湖と桃木
平安の世。誰もが厚着をし手を擦りながら白い息を吐く今日は町を並外れた寒さ記録した日だった。
「寒い...」
12月半ばと言う冷え込みが一段と増していく中、深夜の誰もいない湖に女が一人身を投じていた。
カチカチと歯を鳴らし、小刻みに震える肩を力強く抱いて一歩、また一歩と沈んでいく。
腹の辺りまで沈んだ頃だろうか。少し後ろから男の声が彼女の歩みを止めさせた。
「嫌だねぇ。こんな綺麗な月夜の晩に女の自殺を見るなんて。」
「どなた...でしょうか。」
「ニッ」
振り向きもせずかけられた質問に、男は釣り上げた口を扇子で隠しニマニマと笑う。
質問に答えるつもりはないのか、そのまま男はつらつらと話し始めて女は呆然と月を見上げてた。
「この時期の湖は心の臓を止めほど冷たいはずなんだけどねぇ。それ、趣味なの?」
「...」
「せぇーっかく堅っ苦しい家を忍びで抜け出してきたってぇのに。見るのが入水自殺の現場。俺の身にもなってよ。」
「...10秒、目を瞑り時をお数え下さいませ。」
「ん?」
「次に見る湖はざぞ綺麗な月を映しましょう。」
「...。君は?」
「私は...揺れる月を眺める事にします。」
男からは女の顔は見えないが、頬を伝う雫は見逃さなかった。
パチン!と扇子を畳みサクサクと歩みを進める男の足音に女は俯き顔を覆い隠す。
まるで正体がバレる事を危惧するかのように、長い髪の毛をハラリと垂らして境界線を作り上げた。
「ならその月、俺と一緒に見れないのかい?」
「女の一人旅にございます。優しい殿方は草木の香りを堪能して下さいませ。」
「なら無理だな。優しい殿方なんぞどこにもおらん。この時期の水はさぞ苦しいぞ。覚悟はあるのか?」
「...」
さっきまでの少しおちゃらけた雰囲気はどこへやら。真剣に聞いてくる声に、女から小さな息詰まりの音が聞こえる。
無言でブルブルと震えるその姿を見て、ふぅと小さくため息をついた男はスッと女に手を差し出した。
「ないだろう。さ、早く上がってきなさい。体の芯まで冷やしてしまっては凍ってしまう。」
「ありがとう。」
絞り出したような礼に嗚咽が混じる。
その言葉に安堵し、フッと体の力を抜いた男だったが目の前で女はドブンと水しぶきをあげて消えていった。
「え。ありがとうって止めてくれてじゃなくて!?」
あまりの出来事に腹から出たツッコミを湖に投げかけて大急ぎで後を追って湖に潜るが、刺すような水の冷たさに眉間の皺は深く刻まれ肺の中の空気はゴポゴポと抜けていく。
冷たいという感覚が消えるのは早かった。だが男は沈む女を目掛けて手を伸ばし続け、そしてついに女を掴んだ。
だが引き上げようと上を目指したはずなのにまるで底に吸い込まれるように落ちていく。二人を引き込む正体に男はギョッと目を剥いて女の懐に手を突っ込みソレを捨てた。
ザバ!!
「びぬっ!!おんぎでびぬっ!!!」
ゾンビさながらに湖から這い出て、口を大きく開けながら酸素を取り込みガハゴホと噎せ返る男の発した第一声はなんとも聞き取れない意味不明な言葉。
ズルズルと二人で上がり、意識のない女をゴロンと仰向けに寝かせ胸を強く押せば女に反応があった。
「ガハッ!!ガハッ!!」
「っはぁー、危機一髪。ここまでしてんのに死なれたら後味悪いったら。…この女、どこかで…。」
口から溢れた大量の水を見て一安心した男はまじまじと女の顔を見て首を傾げている。
少しして思い出したのか、さっきまで寒さで震えていた体はピタリと止まり、次に目と口を大きく開けて息を呑んだ。
「まさか…桃木の陰陽師。桃木千影…か? 」
まだ妖の蔓延る平安の世。桃木はこの時代を象徴するかのような立派な陰陽師家系。中でも”千影”と言う女は現代当主をも上回る、歴代最強と言わしめた優秀な陰陽師だ。
そんな陰陽師によく似た女。
男は手で口を抑え、動揺を隠しきれなかった。
「べっくしょ!!さっっみぃ。仕方ねぇ、とりあえず屋敷に連れ帰るか。」
凍える体に力をいれて、ぐったりと動かない女を抱き上げながら今度は来た道を戻る。
そんな男の目はギラギラと輝いていた―。




