も知らないんだよ。ジェレミア伯爵家が襲われたこともね」
するとユーインは、きりっとした眉をきゅっと寄せた。
「でも、新聞とかに載ったのでは……?」
彼の言っていることも分かる。
確かに、伯爵家が襲われたならば、市民が手に入れられる情報源——つまり新聞にも事件のことは載ったはずだから、知っているのではないかといいたいのだ。
だが、それは街中での話である。
「どうだろう。あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。でも、どちらにしても私は新聞を読んでいないから分からない」
「どうしてですか?」
ユーインの問いに、ソフィアは肩をすくめた。
「私はリョダリの出身だと言っただろう?」
「はい」
「リョダリはね、西の端に住んでいるんだよ。隣国のサハナ王国のすぐ近くだね。要するに、街には住んでいない」
「……?」
きょとんとするユーインに、ソフィアは説明を続けた。
「街に住んでいる貴族は、新聞屋に屋敷へ配達してもらうことができるし、その土地の人々は雑貨屋なんかで購入することができるが、リョダリの地では難しいのさ。町まで行くまでが遠いから毎日手に入れることはできないし、買い出しのついでに町へ出ても新聞は読むためじゃなくて、買った野菜や果物を包んで持って帰るときに買うときがあるくらいなものだ。まあ、それほど高いものじゃないから、私が行ったときは買うこともあるけど、私の家族たちに読む奴はそういないよ。セルディア王国の情勢に興味ない者たちが多いからね。だから、ジェレミア伯爵のことは分からないんだ。すまないな」
ソフィアが事情を説明しているうちに、ユーインの表情がみるみる曇り、そして謝った。
「……いえ、こちらこそ、事情も知らずにお聞きしてしまってすみません……」
ソフィアは首を横に振る。謝らせるつもりで言ったわけではない。
「気にしなくていい。リョダリというのは、セルディア王国の町の人たちの生活ともまた違うってことだけ知ってもらえていたらそれでいいんだ。大人たちだって、私たちのことを知らない者たちが多いのだから」
セルディア王国の多くの者たちが、そもそも「リョダリ」の存在を知らないのだ。
リョダリがどういう生活をしているか知らなくて当然である。
「……はい」
ユーインはどこか落ち着かない様子でいるようだったが、物好きでない限り貴族も一般市民も、リョダリのような独立した文化を持っている者たちを知る機会などそうない。
もし彼が無知であることに心を痛めるのであれば、この先少しずつ知ってもらえればいい。
「よし。——それじゃあ、私は下に行って来る」
「あ、はい……。分かりました」
ソフィアは扉の傍に置いてあった、細い木の棒が立っている背の低い収納家具から突っ掛けを引き抜くと、それを履いて部屋を出た。
彼女はゆっくりとした足取りで階段を下りた。ユーインとの会話の中で気になったことがあったからだ。ジェレミア伯爵の安否のことである。
(そうか。アレクシスも知らないのか……。闇取引に関する情報は、大体「グロリア侯爵家が抱えている諜報員が報告しているもの」と、「王家から伝えられてくるもの」の二つだ。そのどちらからもジェレミア伯爵らに関することが来ていない、ということか)
ソフィアは階段を一番下まで下りると、受付に向かう。
すると、夜が明けてから町に入って来た者たちが、何組かおり、三つあるうちの二つの受付が埋まっている状態だった。
ソフィアは心付けを渡した男がいれば、その男にお願いしようかと思ったが、さすがに戻って来たときに対応していた男ではなくなっていた。
時間になって交代したのだろう。
ソフィアは仕方なく、空いている受付に立った。すると人当たりのよさそうな男が、「どうかなさいましたか?」と尋ねる。
仲居がてきぱきと仕事ができるかどうかは、頼んでみないと分からないが、その男に飲み水と温かい湯、そしてお茶を入れる道具を一式貸してくれるように言う。
「かしこまりました。少々お待ちください」
男はそう言うと、奥の部屋へと引っ込んでいった。




