異邦人の価値
カイルとの約束の日。
健は夜明けと共に起き、いつものように槍の鍛錬を始めていた。
突き、薙ぎ、払い。
反復される動作は昨日よりも明らかに滑らかで力強い。
レベルアップによる身体能力の底上げと、【槍術】スキルによる技術の補正が、彼の動きを日ごとに洗練させていた。
鍛錬を終え、朝食の干し肉を噛んでいると、カイルが森の奥から姿を現した。
その表情は昨日よりも明らかに明るく、健に対する警戒心はほとんど消え失せているように見えた。
「ケン」
カイルが発した言葉は、健の名前だった。
健もまた、覚えたての言葉で応える。
「カイル。来たか」
【異界言語理解】スキルのおかげで、カイルの言葉が断片的な単語ではなく、意味を持つ文章として頭に入ってくる。
まだ完璧ではない。それでも昨日とは雲泥の差だった。
カイルの視線は、健が傍らに置いた石槍に釘付けになっていた。
その瞳には、子供らしい純粋な憧れと、職人を見るような真剣な眼差しが混じり合っている。
「ケン。そのヴィン、強い」
「ああ。これがあれば獣も怖くない」
「作り方、知りたい」
カイルの言葉は単刀直入だった。
彼の集落の武器は、もっと粗末なものなのだろう。
健は少し考えた。自分の技術を教えることは、この少年と、そしてその先にある集落との関係を大きく変える可能性がある。
それはリスクかもしれない。
だが、それ以上に大きなチャンスでもある。
「いいだろう。だが、簡単じゃないぞ」
健はそう言って、槍作りの基本からカイルに教え始めた。
硬く鋭く割れる石の選び方。
衝撃を吸収する、しなやかな枝の見分け方。
カイルは驚くほど聡明だった。
健が一度手本を見せると、その要点をすぐさま理解し、不器用ながらも必死に模倣しようとする。
石を打ち欠く作業で何度も指を叩き、血を滲ませても、彼は弱音一つ吐かなかった。
その姿に、健はかつての自分を重ねていた。
作業の合間、二人は多くの言葉を交わした。
健はカイルから、集落の断片的な情報を聞き出していく。
「集落の狩り、最近ダメ」
カイルは、石を削りながらぽつりと漏らした。
「なぜだ?」
「森の獣、少ない。それに、病の獣、多い」
「病?」
聞き慣れない言葉に、健は眉をひそめた。
「黒い斑。肉、食べられない。火、弱い」
カイルの言葉は拙く、断片的だった。
だが、健はその言葉の断片をつなぎ合わせ、集落が置かれている深刻な状況を推測する。
不作なのだ。狩りの獲物が減り、さらに未知の病によって食べられる肉が減っている。
そして「弱い火」という言葉。それはおそらく、火を起こすための火口や燃料が不足しているか、あるいは何らかの理由で火力が弱まっていることを示しているのだろう。
食料不足とエネルギー問題。それは、原始的な共同体にとって死活問題に他ならない。
よそ者を頑なに拒絶した、あの門番の険しい顔が脳裏に浮かんだ。
あれは、ただの排他主義ではなかったのかもしれない。
残り少ない食料と資源を守るための、余裕のない、必死の防衛本能だったのだ。
「カイル。集落の大人たちは、どうしてるんだ」
「長老、祈るだけ。父さんたち、遠くまで狩り。でも、獲物ない」
カイルの瞳に、子供らしい無邪気さとは違う、諦めと焦りの色が混じった。
古いやり方に固執し、変わろうとしない大人たち。
日に日に悪化していく状況。
この聡明な少年は、自分たちの共同体が緩やかに滅びに向かっていることを、肌で感じ取っているのだ。
だからこそ、彼は掟を破ってまで健に接触した。
自分たちの知らない技術を持つ、異邦人。
健の存在は、カイルにとって最後の希望の光なのかもしれない。
健は、自分がやるべきことを見出した気がした。
ただ独りで生き延びるのではない。
彼らを助けることで、この世界に自分の居場所を築くのだ。
自分が持っている知識。それはこの世界にとっては、魔法にも等しい価値を持つ可能性がある。
例えば、衛生の概念。効率的な道具の作り方。あるいは、食料の保存方法。
「カイル。もっと良い道具、作れる」
健はそう言うと、地面に木の枝で簡単な図を描いた。
それは、弓の絵だった。
「これは?」
「弓だ。これがあれば、遠くから、安全に獣を狩れる」
槍よりもはるかに高度な技術を要する武器。
だが、今の自分なら作れるかもしれない。【原始的な武具作成技術】は、まだレベル1だが、その知識は健の頭の中に確かにある。
カileは、地面に描かれたその奇妙な武器の絵を、食い入るように見つめていた。
彼の瞳の中で、諦めの色が消え、新たな希望の火花が散るのを、健は確かに見た。
夕暮れが森を包み始める。
カイルは、自分で削り出した、まだ不格好な石の刃を大切そうに懐にしまい、帰る準備を始めた。
「ケン。また、アスタ」
「ああ。また明日」
集落へ帰っていくカイルの背中は、今朝来た時よりも、少しだけ大きく、そして力強く見えた。
健は、一人残された焚き火の前で、自分の手のひらを見つめる。
この手で、何ができるのか。
この世界で、自分はどう生きていくべきなのか。
答えは、まだ見えない。
だが、進むべき道の先に、微かな光が差し込んできたことだけは、確かだった。
健は、夜の闇が迫る森の中で、新たな道具作りの構想を練り始めていた。




