第13話 隔たりのない貴人
(先代のグロリア侯爵は、いつも自分の馬車がどこにあるかを私に尋ねていたな)
ソフィアは十年前のことを思い出す。
まだ彼女がオウルス・クロウの潜入捜査の一員として動いていたとき、指揮を執っていたアレクシスの父・ヒューゴは、暗闇で何かを探すとき必ずソフィアの「目」を頼っていた。
族長の地位を継ぐ者の目は、不思議と夜目がきく。日が差しているときとは見え方は違うが、昼間と同じくらいに物を判断することができるのである。
しかし、何故そうなるのかは、ソフィアにもよく分からない。「昔から伝わる言い伝え」のようなものがないことはないが、彼女は信仰深くない質なので、鼻から信じておらず、ただただ「昔からそうなっていた」とだけ思っている。
ソフィアの「目」が特別であることを知っているのは、族長の両親と彼女の伴侶、そしてグロリア侯爵のみだが、グロリア家の当主を継いだアレクシスは、ソフィアの目の能力を知っている。
「分からなければ、私の『目』で――」
言いかけると、アレクシスは手でそれを制止させた。
「いいや、大丈夫。馭者とは、どこに停めておくのか最初から話して決めてあるんだ。それに、もう見つけた」
アレクシスは「あれだ」と言って指をさすと、すぐにその馬車のほうへ歩き出した。
ソフィアは少し驚く。
「見つけてくれ」と命令されれば、ソフィアは従う。子どものころからの付き合いといえど、今の状況は主従関係である。よって、命令されたら従うのは当たり前のことだ。
侯爵とリョダリでは、身分に大きな差がある。
たとえ王家の影の護衛を頼まれたところで、彼らには国王の親衛隊や騎士といった高位は決して望めない。せいぜい、「リョダリ」という部族の存在と、これまで生活してきた自治を認めてもらう程度である。
そのような中で、先代のグロリア侯爵はソフィアと仕事をする間、主従関係はありながらも、心を砕いていてくれていた。
だからこそ、リョダリという存在を認めてくれているグロリア侯爵に対しては、でき得る限り力になりたいと思っているのに、アレクシスはソフィアに命令をすることを嫌う。さらには、彼女の力を道具みたいにして使うのはもっと嫌悪する。
無論、ソフィアも「ソフィア」としてアレクシス個人に命令されたら嫌だが、彼は外では「グロリア侯爵」であり、この場に至っては「主人」と「雇われ護衛」なのだ。
ゆえに、ソフィアに命令していいのである。
だが、アレクシスは律儀なのか、仕事中だろうが何だろうが、人が見ていないところでは、「ソフィア」として応対する。
(全く、こんなんで指導者として仕事ができるのかねぇ……)
ソフィアはやれやれと小さくため息をつくと、馬車に向かうアルフィとユーインに続いた。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
アレクシスに気づいた老齢の馭者が、ランプを持って素早く降りて主人を迎えた。
「移動する。行き先は途中で変更するかもしれないけど、とりあえず予定通りで頼む」
「お任せください」
年齢を思わせない手際の良さで、馭者は馬車のドアを開けた。
「さあ、乗って」
アレクシスに促され、少年たちは馬車へと乗り込み、アレクシス、そしてソフィアがそれに続く。
馬車は間もなく動き出し、劇場の敷地を出た。
「まずは着替えないとな。ドレスのままだと動きづらいだろう」
ソフィアが言うと、アレクシスは持っていたランプを足元に翳し、向かい側の進行方向に座っているアルフィの足元を指さした。
「この子の足元に、二人の服は入れてあるよ。でも、君たちがどれくらいの背格好なのかは分からなかったから、サイズは少し大きいかもしれないけど……って、うわぁ!」
ユーインやアルフィが反応する前に、ソフィアが自分の足元にある引き出しを開ける。そうかと思うと、今度は仮面を外し、着ていたドレスも脱ぎ始めた。
光が頼りなく、あまりよく見えないとはいえ、ユーインはふいっと顔をそむけ、アルフィは顔を俯けた。
「おい、ソフィア……。二人が戸惑っているが」
「このままじゃ戦いづらいんだ。仕方がないだろう」
「そうじゃなくて、今日初めて会った婦人が突然着替えだしたら驚くだろうって言っているんだ」
隣に座るアレクシスが彼らの気持ちを代弁するが、ソフィアは厳しく言う。
「あのな、アレクシス。細かいことをいちいち気にしていると、後ろに付いてきている奴らに出し抜かれるぞ」
「もう、付いてきているのか?」
「当り前だ」
ソフィアはドレスを手早くたたみ、引き出しの中に突っ込むと、下には伸縮性のあるズボン、上には同じく動きやすい長袖のシャツを羽織る。暗闇に紛れ込めるように、どちらも濃い土色だ。靴も踵の高いものではなく、革でできた丈のあるものを履く。
「車輪の音がうるさくて聞こえないかもしれないが、少なくとも二台は付いてきている」
「少なくとも二台、か……」
アレクシスが仮面を外すと、優男の顔が現れる。だがその表情は暗い。
「もしかすると、朝まで逃げないといけないかな?」
「そう思っていたほうがいいだろうな」
ソフィアがうなずいたときだった。二人の会話に、ユーインが口を挟んだ。
「付いてきているって、それは誰なんだ?」




