第62話 目覚め
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アレクシスがベッドに入ったあと、ソフィアは椅子に座って腕組みをし、静かに転寝をしていた。
彼女はどんなところでも、さっと眠ることができる。誰かを守る仕事に就くというのは、常に自分が気を張っていなければならないため自然と身に着いたものだ。
アレクシスなどは、ソフィアがちゃんと寝ていないことを心配するのだが、彼女はそれほど気にはしていない。もちろん、ベッドでゆっくり眠ることができれば幸せなことだが、時間があるときに短い睡眠を重ねることで、必要な休息が取れており体もそれなりに回復している。
そして今日も、いつものように浅く眠っていたところ、ベッドが軋む音で目を覚ました。
音が聞こえたのは自分の左後ろのほうだったので、そちらを振り向く。
窓にかかった臙脂色の薄い生地のカーテンから、僅かに光が漏れ、ベッドから下りたユーインが目を擦っているのが目に入った。
「起きたか? 良かったら、こっちに座るといい」
ソフィアが抑えた声で聞くと、ユーインはびくりとする。
「ソフィ……じゃなくて、レイグスさん?」
ユーインは目を瞬かせ首をかしげる。どうしたのだろうと思ったが、すぐに理由が分かった。ずっと三つ編みにしていた長い髪を解いたままにしていたので、昨日と印象が違っていて分からなかったようである。
「ああ、ごめん。髪型が違っていて驚かせたね。大丈夫、私だよ」
そしてソフィアはふっと笑うと、アレクシスに言われたことをユーインに伝えた。
「それから、この部屋では『ソフィア』でいいよ」
「あ……、すみません」
ユーインは恐縮して謝る。
きっと名前呼びの許可を、「自分が言い間違えたから、偽名じゃないほうで呼んでいいと言ったのだ」と勘違いしたのだろう。ソフィアは言葉を付け加えた。
「ユーインが謝ることはないよ。先に降参したのはアレクシスのほうだしね」
「降参……?」
ユーインはベッドから下り、ソフィアと一つ椅子を空けて座ると小首を傾げて聞き返した。
「昨夜『偽名で呼ぶのをやめていいか?』って聞かれたんだよ」
「そうなんですか?」
きょとんとする彼に、ソフィアは事情を説明する。
「私たちは長年『ソフィア』『アレクシス』って言い合っていた仲だから、『レイグス』『ジェームス』と言ったり、言われたりするのが落ち着かないんだそうだ。呆れるだろう?」
アレクシスの未熟さを冷やかすように言ったつもりだったが、ユーインは少し考えると意外なことを口にした。
「……呆れるかどうか、というのは分からないですけど、僕もアルフィのことを別の名前で呼ばないといけなくなったら、それは嫌……、かもしれないです」
ソフィアは思わず目を見張った。まさかユーインが、アレクシスを庇うような意見を言うと思わなかったのである。
「あの、変なことを言いましたか?」
ソフィアの表情を見て、ユーインは困ったような表情を浮かべたので、彼女は「いや」と言うと、目を細め彼の言葉にうなずいた。
「それもそうだな」
ユーインはほっとした表情をうかべる。
「はい」
「それで、この部屋にいるときだけ本来の名前で言うことを許したというわけなんだ。だからユーインもアルフィも、ここにいる間は私たちの本当の名前で呼んでくれたらと思う」
「そうだったんですね」
「ただ、名前で呼ぶのはこの部屋だけだ。出たら元通り、『レイグス』『ジェームス』と呼んでくれ。私は自分の名前が露見してもすぐには影響はないからいいが、アレクシスのことは知られると困るんだ。君たちを助けることも秘密裏に動いているからね。追いかけてくる奴らに知られたら何をされるか分からないから、それは協力してほしい」
「分かりました」
ユーインがしっかりとうなずく。
その様子を見て、ソフィアは少し不思議な心地がした。
昨夜と比べてさらに聞き分けが良くなっている。
劇場内の檻の中で会ったときよりは馬車に乗ったとき、それよりも馬車から下りて借馬屋に行ったときと、徐々《じょじょ》にユーインとの会話が感情的にならずに落ち着いた状況で話ができるようになっている。
また、警戒心も随分と薄らいでいる。
全く消えたわけではないが、最初に会ったときのように獣が毛を逆立てるような感覚は間違いなく消えていた。
(何かあったんだろうか?)
ソフィアが留守にしている間に考え方が変わる、何かがあったのかもしれない。
しかし、聞くのは躊躇われたので、ソフィアは何気ないことを彼に尋ねた。
「もう、寝なくていいのか?」
「眠りたい気もするのですが、ちゃんと寝付けなくて……」
「そうか。寝ないといけないと思うと逆に疲れてしまうからね。無理はしなくていいよ」
「はい」
ソフィアは椅子の背もたれに体を預けると、しみじみとした表情でユーインを見つめた。
「まあ、何にせよ、ここまでよく頑張った。とりあえず、一つ大きい山は越えたからね」




