第1話 翠玉のドラゴンの口
『横たわる翠玉のドラゴンの口、青き神秘の目、すべてを飲み込む喉、業火の心臓、丹田に輝く鱗、引き裂く後ろ足のかぎ爪、長く連なる尾の先端。環の幼子は永遠の眠りにつくだろう』
「これは……。これは、もしかして……!」
鍬を持つ少年、シオドアは興奮を抑えきれない。黒髪の下の緑の瞳が、きらきらと輝く。
長年巻かれていたようで、手を放すとすぐに丸まってしまう羊皮紙を掲げ、一人叫ぶ。
「宝の、地図うーっ!」
太陽が、まぶしい。両手に高く掲げた羊皮紙が、透けた。
シオドアは、家の畑を耕す手伝いをしていた。鍬が、硬いなにかに当たった。掘り出してみると、壺があった。羊皮紙は、壺の中に巻物の状態で入っていた。
「壺の中に巻物、これって絶対、宝の地図じゃんね?」
わくわくした。墨で文字がしたためられていたが、なにが書かれているのか、シオドアには読めない。内容はさっぱりわからないが、壺に隠された古い巻物と言ったら、宝の地図に違いない、そう思ったのだ。
「父ちゃん、母ちゃん……! 俺、旅に出るよ! 宝探しの――」
ガタッと大きな音を立て、家の木の戸びらを開けるなり、宣言した。
「畑仕事はっ」
母の怒鳴り声が返ってきた。小さな狭い家だから、大声は隅々まで届いてしまう。父の声が返ってこないところをみると、父は仕事で町に出かけていていないようだ。シオドアには兄や姉もいるが、もうそれぞれ町で働いている。
「終わった!」
「嘘つくなっ」
「ごめんなさい……」
母の剣幕に、速攻で謝る。すごすごと畑に戻り、作業の続きをした。
畑仕事を終えると、ご馳走が待っていた。仕事に行っていた父も兄や姉も、夕飯の前に揃って座る。
「さっきは怒鳴ってごめんね。今日はシオドアの大好きな、『紫鳥のスープ』だからね」
やったあ、と歓喜の声を上げる。いやあ、ろうどうのあとのごはんはおいしいね、なんて大人たちから聞いたような言葉を言ってみる。
「で、シオドア。さっき、畑仕事の途中で、なんて言ってたんだい?」
すっかりいつもの優しい母に戻っていた。怒らせると怖いが、ふだんは笑顔いっぱいの母だった。
「ん? んーん。なんでもない――」
壺は、隠した。羊皮紙は、胸元に入れた。
家族の誰にも、壺や羊皮紙について打ち明けなかった。
その晩、皆が寝静まったころ、星明かりの中、羊皮紙を広げて文字を指でなぞり、密やかなため息をつく。
秘密にしといたほうが、いいかな。俺の見つけた、宝の地図。
いつか、大人になったら宝探しに行こう、と思った。そのころには、きっと文字も読めるだろう。
シオドアは、羊皮紙を胸に抱いて眠った――。
「と。俺が旅を続けているのは、そういうわけだ」
大人になったシオドアは、そう話す。
シオドアの目の前には、純白の長い髪の――、精霊がいた。
「ニンゲン」
精霊は、冷ややかな目で見つめる。
十二年後。ここは「モズル」と呼ばれる森の中。
「レイル。俺の名は、シオドア。さっき教えただろう」
精霊の名は、レイルという。シオドアが先に自ら名乗ったから、明かしてくれた。
絹のような美しい髪に木漏れ日の輝きを帯びながら、レイルがゆっくりと口を開く。
「……なぜそれを宝の地図と思ったのだ。お前は文字も読めなかったというし、これには地形すら書かれてないのに」
レイルは、シオドアの手にした羊皮紙を見つめながら尋ねた。抑揚のない口調だが、低くのびやかな美しい声だった。
「土に埋まってる、壺に入ってる、巻物である。この三点が俺の心に訴えたのだ。これは宝の地図だぞ、と。すごいだろう、俺」
『俺』がすごいのだろうか。シオドアは、えへん、と胸を張った。十二年前は頼りない少年の姿だったが、今は背も高くがっしりとしていて筋肉もバランスよくついており、腰には剣が差してあり、立派な旅の剣士、といったような風情だった。
レイルは、人間の言葉を理解し、そして人間の姿をしていた。透けるような白の髪やアイスプルーの瞳のせいか、氷の精、といった印象を受ける、ハッとするような美しさだった。
「子どもが鍬で堀れる程度の深さの土の中。さらにいうと、畑という毎年耕されている場所。そこになぜ、そんな大事な物が誰にも発見されずに埋まっていると思うのだ」
普通に考えると、直近に家族の誰かがなにかの目的で埋めたものだろう、とレイルは指摘する。
「精霊のくせに、やたら人間に詳しいなあ」
「人間のくせに、そんなことも考えつかないお前がどうかしてる」
鋭さを感じる美貌を崩さず、鋭い指摘をする。そして、呆れたようにため息をつく。
「で。なぜそんなお前が、私の住むこの森に来たのだ」
「あんたはここに住んでいるのか」
澄んだ空気、高い木々、優美な花々の咲く神秘的な森だった。
「私が精霊ということは、説明しただろう」
森に入り、そしてレイルに出会った。そしてなぜか律儀にお互い、初めましての挨拶と軽く自己紹介をしあったあと、先の会話が始まったのだ。
「俺の勘なんだ」
「勘?」
「この森に宝があるんじゃないかなあって。そう書いてあるんじゃないかなあって」
「……そのお前が持っている地図とやらに書いてあると、わかっているわけじゃないのか」
「読めないんだ。今も。字が汚くて」
「汚い?」
うん、とシオドアはうなずく。大人になってもわからないままなのだ。他言語というわけではなく、達筆でわからないのでもなく、ただただ――。
「下手だ」
「下手な字か」
レイルの、涼し気な目が半眼になった。ますます、呆れている。
「だから、なぜそんなものをお前は宝の地図と――」
苛立ち始めたのか、指差しながら問いただす。
「ここに、宝、ある?」
「そもそも、宝って、なんなんだ」
「わからない。きっと、いいものなんだろう」
「それもわからないのか――!」
頭痛がするのだろうか。レイルは、額に手を添えた。精霊に頭痛やらなにやらの身体症状があるものかどうか、不明だが。
「私はもう、寝る。付き合ってられん」
長い髪をひるがえし、背を向けた。お昼寝タイムだ。
「レイル。もし俺が宝、見つけたら、もらっちゃってもいい?」
少し振り返る。肩越しから向けられる、氷のような、冷たい目。
「図々しいな」
ああ、とシオドアはうなずく。
「やはり対価がいるかあ。土地の主と話しちゃったら、勝手に持ち出すわけにいかないもんなあ」
「別に私は主ではない。そしてニンゲンと取引をしたいわけではない」
たまたま珍しくニンゲンというものを見たから、暇つぶしにしゃべっていただけだ、関わるつもりはない、とレイルは言い放ち、また背を向ける。
「俺は貧しい旅人だ。差し出せるものも特別ない。どこかの町で買った漫画本は持っている。でもそれはまだ読み終えてないから差し出すわけにはいかない。だから、たとえば、俺にできることがあれば――」
そう大きくはない旅のカバンだが、漫画本が入っていた。全三巻。
そのまま森の奥へ消えるのかと思ったが、レイルの足が止まる。
「そういえば」
振り返り、正面から見据える。
「えっ、漫画読みたいのか!?」
違うわっ、とレイルは叫んだ。漫画という概念について、一応知っているらしい。
「頼みごとをしてもいいか?」
頼みごと――。
「えっ、俺があんたの頼みごとを果たしたら、ここの宝を持ち出してもいいのか?」
レイルは、うなずいた。ここにお前の考えている宝があるという保証はないが、と付け加えて。
「運命の輪の紡ぐ縁の糸は、なにかしらの意味があるもの。ましてや精霊とニンゲン。特別ななにかがあるやもしれん」
「おお、粋なこと、言うねえ!」
「粋」
『粋』なのだろうか。レイルはますます氷の彫刻のような無機質な表情になり、対してシオドアは満面の笑みになった。
「……ついてこい」
「よっしゃ、ついていく! なんのことかわかんないけど!」
レイルは、森の奥に向かって進む。用件がなにか聞かされないままだが、シオドアはついていくことにした。
「宝、宝、たーかーらー」
奇妙でテキトウな歌を唄いながら。
「……ニンゲン丸出しだな」
あとで分かったことだが、「煩悩丸出し」の意味らしい。ニンゲンイコール煩悩、ということなのだろう。
シオドアは、気付かない。先を行くレイルも、振り返らない。
そのとき、赤く小さな光の球が、シオドアのあとを追うように飛行していた――。