第2話 幕が上がるとき
ソフィアは、ふんっと鼻を鳴らし、顔を寄せて答える。
「『まだ』だって? 当たり前だろう。私を騙したのだから」
「騙してない」
アレクシスは反射的に言い返し、言葉を続けた。
「十年前、君は私の父に『もう二度とここへは来ない』と言っていたからね。以来ずっと『西の端に引っ込んだまま』だ」
「……」
十四年前、ソフィアは十八歳という若さで、セルディア王国の王家を守る「影の護衛」を任されていた。
しかし、彼女は貴族でもなく、ましてや騎士の出身でもない。
それにもかかわらず王家の傍にいて護衛をしていたのは、三十年近く前から起こっている貴族たちの戦いのために、名も知られていなかったソフィアの一族、「リョダリ」が王家を守るための契約を結ぶことになったからである。
当時から貴族の間では、税金の問題で王家派と反対派と大きく二つの派閥に分かれ、対立していた。
現王でもあるフェリウス二世は、これまで貴族や宗官(=聖職者のような仕事)、商人に行ってきた税金免除を無くし、取るところからきっちり税収を取って財政を安定させようと考えていた。
だが、甘い汁を吸っていた者たちは当然反対。
以来、言い争いが絶えなかったが、次第に王の周辺に暗殺者がうろつき始めたのである。反対派の者たちが「自分たちの思うままに政治が行われないのなら、王を始末してしまおう」と思ったのだろう。
一方、現王の家族を守らなければならないと思った王家派の貴族たちは、考えた末に「リョダリ」という一族に王家護衛の依頼をした。
「リョダリ」はセルディア王国の西の国境付近に住む者たちで、「戦いに優れている」ことが風の便りによって聞かれていた。
彼らは陸路で隣国へ行く商人たちを盗賊から守ることで、生活費を稼いでいたのである。
その腕を買われてリョダリは貴族との契約以後、王家の護衛をするようになり、ソフィアも十八歳から、王はもちろん王妃、王子たちの護衛も担ってきたのだ。
だが、この国では王を守るだけでは、どうにもならない問題があった。
それが「闇取引」である。
「オウルス・クロウ」では、表立ってやり取りすることができない、盗品や人間の売買が行われる。王家では以前からこの取引の存在を知っていたが、煙のように現れ、いつの間にか消えているために、被害の声は聞こえてくるも実態が中々掴めなかった。
だが、何もしないでいれば彼らがのさばるのは分かり切ったことである。また、民を導くべき貴族が絡んでいることも看過できなかった。
そのため、王家と彼らに特に近い貴族たちが秘密裏に潜入捜査班を結成し、調べることにしたのである。
当時王家の護衛を勤めていたソフィアだったが、「オウルス・クロウ」の調査には腕の立つ人材が必要だったため引き抜かれた。
そして「シンファ」という偽名で、二十歳からアレクシスの父であるヒューゴと共に、「オウルス・クロウ」に盗まれたものや、捕まった人を助けるために潜入捜査をしたのである。
しかし二年後、ソフィアはその仕事を退いた。
助けるべき人を助けられなかったからである。
それが彼女にとって深い傷となっており、「オウルス・クロウへは二度と戻ってこない」とも宣言したことも、はっきりと覚えている。
何より、あの日のことは忘れたくても忘れられないのだ。思い出せば、ソフィアの胸の奥には苦いものが広がる。
護衛の経験はあるし、大抵の戦いに勝つ自信もある。
だが、「オウルス・クロウ」が相手となると訳が違う。彼らは襲う相手を決めると誰だろうと躊躇しない。
そのため、アレクシスから送られていた「子どもを助けてほしい」という手紙に、オウルス・クロウのことが書かれていたら断っていたはずなのだ。
だが、アレクシスはソフィアが断るであろうことを想定して、書かなかったに違いない。
ソフィアが彼の元に急いで訪ねて来たときには後の祭りである。
ここまで来たからには仕方がないこととはいえ、今回の仕事はいまいち乗り気になれなかった。
(上手くいくだろうか……)
彼女が心の中で己に問いかけたときである。会場に来ていた人々から歓声が上がった。
周囲の声に反応し、アレクシスとソフィアが壇上に視線を移すと、取引の舞台に次々と商品が運び込まれて来た。そして会場に響くようにマイクを取った一人の男が、壇の中央に立つと恭しく頭を垂れる。
「紳士淑女の皆さま、ご機嫌よう」
薄ら笑いを浮かべたような白地の仮面を被った男は、こもった声でそう言った。
「始まったな」
アレクシスが静かに言うと、ソフィアは「ああ」と淡々とうなずく。
不気味な笑みの仮面を見るのは久しぶりだが、十年前と何も変わっていない。
「今宵も始まりました。『オウルス・クロウ』。開催は二年ぶりでしょうか。きっと皆さま、待ちに待ったことでしょう。それにしても、これほどまでに長いこと開催しなかったことは今までにありませんでした。そのため皆さまは、私たちがとうとうついに闇の中へ姿を消したと思ったかもしれません。しかし、ご覧ください! 私たちは、不死鳥のごとく復活いたしました!」
観客席から拍手が沸き起こったが、ソフィアは司会の男が放った言葉に愕然としていた。




