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送らなかった手紙

作者: 三山 千日

 空の色がすっかり淡くなり、日を追うごとに風が冷たさを増していく中、私は久し振りに押入れから編み針を出した。


 編み針を持ったのなんて、いつ以来だろう? 確か、中学生の頃だったかな。当時、学校で編み物が流行り、それに倣って始めたんだったっけ。

 まあ、結果はマフラーの一本も編み上がらないまま、飽きて放ったらかしてしまったのだけれど。


 でも、今度は違う。なにせ、上京した彼氏に、手編みの手袋をプレゼントするという使命があるのだから。


 今春、地元を離れ、東京の企業に就職した、遠距離恋愛中の恋人。

 クリスマスには私に会いに来ることを約束してくれた彼の為に、なんとしてでも完璧に仕上げなければ。

 学生時代の二の舞になんか、絶対にしないわ。



 まず、練習用に自分のマフラーを編んでみる。

 毛糸を編む手付きはあまりにも辿々しく、その上、目数を間違えたり、目が外れたりと、もう散々!

 失敗しては解き、再度編み直す作業を何度繰り返したろう。出来上がりはちょっと不格好だけど、棒針にはすっかり慣れたから良しとする。



 さて、お次は本番だ。

 二本の棒針を四本に増やして、彼用の手袋作りに取り掛かる。


 東京の冬は、地元と比べると、ひどく寒いらしい。

 先日、こちらから電話を掛けた時に、彼がそうボヤいていたから、この手袋が彼を厳しい寒さから守ってくれますように、と一目一目に願いを籠めて編み進める。



 暇さえあれば棒針を持ち、時間を忘れるほど懸命に編み物をすること約十日。

 ようやく手袋の片方が編み上がったところで、彼から連絡があった。

 内容はとても残念なもの。

 クリスマスも正月も、仕事や用事で帰省できなくなったとのこと。


 ならば、私が会いに行ってもいいかと尋ねたけれど、生憎、予定が詰まっていて相手をしてやれそうにないからと、断られた。

 ゴメン、と謝る彼の声には覇気がなく、とても疲れているのが、低く沈んだ声から察せられる。

 日頃から電話やメール、メッセージをする度に、仕事が多忙で休む間もない、と嘆いていた彼のことだから、きっと多くの仕事を任されているのだろう。


 私との約束のあったクリスマスの夜に、仕事が入ってしまったのは、勿論、残念だ。でも、任された仕事をこなそうと頑張る彼に、会えないことを責めたり、ワガママを言って困らせるわけにはいかなかった。

 彼に面倒な恋人だと思われて、嫌がられるなんて、死んでも御免だから。


 クリスマスに会えないのならせめて、気分だけでも彼に味わわせてあげたい。

 そう思ったから、クリスマス当日に手渡しで贈る予定だった手袋を少し早めに完成させて、クリスマスらしくシュトレンと赤ワイン、それから手紙を添えて、東京に送った。



《メリークリスマス!

 クリスマスプレゼントに、手袋とお酒とお菓子を贈るね。

 今年はとても寒いから、手袋で少しは寒さを凌げるといいのだけれど……。


 お仕事がとても忙しいようだから、体調にはくれぐれも気をつけてください。

 また会える時を楽しみに待っています。》



 ◇ ◇ ◇ ◆


 手袋を送ってから少し経ち、陽気な春が訪れた。

 結局、彼とはクリスマスや正月どころかバレンタインにも会えなかったので、恋人としてはかなり寂しい。

 だから、今年に入ってからも何度か、顔を見に行ってもいいかと尋ねてみたのだが、芳しい返事は貰えないままだった。


 ――会いたい。


 そう私が願うと、彼は決まって、言葉を濁して苦笑するか、まるで聞こえなかったかのように振る舞う。

 彼の煮えきらない態度も焦れったいのだけれど、それよりも気になることがあった。

 このやりとりを電話で行うと、()()()受話器から彼の声に混じって、実に楽しげな男女の談笑が聞こえるのだ。


 彼との電話は、互いの仕事に差し障りのない平日の夜間や休日にするから、仲間や友人と一緒に彼がいたとしても、そこまでおかしなことではない。

 でも、私が彼に電話をする度に、彼らの楽しげな声が漏れ聞こえてくるものだから、こちらとしてはなんとなく胸の内がモヤモヤとした。



 わかっている。


 上京して、家族や恋人である私と離れて過ごす彼にとって、あちらで出来た仲間や友人は、かけがえのない存在である筈だ。

 それに、日々、仕事に追われる彼にとって、気が置けない人たちと過ごすひと時は、仕事を忘れて、日頃の疲れや鬱憤を晴らす貴重なものだというのもわかる。……わかるよ。


 私だって、仕事以外の時間は四六時中、恋人のことばかりを考えて過ごしているいるわけじゃない。会社の同僚との飲み会や、友人と遊ぶこともある。

 だから、プライベートな時間を彼がどう過ごそうと、それについて私がとやかく言うつもりは更々ない。

(……ない、けど)



 ……わかっているよ。

 私は、自分がなかなか会うことの叶わない彼と気楽に会うことのできる人々に、羨望と嫉妬をしているだけだって。

 そんなの、ただのガキっぽいヤキモチでしかないのも、わかってる。

(でも、やりきれない)



 こんなつまらない思いをした時は、いつも決まってあることをする。雑念を払拭するべく、縫い針と布を手に、無心になって小物を作るのだ。

 ただひたすら手縫いをするだけの単調な作業は、頭の中を空にするのに適していた。


 今、主に作っているのは、コースター、鍋敷き、買い物用のエコバッグ。

 数が多少増えても、収納場所や活用面において、そこまで困ることのなさそうな日用雑貨。

 気の済むまで作った品々は、彼に送ろうと思う。普段使いだけでなく、来客用にも使えるから、部屋の片隅で埃を被るなんてことにはならないだろう。


 彼が私の作ったものを使う時、ほんの一瞬でもいい、私のことを思い出してくれたら嬉しいなと思いながら、一針一針、大事に縫っていく。


 彼は、どんな顔をして、この品々を使うのだろう? なんだか、想像がつかない。


 東京を宛先にした日用雑貨セットには、勿論、手紙を添えた。



《貴方が上京して、一年が経ったね。

 東京の生活にも、もうすっかり慣れたでしょう? 自宅にお客さんを呼ぶことも、少なからずあるよね。

 普段使いだけでなく、来客時にも使えそうな小物を作ったので、送ります。


 しばらく会えなかったから、寂しいな。

 私のこと、忘れちゃ、いやだからね。》



 ◇ ◇ ◆ ◆


 春に荷物を送って、如何ほどか経った頃、実家の庭に枇杷がなった。

 今年はどうやら当たり年らしい。二十年ものの枇杷の木に、ふっくらとよく太った橙色がたわわに実っている。


 枇杷の実は、生食も勿論美味しいけれど、シロップ煮にすると、ゼリーなどのお菓子に使えたり、保存食として通年楽しめるから嬉しい。

 そして、シロップ煮の他にも、枇杷の加工法として何よりも捨て難い、忘れてはいけないのが果実酒だ。


 枇杷酒といえば、丸ごとの果実と氷砂糖をお酒に漬け込むのが一般的だけど、我が家では果実酒の他にも、シロップ煮にする時に除けた種と氷砂糖をお酒に漬け込んだ、"枇杷の種酒"も作る。


 この、枇杷の種酒の特徴は、なんといっても芳しい風味だ。ほんの微かな渋みの混じる、アジアンチックな甘い香りは、杏仁のそれによく似ている。


 私がお薦めする枇杷の種酒の飲み方は、断然、お湯割り。お酒の入ったグラスにお湯を注いだ途端、まるでグラスの中で花の蕾が一気に綻んだのかと思うほど、お酒の香りが豊かに花開くのだ。

 その滋味深い香りを目一杯鼻で吸い込めば、どんなに気分が落ち込んでいても、瞬く間に癒やされて、リラックスできる。それに加えて、これを飲めば、たちどころにお腹がポカポカと温まるのも有り難い。

 私なんて、仕事で疲弊しきった時や、嫌なことがあった時、風邪の引き始め等は、これを飲んでさっさと眠れば、大抵のことはなんとかなった。


 勿論、枇杷の種酒だけでなく、枇杷の果実酒だって好きだ。

 枇杷特有の、花のようなかぐわしい匂いと濃厚な甘さを持つ果実酒は、まさに甘露と呼ぶに相応しく、ストレート、ロック、お湯割り、サイダー割りと、どのようにしたって美味しく戴ける。

 シロップ漬け、二種類のお酒、他にも色々な加工方法があるし、葉も薬効があるのだから、本当に枇杷は優秀だ。


 庭で収穫した大量の枇杷の果実を前に、アレもコレも作ろうと画策していると、ふいに恋人のことを思い出した。



(枇杷酒も種酒も彼のお気に入りだから、今年は送ってみようかしら。……でも、どうしよう)

 昨年、私の自宅に遊びに来た際、「東京で飲めないのはつらい」と、お酒をペットボトルに詰めて持ち帰るほど、二種類の枇杷酒を気に入っている彼。

 今年の枇杷酒も送れば喜ぶだろうけれど、悩みのタネは果実酒の飲み頃と漬け込んでいる実の引き上げだ。


 果実酒の飲み頃は、漬け込んでから三ヶ月以降。お酒に入れている実と種は、漬け込みから一年後に引き上げないと、そこから雑味が出てしまう。

 実については、入れたままにしておいても問題はない。一年以内に飲んでしまえる量だけ、お酒を贈ればいいのだから。

(でも、飲み頃に関しては、送る時期を()()にした方がいいかもしれないな)

 彼が飲み頃を待ち切れずに果実酒を飲む分には構わないのだけれど、困るのはその逆。飲み頃を待っている間に、お酒の存在を忘れかねないもの。


(……保留、ね)

 脳裏に浮かんだ『保留』の二文字に、ふと、あることを考える。

 目の前にある瓶の中身――透明なホワイトリカーの中で、氷砂糖が透明なモヤを漂わせながら溶ける様を眺めながら考えるのは、枇杷酒を彼に送るタイミングなどではない。

(保留にされっぱなしだな、私)



 恋人()に会うことを半年以上も保留にしている彼に、恨み節とまではいかずとも、考えさせられるものはある。


 思えば、電話やメールをするのは、ほぼこちらからだった。

 あちらからの連絡は数えるほどしかない上に、用件さえ告げてしまえば、やりとりはそこで打ち切り。私と会話をしようという気はなさそうだ。

 それに、会う機会を作ろうとしても、いつも、なんだかんだと理由をつけて断られた。


(本当に、私達って恋人なのかな)

 そう疑いたくなるような放置ぶりだ。

 自分は彼の恋人である筈なのに、どうしてこんなに寂しい目に遭わされているのだろう?



 そう言えば、昨年のクリスマス前から度々、彼は会えない理由に「仕事が忙しくて、君に構う余裕がない」と告げることがあった。

 構って欲しい、なんて、私はそれまでに一度たりとも彼に言ったことはない。だって、彼と一緒にいられるだけで、十分に幸せだから。

 なんなら、家事や雑用でこき使ってもいいよ、なんて冗談混じりに笑いながら食い下がったこともあったけれど、彼の返事は断固として変わらなかった。


 ――ごめん、また別の機会に。

 そこまで言われたら、こちらも引き下がらざるをえない。でも――


(――でも、本当に仕事(それ)だけなのかな)

 仕事以外で放ったらかされている理由に、思いあたる節がないわけでもなかった。

 その『思いあたる節』を脳内で列挙しようとして、慌てて首を横に振る。


 こういう疑惑めいたものを考え始めると、大抵、ロクなことにならない。今、色々を考えるのは、まだよしたほうがよさそうだ。


(今はまだ、保留のままでもいい。まだ、今は……)

 せめて、無色透明のホワイトリカーに、枇杷の香りと色がしっかりと移るまでは、おかしなことを考えるのはよしておこう。


 疑心暗鬼を払うように首を横に振り、スマートフォンを取り出した。



《そろそろ暑くなってきたね。

 貴方の好きな枇杷酒を今年も漬けたの。飲み頃になったら送るから、楽しみにしていてね。》



 たった二行のみの、短いメッセージ。


 今まではメッセージの一件や二件、なにを気負うこともなく送ることができた。

 それなのに、何故だろう? 今は、送信ボタンをなかなか押せなずいる。

 画面に触れるスレスレで指を止め、逡巡した後、メッセージを保留にした。他愛もない短いメッセージなど、保留にしたところで、熟成されるわけでもないのに。


 けれど、なんとなく、このメッセージを彼に送信しても、いつまでも返信のないまま……ひょっとしたらこのメッセージさえも読まずに放置されそうな気がして、怖かったのだ。



「……まだ飲めないお酒の話をしたって、意味ないよね」


 テキストボックスに収まったままの文章を見詰めて、言い訳めいた呟きをひとつ零した。



 ◇ ◆ ◆ ◆


 悶々とした思いを胸に懐きながら枇杷酒の色が変わるのを眺めている内に、暑さを感じる季節になってきた。

 それと同時に、スーパーマーケットに梅の実が並び始める。


(夏は食欲が落ちがちだし、熱中症対策に、私も梅干し作ろうかな。多めに作って……彼に送ってもいいし)


 店頭で手に取った梅はまだ青かった。青梅は梅干しを作るには不向きだけれど、追熟させれば、問題ない。

(ただ、できれば、黄熟したものを買いたいのよね。今は出始めで、値段もお高めだし。うーん、どうしよう。あ、そういえぱ――)


 ふと思い出すのは、毎年この時期になると必ず行われる、母の梅仕事だ。

 母はまだ若い青梅も黄熟したものも迷わず買っていた。

 今、こうしてお店に青梅が出回っているのなら、実家の母は梅酒か梅シロップを仕込んだ頃合いかな。

 仮漬けは済んだのかな? 塩の割合はどのくらいだったっけ?――そんなことを考えながら、過去の記憶を振り返る。


 母が梅にあたる時はいつも、梅の甘い匂いが辺りに漂い、私を夢見心地にさせた。

 あれは間違いなく、夏の訪れを報せる匂いだ。

 試しに、手に取っていた梅のパックを嗅いでみる。パックいっぱい梅が詰まっているのに、きっちりとラップで包まれているからか、匂いはあまり感じられなかった。

(こうしてすぐ傍にあるのに、においがわからないなんて、つまんないの)


 こじつけかもしれないけれど、少しだけ、現在の私と彼の微妙な距離感――恋人という、親密な関係である筈なのに、その雰囲気を感じられない遠さを彷彿とさせる。

 それがなんだか遣る瀬無くて、気付いた時には、手にした青梅を買い物かごに入れていた。



 自宅に持ち帰った青梅は追熟させ、黄色みを帯びたところで、水に放ってアク抜き。水気を切り、ナリクチを取ってから、容器に塩と交互に入れてあげて、仮漬けをする。

 それから梅雨の間は、梅酢が上がるのを待ち、梅酢が十分に上がったところで、塩揉みをした赤紫蘇を加えておいた。後は梅雨が明けてからの仕事だ。


 今年の梅雨はなんてダラダラと続くのだろう。あまりに長く梅雨が続いたものだから、その間、赤紫蘇と梅酢を合わせた赤梅酢に漬けられていた梅は、それはもう見事に真っ赤に染まった。

 七月の半ばに梅雨がようやく明けて、三日三晩の土用干しをした時、ザルに広げた梅の赤さが眩しくて、目がチカチカしたほどだ。



 梅を触る時や、梅の容器を置いている部屋の隅を横切る時、ベランダで土用干しをした時、その都度、私は梅の香に触れた。そうして、甘い匂いに気付く度に思い出すのは、近いようであまりに遠いと感じてしまう過去のことだ。


 恋人と相合い傘をした後、胸を高鳴らせながら自宅に入ると、玄関脇に置かれた広口瓶から梅の匂いがして、何故だが余計にドキドキした。

 梅雨が明けた頃、恋人と歩いたデートの帰り道で、どこからか漂ってきた梅の芳香。いい匂いがするね、と笑い合った記憶は、もう二年も前のことになる。


 恋に匂いがあるのなら、きっと、それは梅の香に似ているに違いない、と思っていた頃もあった。

 今はどうだろう。正直、わからない。恋の匂いがどんなものかなんて、想像すらつかないのだ。

 ただ、梅干しのようにしょっぱい気がする。少なくとも、彼との恋は。



 過去を懐かしんだり、たまに考えさせることもあったけれど、梅干しは私の思考なんてお構いなく、キチンと無事にできた。

 土用干しで太陽の光をたっぷり浴びた梅干しは、一度梅酢に漬け直したから皮は大福のようにしっとりとして、柔らかい。酸味も塩も利いているので、ご飯が進むこと間違いなし。上出来ではないかしら。


 梅干しを作る際、一緒に梅シロップも作っていたから、こちらも荷物に入れよう。シロップは好みの酒や炭酸で割ると美味しいし、夏バテや熱中症の予防に一役買ってくれることだろう。

 荷物には梅干しと梅シロップの他に、枇杷酒も入れた。飲み頃と言うには些か早い気もするけれども、構わない。

 手紙もいつもどおり添えた。



《お久し振りです。暑い日が続くけれど、元気にしてる?

 便りがないのは元気な証拠というくらいだから、きっと、とても張り切ってお仕事をしているのでしょうね。


 さて、今年も母に倣って梅干しと梅シロップを作りました。良ければ、夏バテ予防にどうぞ。

 貴方が気に入って飲んでいた枇杷酒も少し前に漬けたので、そちらはもう少し時間を置いてから飲むことをお勧めします。

 お盆の帰省に会えたらいいわね。》



 ◆ ◆ ◆ ◆


 長く厳しかった夏の猛暑も去ると、待ちに待った秋の訪れだ。

 いわし雲に覆われた空の下、心地良い風が肌を撫でていくのを感じながら、私は休日の街を行く。

 赤、茶、黄色と、紅葉を思わせる秋らしい色が至る所で映える街の中、私の心は凪いでいた。


 心に引っ掛かっているのは、一ヶ月と少し前のお盆の出来事だ。

 帰省した彼と久方ぶりに会った。



 ――一年と数ヶ月という期間を東京で過ごした()()彼は、本当に、私の知る彼と同一人物なのだろうか。

 今でも、思い返す度に、そう疑ってしまうほど、あの日の彼は奇妙な印象を私に抱かせた。


 一番変わったのは、見た目と言葉遣いだ。髪型も服装も洗練された洒落たもので、言葉遣いも地元の訛りは一切出てこない。

 垢抜けたな、と身内や地元の友人に持て囃された彼は、「そうでもないさ」とすまし顔で笑う。

 私の好きだった彼の無邪気な笑顔は、すっかり見られなくなっていた。


 なんだろう。なにかがおかしい。

 外見だけではなく内面も、かつての彼と同じようで、どこか違うように感じられる。


 彼の変化は、右も左も分からぬ土地に一人赴き、そこで生き、社会の荒波に揉まれ、現地で多くの人々と接していく内に、遂げられたんだろう。その変化を一般的には成長と言うのかも知れない。

 そんな、都会に生きる男として成長した彼から、二人きりになった時に謝られた。


 ――あまり、構ってやれなくてごめん。

   贈り物もたくさんありがとう。ロクにお礼もできてなくてごめん。


 重ねて謝られて、「贈り物のお返しに」と彼からのお誘いで丸一日、デートもした。

 けれど、どうしてかな。要所要所で、噛み合わないと感じてしまう。


 会話は楽しかった。上京してからの彼のことを知れたから。でも、やはりどこか噛み合わない。

 互いの気持ちがすれ違っているような一抹の虚しさを覚えて、些細ながらも目に付く違和感が常に付きまとう。


 そうして違和感に胸中のみで首を傾げている内に、彼に変化が起きた。

 向こうでできたある友人のことを話す時だけ、これまで維持していたすまし顔を崩したのだ。そうして、私のよく知る、無邪気な笑顔になった彼を目の当たりにして、胸の奥がざわめく。


 それは、予感だった。

 できれば避けたかった、悲しい予感だ。



「ふーっ」

 秋空の下、ふいに長いため息を吐き、チラと横を窺うと、百貨店の大窓に疲れた顔をした女が映り込んでいた。

 まあ、その女は他ならぬ私なのだけれど、そのあまりに冴えない表情に苦笑する。

(恋人の誕生日プレゼントを買いに来た女の顔ではないわね)


 間もなく訪れる彼の誕生日に備え、プレゼントを探しているのに、気が進まない。

 正直、今の……あのすました顔の彼が喜ぶものがなんなのか、わからなかった。そして、私が贈るものを素直に喜んで使うとも思えない。

 ……だって、彼の心はもう、私の方を向いていないのだから。


 夏に帰省した彼の、無邪気に笑う顔を見て、悟った。

 ――彼には、私以上に大切な人がいる。


(……いいえ、違うわね。彼にとって私は、その人ほど大切ではないのでしょうね)


 それに気付いてから今日まで、自分がどうやって生きてきたのか記憶にない。

 何かを必死に考えているようで、その実、なにも考えられない状態で過ごしていた。今だって、何気に見たカレンダーの日付が彼の誕生日間近と気付き、慌てて外に出たというのに、プレゼントを選ぶどころかそれを彼に贈っていいのかと、まだ迷っている始末だ。

 なんとも情けない。



(あ、これ、彼が好きそう)

 見つけたのは、藍の絣。これで読書が趣味のあの人に、マルチサイズのブックカバーと栞を作ろうかと考えたところでふと、眉を顰めて首を傾げる。


 ――世の男性は気のない女から貰う手作りの贈り物なんて、"重い"し、鬱陶しいと思うんじゃないかしら。


 結局、プレゼントは先日、彼が好きと言っていたお酒を選んだ。



《お誕生日、おめでとう。

 貴方にとって、素敵な一年になりますように。》


 プレゼントに添えたカードにやっと書けたのは、お祝いの定型文だけで精一杯だった。



 ◇ ◇ ◇ ◇


 冬のある日。

 私は真っ白な便箋を前に頬杖を突き、唇を軽く噛む。


 書くことは、もう決まっている。

 でも、この手紙を書くのに、かなりの覚悟とある決意を要さねばならなかった。


 この一年間、私が彼に贈ったものには、恋人としての想いを詰め込んだ。いずれの品も、仕事や内容のわからない用事の為に、まったく会えずにいたあの人を待っている間に作ったり、選んできた。

 でも、先日、彼への誕生日プレゼントを贈った後で、気付いてしまったことがある。

 それをこの手紙にしたためよう。



《あのね、貴方。

 私、待っていたの。ずっと待っていました。貴方が『会いにおいで』と一言、言ってくれるのを。


 でも、先日、貴方への贈り物をした後で、気付いてしまったの。

 私、もう疲れたんだ、って。

 上京して、どんどん変わっていく貴方を受け入れようとするのも。遠く離れた地元で、貴方をずっと待ち続けるのも。貴方にまた、私の方を向いてもらうために努めようと、そう思う余裕もないくらいに。

 私、貴方を想うことに疲れたの。


 あのね、貴方。

 私が今まで贈ったものには、貴方への想い()()()を籠めていたの。

 すべてを貴方に贈りきってしまった今は、私の手元に貴方への想いはすっかりなくなってしまったわ。


 ねえ、お別れしましょう、私たち。

 私のような、勝手に物を送りつけて、『それは貴方を思ってやったのよ』なんて、恩着せがましい想いを綴った手紙を添える女に、無理に付き合う義理なんて貴方にはないわ。

 貴方もそう思っていたから、私をそちらに呼び寄せなかったのでしょう。


 さようなら、貴方。

 私が贈ったものはすべて、きれいさっぱり捨ててください。》



 この手紙を彼が読むことはない。

 だって、私はこの手紙を自分のけじめのために書いたのであって、彼に送るつもりはないのだから。

 彼に送る手紙なんて、一行あれば十分だ。



《さようなら。どうか、お幸せに。》



 未練を断ち切る決別の手紙は自らの懐に。

 そして、たった一行の文章を彼宛にメッセージで送った。

※こちらの作品は一次創作投稿サイト『エブリスタ』にて、2019年10月13日から2025年7月16日まで公開していた(現在、エブリスタでは非公開中)同名作品を『小説家になろう』への移行と公募投稿に合わせて加筆修正したものになります。

(公募の結果次第では短篇集に移行予定です。)


短編集『混沌から星屑を拾う』 https://ncode.syosetu.com/n5779je/ も短い時間で読める短篇小説、掌編小説をこれでもかと詰め込んでおりますので、そちらも併せてどうぞ。

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