第51話 残された足跡の意図
「イグマンさま」
アベルは上司の名を呼ぶと、被っていたフードを取りすぐに頭を下げた。
「待っていてくださったのですか? てっきり、先に向かわれたのだとばかり……。遅くなってしまい申し訳ございません」
恐縮した様子で言うアベルに、イグマンは首を横に振る。
「謝らなくていいんだ。二人と一緒に向かったほうがいいと思って、勝手に待っていただけだから気にしなくていい」
「そうだったのですね。オルディガ伯爵がごねたせいで遅くなったのが腹立たしいです」
「だったら、馬の調達は大変だっただろう。無理を言って悪かった」
業務上必要なことであるというのに、オルディガ伯爵は現場の声をないがしろにする。それも自身の利益にならないようなことは一切受け付けない。組織全体のことなど考えていないのだ。
イグマンくらいになると、適当なことを言っていくらでも動かすことができるのだが、経験の浅いアベルたち相手だとオルディガ伯爵は「若くて、自分より劣位」と思って、意地悪なことも平気で言うし、その上立場を利用して反論できない言い方をしてくる。大変だったに違いない。
「いいえ。ご心配には及びません」
アベルは短くそう言った。彼はあまり表情を出すほうではないが、きっとイグマンに余計なことを考えさせないための気遣いだろう。
彼は部下の優しさに、「ありがとう」とお礼を言った。
そして、イグマンはアベルに自分の馬の手綱を差し出す。
「アベル、ちょっとこっちの手綱を持っていてくれ」
「はい」
言われて素直に手綱を掴むと、イグマンはさっとアベルの横を通り過ぎて、後ろで待っているヨハンのところへ向かう。
「ヨハン」
「イグマンさま。遅くなり申し訳ありません」
ヨハンもイグマンが来るとすぐにフードを脱いで頭を下げた。
「いや、来てくれてありがとう」
イグマンがそう言うと、ランプの頼りない光の中で彼が僅かに笑みを浮かべるのが見えた。
「来るのは当然のことでございます。イグマンさまに言われたことですから」
「頼もしいよ。それでだ。今からこの森に入る。日の出にはまだ早いし、森の中は木々があってさらに視界が悪いだろう。ランプがあるとはいえ、とにかく気を付けて付いてきてくれ」
イグマンの指示に、ヨハンは小さくうなずいた。
「承知いたしました」
イグマンはそれを確認したあと、アベルの元に戻る。
「アベル。ありがとう」
「いいえ」
手綱を彼から受け取ると、ヨハンと同じことを気を付けるように告げ、そのまま馬に跨った。
「これからが本番だ。よろしく頼むよ」
イグマンが軽く馬に声を掛けると、その間にアベルとヨハンが彼の傍まで乗馬した状態で近寄る。
「これからエレインを追う。遅れるな」
「御意」
二人が声を揃えて返事をすると、三人はセレレインの森の中へと入って行くのだった。
☆
イグマンたちがセレレインの森に入ったころ、エレインはちょうど川沿いの道を馬を下りて歩いていた。ランプを照らしてよく見ると蹄以外の跡があったからである。
(これは……靴の足跡だ。大人の足と……、これは子どものもの。間違いなくあの兄弟を連れて行った一行だ)
エレインは用心深く辺りを探る。
可能性としては低いが、何か仕掛けがしてあるとも限らないし、女護衛士が潜んでいるとも限らない。また、こちらを欺くために川を渡ったということも考えられる。
エレインは一旦自分の馬を近くの木に括りつけると、地面に残された足跡を用心深く見た。
(足跡が集中しているのは……、この木か?)
川縁から少し奥まったところにある、ライラの木である。樹皮が白っぽいのが特徴で、秋には沢山の木の実を落とす。
エレインはしゃがんでそこにランプの明かりを近づける。
(足跡から速度が感じられない。それに川のほうへ向かっているものも……ない。木の下には、確認できる人の尻ぐらいのくぼみが一つあるくらいだし……、もしかして単に馬から下りて座っただけ……か?)
しかし、そうならば相手は随分と余裕がある状態で動いていることになる。こちらが馬の調達にどれくらい時間がかかるかも予想して、休憩しつつ、急がず安全に馬を走行させていたということだ。
(そんなことできるのか?)
追われていたら、出来るだけ早く進み距離が詰められないようにしたいところだろう。だが、彼らには急いたところがまるでない。
しかも、時間的余裕があるにもかかわらず、靴跡が消えているところと消えていないところがあるのである。座ったであろう木の根元にあった尻のくぼみも、消すなら全部消したほうがいいのにそうしていない。
(普通なら痕跡を消すのに何故……)
するとエレインはハッとする。
(これは、俺たちを欺くための偽りの仕掛けだ)
一見すると、「追われているほうが追い詰められて慌てている」と判断しそうだが、余裕があるのにわざとそうしているのである。つまり追手である自分たちに「あっちは慌てている。その点俺たちは有利だ」と思わせようとしているのだ。
(度胸がありすぎじゃないか?)
エレインは相手の肝の太さに気づき、不敵な笑みを浮かべた。
(相手が悪かったと言わせてやる。俺たちはそんな手には引っかからない)
足跡が残っているところは一通り確認し終わると、エレインは自分の馬の元に戻り、次なる目的地である「分かれ道」へ向かった。




