第2話 青き神秘の目
どこよりも、空気が澄んでいる、とシオドアは思った。慣れ親しんだ生まれ故郷の森よりも、長旅で通ってきたどの森よりも。
「さすが、精霊の住む森は一味違うなあ」
もぐもぐ。
「道すがら、野イチゴを食うなっ」
野イチゴの味を堪能。
後ろからついてくるシオドアが、この森の新鮮な空気を味わっているのかと思いきや、ちゃっかり野イチゴを摘んで現実に味わっていると気付き、精霊のレイルは叫んでいた。
レイルに続き、森の奥へ、奥へ。
「レイル。それで頼みごとってなんなんだ?」
シオドアが尋ねる。
「あれだ」
レイルの細く長い指が、指し示す。
みずみずしい緑の道が途切れたように、少し開けた場所に着いた。草丈も短く、まるで人の手で森を切り拓き、丸い広場にしたかのようだった。その場所の真ん中辺りの一帯は、土がむき出しになっており、中央に穴も開いていた。
「あの穴の開いている場所。あの穴の中にある物を取り出して、この森からどこか遠くへ持って行って欲しい」
「穴の中の物を遠くへ、持っていく……? 用事って、そんなこと?」
ああ、とレイルはうなずく。
「昔、突然空から禍々しいなにかが降ってきた。そして、勢いのままに地面に衝突し、穴を開けた。ここら辺に木や草が生えないのは、その不吉な落下物のせいだ」
「空から――」
「この森には似つかわしくない品。しかし精霊である私は、この不穏な気を発する物体に直接触れるわけにはいかず、ずっとそのままにしていた。清浄な森だから、この程度で済んでいるというのもあると思う。普通の森だったら、もっと荒れてしまうか、なにか魔の存在が住み着くようになってしまったことだろう」
レイルの美しい氷のような横顔には、憂いの色が見て取れた。
「あっ。つまり、どっかに捨ててこいってことね。ここじゃない、どこかに」
汚いものをなくしてしまえ、というようにレイルを責めているような発言のようだが、シオドアの口をもぐもぐさせて、あたかもおいしいお米を食べているような横顔には、なんの色も見て取れない。ちなみに食っているのは米ではなく、前述の野イチゴである。そしてつまり――、シオドアはあまり物ごとを深く考えておらず、「困ったものをどこかに持っていけ」という依頼の感想は、あくまで確認のために繰り返しただけであって、批判や皮肉の意図はなかったのだ。
「すまない。ここだけがきれいであればいい、そういうつもりではないのだ。精霊じゃない汚いニンゲンだから、不吉な物体に触れる、そういうつもりでもないのだ。ただ、旅の人間であるお前なら、自由に移動できるお前なら、きっとなんとか――」
シオドアをさりげなくディスるレイル。ディスるレイル、語呂までよくなってしまった。
「よいしょ」
レイルの弁解もディスりも聞かぬうちに、すでにシオドアは穴に入っていた。
「わあー、なんと大胆な……! 頼んでおいてなんだけど、なんか、ごめん! そして、大丈夫か、お前……!」
レイルの慌てた声を耳にしつつ、シオドアは穴の底に降り立ち、自分の足元に注目していた。
これか……! 謎の汚い落下物……!
落下物が汚い、とはレイルは述べていない。レイルが指すところの「汚い」は、「ニンゲン」。
その穴は、長身のシオドアがすっぽり入るくらいの深さ、そして中は思ったより広かった。その穴を開けただろう物体は、不思議な光を明滅させていた。
レイルは「昔」、と言ってたな。こいつは、この穴の中でずっとこうして光っていたのだろうか。
持ち上げて、土を払ってみる。暗い緑色の、手のひらに乗るほどの大きさの玉だった。重さも軽い。これほどの穴を開けたというのに、欠けたり割れたりはしていない、完全な球形だった。
ヨシ。持ち運びに便利なコンパクトさ。これは、ヨシ。
なんとなく指差し確認し、一人頷く。それから、閃いた。
「大丈夫か、なんともないか、シオドア……!」
レイルの、動揺した声。見上げると、青空、そしてレイルの心配そうな目とぶつかった。
「なあー、レイル」
「無事か……!」
レイルの顔に、みるみる広がる笑顔。
「もしかして、これが宝なんじゃね?」
「えっ」
「これ、俺がもらっていいかあ?」
シオドアは、二ッと笑った。顔いっぱいの笑顔。
「きっと、これが宝の地図のいう宝なんだよ……!」
小鳥が唄を唄っている。吹く風は、花や木の香りを運ぶ。
「本当に、そうなのだろうか」
「ああ。ありがとな、レイル……! きっとこれで、父さんも母さんも兄さん夫婦も、それから嫁に行った姉さんも喜ぶよ……!」
不安げなレイルに対し、シオドアはとても幸せそうな笑顔をたたえていた。
「ご家族が、喜ぶ……?」
「ああ!」
「宝とやらは、ご家族のため……?」
「もちろん!」
シオドアは、黒髪の下の緑色をした目を細めた。
「うちの土地はあまりいい土じゃなくて、昔から家はあまり豊かじゃない。だから父さんと兄さんは町に働きに行ってる。それから、母さんが、体を壊したんだ。母さんは兄さんのお嫁さんの手助けのおかげで、一応支障なく生活できているけど、定期的に町のお医者様まで通わなくちゃいけない。家にもっとお金があれば、もっとみんな楽できるのに、と思ってた。俺が宝を見つけて帰ったら、きっと、みんなもっともっと幸せになれる……!」
「お前がめちゃくちゃ働けばいいんじゃないのか」
レイル、シビアな意見を言う。
「俺が、宝の地図を持っているというのに!?」
「いや、働いたほうが……」
レイル、ニンゲン社会に詳しい。
「皆を、安心させたい……!」
「いや、お前が働いて奥さんを迎えて、お前自身の生活を安定させつつ仕送りをしたほうが、喜ぶのでは……」
「でも、俺はこうして宝を手に入れた……!」
シオドアは、カバンに入れてしまっておいた謎の球体を勢いよく取り出し、天高く掲げた。誇らしげに。
「い、いや、それはカバンにしまっておいてくれ……! 邪気が、すんごい……」
レイルは腕を顔の前で交差し、シオドアにはわからないなにかから身を守るようにした。
「あ、そう。ごめん」
謝りつつ、カバンにしまった。
レイルはため息を吐き出しつつ、美しい眉根を寄せた。
「本当に、宝なのだろうか。私には禍々しくてたまらんのだが……」
「光を時折放つ玉、こんな珍しい物ないよ! やっぱ、貴重な宝だよ!」
「そんなものでご家族が……、喜ぶのだろうか」
「きっと、高く売れると思う! 長く旅に出てた俺が帰ってくるわけだし、みんなで大金も分けられると思うし、絶対喜ぶはず!」
「具合の悪い母親のところに……」
そのときまたしてもふたりは、喜びと不安という真逆の顔をしていた。
「心配ありがとう、レイル! 宝もありがとう、レイル! 森から不安なものがなくなる、お前にとってもこれは、いい結論だったんじゃないかな。じゃあ、俺はそろそろ……」
シオドアが片手を上げ、レイルに背を向けようとしたときだった。
小さな赤い光が、ふたりのもとへ近付いてくる。
「あれは……?」
「なんだ、あれは」
シオドアは、赤い光がレイルも知っているこの森の現象なのかと思った。しかし、レイルも目を見開き、驚いた表情をしている。
赤い光はふたりの目の前で止まる。そして不思議なことに――、みるみる光が大きくなり、それは人の形に変化していく。
「えっ、なにこれ」
「なんだ、これは……!」
信じられない光景だった。奇妙な赤い光は、赤い髪、赤い目の少年に変わっていた。
「シオドア! 地図、お前ちゃんと読んでないのかよ!」
少年が、叫んでいた。
えっ。
「誰!?」
「何者!? シオドア、知っている子どもではないのか!?」
レイルの質問に、シオドアは首を横に振った。
「宝は一個じゃねーんだよ! お前の旅は、これからが始まりなんだよ……!」
呆気にとられるシオドアとレイルを前に、少年はさらに続けた。
「次の宝は、『青き神秘の目』だ……!」
シオドアのカバンの中、深い緑の玉が明滅し続けていた。