第45話 ユーインの回想②——緊迫
「よし捕まえた」
男は、まるで罠でウォンビー(=ウサギの一種で、白い毛並みをしている。足が大きい)を捕らえたかのように言った。
「は、放せ! 放せったら!」
ユーインは手足を動かして必死で暴れるが、男の腕はびくともしない。彼がそんなことをしているうちに、隣にいたアルフィも別の男にあっさりと捕まってしまう。
「アルフィ!」
「お、お兄ちゃ――」
アルフィがユーインに手を伸ばそうとしたときだった。男の一人がアルフィの鼻と口を塞ぐように布で覆う。するとアルフィはだんだん目を閉じていき、最終的にがくんと体から力が抜けてしまった。
「アルフィ! アルフィ!」
ユーインが大声で弟を呼ぶが、ぴくりとも動かない。
「お前、何をしたんだ! このっ! 放せ! 放せよ!」
ユーインの中で荒々しい感情がぶわりと沸き起こる。
怒りと腹立たしさに加え、自分を捕まえている男から逃げなければという気持ちで、足をばたつかせ、手も精一杯動かして男の体を殴った。
だが、男はびくともせず、ただ面倒そうに「うるさいな。おい、早くこいつを黙らせてくれ」と仲間に言った。
「ハイハイ、分かってるって。——はーい、大人しくこれを嗅いでね」
すると、答えた男が布に液体を染み込ませているのがちらりと見える。
アルフィが嗅がされたものと同じだろう。
彼はその布をユーインの顔に近づけてくる。そのとき布から甘ったるいが鼻の奥がツンとするようなにおいを感じた。ユーインは反射的に体をねじったり、首を布のないほうに動かしたりして抵抗する。
「い、嫌だ! 嫌だ! やめろ!」
「中々根性があるな」
布を持った男が感心したふうに言うと、急にユーインの顎をぎゅっと掴み、あっという間に動きを封じてしまう。
「……!」
これ以上力を入れたら、首を痛めてしまうことはさすがのユーインにも分かる。
どうにか抜け出そうにもできないでいるユーインに、男は彼を見つめて明るい声で言う。
「でも、さっさと吸っちゃったほうが楽になるよ。一階は大惨事だし。通るとき見たら夢に出て来ちゃうから、さっさと眠ってしまったほうが身のためだよ」
「え……?」
男の言葉に、ユーインが最悪なことを想像して凍り付いたときである。
廊下から、聞きなれた声が自分のことを呼んだ。
「ユーインさま! アルフィさま! どちらにいらっしゃいますか⁉」
すると、ユーインの顎を掴んでいた男の手が離れて、こちらに背を向けた。廊下に来た人物と対峙したのだ。
「グレン!」
ユーインは声の主の名を喜々として呼ぶ。
グレンはジェレミア伯爵家の執事だ。
父とあまり歳が変わらないくらいのグレンは有能で、ジェレミア家を支えているだけでなく、ユーインやアルフィの話をいつでも聞いてくれる優しくて頼りになる人である。
だが、体を反らして廊下に立つグレンの姿を見たユーインは、すぐに明るい表情を引っ込めた。
男たちが持っているランプだけではっきりとは見えなかったが、それでもグレンはあちこち怪我をしているようで、顔や腹の辺りが黒い液体のようなもので染まっている。間違いなく血だろう。
その満身創痍のグレンが、普段はきれいに後ろに流している金色の髪を乱し、怖いほどの鋭い目つきで睨みつけ銃口をこちらに構えていた。
「お二人を放せ!」
グレンが男たちに命令する。だが、彼らは全く動揺していなかった。
「大切なお坊ちゃんがいるのに、撃てるのかな?」
ユーインを捕まえている男がそう言うと、グレンの表情に苦悩が混じるのが分かる。
その一瞬だった。
男の一人が太ももにに付けていたホルスターから銃を抜くと、上部を素早くスライドさせすぐに構えて発砲する。バンッ、と音が鳴った瞬間、グレンがうめき声を上げた。
「うっ!」
「グレン!」
ユーインが叫ぶと、今度はグレンがこちらに発砲する。
誰かに当たったか、と思われたが、どうやら隙を作るために撃っただけだった。彼は、男たちが仲間に弾が当たっていないかを確認している僅かな間に、ユーインから見て廊下の右のほうへ走って行ってしまう。
「グ、グレン……!」
グレンに置いて行かれてしまったのだろうか。
すると、左からの足音が大きくなり、数人の男たちが部屋の前の廊下を通り過ぎている。どうやらグレンの後を追って行ったらしい。
男たちが来た方向は、一階に続く階段がある。
どうやらグレンは、階段から誰かが来たことに気づき、部屋の奥へ向かったようだった。見捨てられたわけではないと分かり、こんな状況でもほっとする。
(よかった……。でも、グレンに頼れないとすると誰が自分たちを助けてくれるのだろう……?)
「奴は追い掛けて行った連中に任せよう。こっちはこの坊主を何とかしないとな」
そう言うと、グレンを撃った男は拳銃をホルスターに戻すと、再びユーインのほうを向き布を顔に近づけてくる。
ユーインはハッとして再び大声を出し、体を動かして抵抗した。
「嫌だ! いやだあ! グレン! 父上! 母上!」
少しでも時間を稼げば、グレンが戻って来てくれるかもしれない――。
そんな淡い期待を胸に自分なりに頑張ってはいたが、急に男がユーインの頭を押さえてきた。そしてあっという間に布で鼻と口をふさがれる。
「最初からそうやって力づくですればよかったのに」
ユーインを担いでいる男が呆れたように言った。
「仕方ないだろう。上層部に連れていけっていうんだから、傷つけないように気を付けていたんだよ」
ユーインは最初はにおいをかがないようにしていたが、そのうちにだんだんと目が重くなっていく。
「グレ、ン……」
その言葉を最後に、ユーインは気を失ってしまうのだった。




