第42話 休むことが仕事
「そうだよ」
アレクシスは何でもないことのようにうなずく。
彼は侯爵という上流階級の生まれであるにもかかわらず、質素なところで寝泊まりすることはもちろん、野宿にも抵抗がない。
それもそのはずで、子どものころから土臭いリョダリのところにも出入りしていたし、庶民を装って調査をすることもあるため、こういうことは慣れているのだ。
「まあ、庶民的な建物だとは思うけど、清潔だし寝る分には問題ないよ」
ユーインが絶句しているので、ソフィアが補足する。
彼は納得していないような表情を浮かべていたが、一時的に滞在するだけの場所をどうこう言っていても仕方ない。
そもそもスビリウスの追手がいる状況で、見た目も接客も一流のところに泊まるのは、アレクシスのことを教えるきっかけを与えることになってしまう。
総合的に考えれば、ここに泊まることは最善の選択である。
アレクシスが宿屋の受付で手続きをし、仲居たちに馬を預かってもらうと部屋へ向かう。
ただ、アルフィはすでに寝てしまっていたため、アレクシスが抱えて連れて行くことになった。
「ジェームス、大丈夫か? きついときは代わるぞ?」
ソフィアが持っているランプを頼りに、一行は狭くて傾斜が急な階段を上がっていたが、さすがに大変だろうと思い声を掛ける。
「ううん、問題ないよ。普段から息子を抱えて階段の上り下りをしているから、慣れているし」
「だけど、君のところはまだ小さいだろう。十一歳の子は重いんじゃないか?」
アレクシスには、三歳と生まれたばかりの二人の息子がいる。
普通貴族のしつけや育児は、乳母や使用人、家庭教師が担うところが大きい。
だが、彼の妻であるリューイから貰う手紙では、グロリア家ではアレクシスも彼女も積極的に育児に関わっているということが書かれていた。
貴族というと家族に対して冷たい印象が多いが、グロリア家は血の通ったところがある。それは先代から受け継がれているらしい。
「まあね。でも、これくらいは大丈夫」
「そうか」
アルフィのことはアレクシスに任せて、二階まで上りきると、真っすぐに伸びた廊下の一番端まで歩く。
そこには「383」という番号が振られていて、受け付けて受け取った鍵の札にも同じ番号が書かれていた。
(この部屋だな)
ソフィアは鍵を穴に差し込み、解錠する。
扉を開けるが、そこには真っ暗な空間が広がっているだけで、何も見えない。
そのためソフィアが先に入り、部屋の真ん中に備え付けてある大きな蝋燭に火を灯す。すると、ようやく部屋の家具の位置が分かった。
仕切りのない部屋の左手にベッドが二つ備え付けてあり、一番奥には大きな窓にカーテンがかかっている。
大きな蝋燭が置いてあったのは、中央に置いてある木でできた丸いテーブルの上で、その周りには椅子が四脚ある。それ以外の家具は二つのベッドしかなく、とにかく素朴な部屋だった。
「入っていいよ」
ソフィアに言われて、ユーイン、アレクシスと続いて中に入るが、アレクシスがアルフィを抱えていて扉を閉められなかったため、ユーインが代わりに閉めてくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして……」
照れくささを隠すように返事をしたユーインに、アレクシスは笑いかけたあと、彼は「アルフィはどちらに寝かせる?」と尋ねた。
「そうだな……」
アレクシスに聞かれ、ソフィアは荷物を下ろしながらじっと辺りを見た。
ここまで来たからには、まずドラウス男爵のような、闇取引の「客」のことはほとんど考えなくていいだろう。
彼らが夜明けまでに、ソフィアたちの位置を突き止めるのは不可能である。夜明けが来れば、追うことはできない。それが闇取引のルールだからだ。
問題は主催者の「スビリウス」である。
彼らがもしここへ入ってくるとしたら、どこを狙うか。
(大きな窓は南側。扉は北側……。どちらも注意すべきだが、より注意すべきは扉のほうか……。ここは二階だし、南側には人通りも多い。壁をよじ登って来れたとしても、人目に付かないように気を付けているスビリウスが、わざわざ目立つような選択をするとは思えない。……とするならば、だ)
「窓のほうに寝かせてやってくれ」
「分かった」
アレクシスはうなずくと、アルフィを窓側のベッドのほうへ寝かせてやる。寝顔を見ると、すっかり深い眠りに入ってしまったようで、気持ちよさそうに小さな寝息を立てていた。
「レイグスさん、あの、僕は……」
テーブルの辺りでどうしたらいいか分からずおずおずと尋ねるユーインに、ソフィアは彼のほうを向いて明るい声で言った。
「ユーインは、アルフィと一緒に寝るといい。さすがに私かアレクシスと寝るのは嫌だろう」
するとユーインはほっとした表情を浮かべる。乗馬と同じく、ソフィアと一緒に寝ないといけないと思っていたのかもしれない。
「ありがとうございます。でも……えっと、それなら、レイグスさんたちは、どこで寝るんですか……?」
ユーインが気を使って聞いてくれる。
根は優しい子なのだ。少しずつ積み重なってきている信頼を感じ、ソフィアはふっと笑った。
「私たちは見張りを交代しながら寝るから、気にしなくていい」
「そう、ですか……」
「申し訳ないみたいな顔をしなくていいんだよ。明日のために、ゆっくり寝ていなさい」
「明日は何かあるんですか?」
「ここを出て、また別の場所に行かなくちゃならないんだ。行き先はまだ決めていないけどね。だから、しっかり休みなさい。途中でバテられちゃ困るからね。それが今のユーインと、アルフィの仕事だよ」
自分たちが足手まといにならないこと。それが大事だと分かり、ユーインはしっかりとうなずいた。
「分かりました」
「よし。——それじゃあ、アレクシス」
「うん?」
ユーインの表情が幾分明るくなったところで、ソフィアは手にしていたランプをテーブルに置き、窓側のベッドの傍にいたアレクシスを振り返ると、にっと不敵な笑みを浮かべた。
「私は一度、この部屋を出る」




