第105話 交渉
「知らないね」
スビリウスが「シンファ」のことを調べている理由は分からない。
バルトルの弟がシンファに復讐したくて来たというのは本当だろうが、無精ひげの男の目的は違うだろう。護衛の一人の復讐心のためにスビリウスが動くとは思えない。寧ろ、アドルという男が『シンファ』に復讐心を利用されたと考えたほうが妥当だ。
「知らない? そんなことはないと思うんだけどな。エレナのことを忘れるなんて、意外と冷たい人なんだね」
ソフィアの短い答えに、無精ひげの男が感情を逆なでるような言い方をする。これに反応しては相手の思う壺だ。
「初めて会ったわりに、まるで私のことを知っているふうな素振りじゃないか」
「もちろん。『シンファ』について調べていたから、詳しくもなるよ」
「だから私はシンファではない」
呆れたように答えると、男は明かりのない部屋にいるソフィアをじっと見据えると感情の籠らない声で短く尋ねた。
「本当にそうかな?」
男の放つ気配が研ぎ澄まされ、部屋の緊張感が一段と増す。
時折流れて来るちりっとした痛みのような男の気配は、何を言っても中々ソフィアが尻尾を出さないため、苛立っているのかもしれない。どちらにせよ、気配をここまで操ることができるのは並大抵のことではないことだ。
ソフィアはいつ飛び出し来る攻撃にも対応できるように、右手の中にある棍を軽く握る。
「まあ、どちらにせよ、俺たちの仕事はあんたが手に入れた景品を返してもらうことだ。すぐに手渡してくれるなら、俺たちはそのまま引き下がるよ。どう?」
無精ひげの男が、交渉を持ち出してきた。
ソフィアが「シンファである」と言わないため、それを理由に戦いはできないと思ったのだろう。よって、別の方法に出たようである。
「景品として手に入れたのに返せとは、ずいぶん虫のいい話だ。そんな話に乗るわけがないだろう」
「代わりのものを用意している。それと交換でいかがだろうか?」
「代わりのものとは?」
「同じようにきれいな顔をした少年二人だよ。どう?」
男の誘いに、ソフィアは「悪いが断る」と即答する。
「何故?」
「それは私が決めることではないからね。主の意向なんだ。交換しない」
「では、あんたの主とやらと話をさせてもらおうじゃないか。ベッドの陰にでも隠れているんだろう?」
「聞いていなかったか? 交換しないのは主の意向だ」
「『交換しないのは主の意向』か……。まるでこの提案が最初からあると知っていたかのようだ」
「先におかしな行動をし始めたのはそちらだろう。『横取り』ができる時間からとうに過ぎているというのに、それが成り立つほうがおかしい。獲得した景品を次の日まで追っていいとは、規約に書いていなかったはずだ」
そしてソフィアは床に転がっているイグマンを棍で示しながら尋ねた。
「この男にも昨日の早朝にも尋ねたが、闇取引はやり方を変えたのか?」
ソフィアの質問に、男はすぐには答えなかった。
部屋の中でソフィアの気配と無精ひげの男が放つ緊張感のある気配、そしてアドルの足元を這いずってくるような気配がゆっくりと混ざっていき、重苦しい空気へと変わっていく。
しばらくすると、宿屋の外から人々の話す声が聞こえていた。
きっと騒ぎを聞きつけた人たちが警官に連絡したり、周囲の人たちに知らせたりしたのだろう。ここはジオグン街の警官たちとは違って、小さい町ではあるが地元民の結束が強く助け合いの精神もある。そのため、ジオグン街のように意図的に現場に来るのを遅らせるということはないだろうとソフィアは思っていた。
(あと、もう少し……)
事情聴取されるのは面倒ではあるが、多勢に無勢。ソルドーの町の者たちが来てくれれば、彼らも一旦退くであろうとソフィアは思った。
しかし、その考えは甘かった。
無精ひげを生やした男はソフィアの予想とは違う行動をしたのである。
彼は着ていた上着のポケットから拳ぐらいの大きさの小瓶を取り出すと、中身を床にまき散らしながらぽつりと答えた。
「その問いに答える義理はない」
ソフィアは「何故——」と言った瞬間だった。無精ひげの男とアドルが一斉に彼女との距離を詰めてきたのである。




