第四話 地獄の一日
「そしたら自己紹介をしてくれる?」
「え、あ、椿輝凜です。群馬の学校から転校して来ました。よろしくお願いします」
軽く頭を下げて床を眺める。口ではただ短い挨拶を述べただけの私の脳内には、その何十倍もの思考が伝達し続けていた。
いやいやいやいや、え、何でこうなった。
ただルンルンで、袋いっぱいに買い込んだ漫画本を読みながら、ヒカリさんの帰りを待っていただけなのに。ちょうど、主人公の疾風院ヤマトのラスボスが、実はお隣の山田さんでしたっていうとんでもない激アツ展開を読んでいただけだったのに。
まさか帰宅したヒカリさんから、人員不足で東京にある本社の営業部へ、異動になった事を告げられるなんて。漫画の展開よりも衝撃過ぎて、一瞬で内容が頭から飛んでいったんだけど。
まさか、一番有り得ないと踏んでいたご都合主義展開が自分に降り掛かるとか、え、もしかして神様、私の心覗いちゃってる?なんて疑うしか無い、急すぎるサプライズ。
こんな嬉しくないサプライズなんて、前世含めても初めてだよ。どうもありがとうございますクソッタレ。
いや、ただ都内に越して来ただけで、主要キャラと鉢合う確率なんて、一気に跳ね上がる訳が無い。そんな声が聞こえてきそうだが、考えてみて欲しい。
こういう残酷な展開の後に続く展開。
後はもう…みなまで言うな…。
「えーっと椿さんの席は…あ!ちょうど降魔君のお隣が空いていますね」
そう言って教師の手で示した方を見れば、お約束の展開。
一番後ろの窓際にある席に座っているのは頬杖をつき、どこか俯瞰した顔でグラウンドを眺める男子生徒。平凡な形りで描かれた筈の彼だが、周りのモブとはどこか異端したオーラを纏っている。
降魔正悠。私が一番距離を取らねばならない主人公である。
教師に促されるままその席を目指して歩く。たった数メートルなのに、一歩踏み出す毎にのし掛かる緊張感。何十人もの視線を浴びている筈なのに、皮肉な事に唯一私へ視線を向けていない筈の彼一人に、プレッシャーを感じているという。
無理無理無理帰りたい。そう思いながら着席をし、まずは廊下側の隣の席の子に挨拶をした。普通に良い子そうだ。第一関門突破。まあコラッタを倒した感じ。ソウイージー。
続きますは第二関門。窓際の席を見ればそこには伝説ポケモンホウオウ。おいおいおい、中間の冒険は何処へ行った。せめて赤いギャラドス挟めよ。
行け、頑張れ私のチコリータ。無理じゃん草タイプじゃ勝てねえよ。
いやもう、覚悟を決めるしかない。
深呼吸を挟み、口角を無理やりあげてお隣の伝説ポケモンと対峙した。
「えっと…降魔くんだよね?よろしく」
「…」
意を決して主人公の降魔正悠へ声をかけた私に帰ってきたのは、『せいなるほのお』でも、『だいもんじ』でもなんでもない。無言。いわゆるシカトであった。そもそも私に、1ミリ足りとも興味がないらしい。
これには今世で虐められ慣れている私の鋼メンタルですらカウンターを防げなかった。
いやうん、それでいいんだ。寧ろ一生認知しないでくれ。
今の所、成長前の正悠であれば、隠し続ける限り私の穢疽には気づかない。しかし、ただでさえ私の1年後の生存率がガクッと下がった訳なのに、これじゃあ急暴落不可避である。
あー、不登校になりたい。
友達0人歴約10年。鋼メンタルで皆勤賞を貫いてきた私の学校生活、早くもバツが付きそうだ。
「はあ…」
転校初日、もうすでにしんどい。教科書は隣のコラッタ君(通称)から見せてもらったが、なんかもう正悠の主人公オーラに圧倒されて気が気じゃなかった。昼休みはどっかの空き教室を借りてお一人様を満喫しようとしたのに、この派手な顔立ちのせいで、何故か私を陽キャだと勘違いしたクラスの一軍ギャル達に誘われ、めちゃくちゃ気を遣いながら飯を食った。せっかくヒカリさんが腕によりをかけて作ってくれたのに、全然味がしなかった。放課後も誘われ、終始「プリとろ」だの「タピろう」だのギャル用語を連発されて頭が爆発しそうだったよ。
あ、でもタバコくれたのは感謝してる。ヒカリさんに見つかったら鬼の如く怒られるから、ずっと買わずに我慢してたんだ。未成年喫煙はどうのこうのって、四方八方から批判が飛んできそうだけど、私前世も合わせたらアラフィフ手前の初老女性なんでね。あー約15年ぶりのニコチンは、まっこと美味かったです。タール強すぎてめちゃくちゃむせたけど。最近のギャルすげえわほんと。
そんな訳で、今原宿からの帰りである。帰りも一緒なのはしんどいので、この後用事があるからと適当に嘘をついて抜けて来たのだ。そして私が今乗っているのは、都内をぐるぐる廻るあの緑の電車。代々木を見送って降り立った駅は、大都会の中心新宿駅だ。
何故、神術師と鉢会いそうな場所にわざわざ出向いてるんだと問われそうだが、リスクを冒してまでもてに入れたい物がある。目指すは有象無象が蔓延る日本一の繁華街、そう、歌舞伎町だ。いや、流石にクスリとかやばいものは買わないから、ヒカリさんには安心してほしい。えーっと確か、東口を出たらアルタを横切って…。うわ、人多すぎ。ほんでキャッチとかスカウト邪魔すぎる。よく見ろこちとら制服来た未成年だぞ。風俗やらホストクラブやらになんて入れねえよ。あーうざいうざい。シカトしてやろう。
どうにか人間という名の障害物を避け、ようやく歌舞伎町の門を潜り抜けた。目指したのは一番街から数本隣の通り。そこにある落書きまみれのコンビニに、私が欲しかった物がある。
「51番一つ」
そう店員に言うと、無言で棚からタバコを取り、バーコードを読み込んだ。そして画面に映し出された年齢確認ボタンをサッと押して、ICカードで支払えば任務完了。チョロいチョロい。ここのコンビニは、ギャル達から聞いた穴場スポットだった。ランドセルを背負っていようが、普通にタバコを売ってくれる優良物件なのだという。一体ギャル達は、いくつから喫煙していたんだと問いかけたくなるが、まあ有益な情報をくれたのでよしとしよう。
よし、これでやっとタバコが手に入った。前世で吸っていた銘柄とは少し名称が違うが、デザインはほぼ一緒だ。途中からデザインが変更になってしまったけど、昔は確かにこんな感じのデザインだったな。
よし、懐かしむのはこれくらいにして、早速一本嗜むぞ。そう思い、向かった先は駅前の喫煙所。まあまあ人は多いが、空いているスペースを見つけて立ち止まり、フィルムを開けてタバコを一本咥えた。レジ横に丁度置いてあったライターで火をつけ、早速一口吸い込んだ。
「うぐっ!ゲホっ、ゲホっ」
そしてまたもや咽せてしまった。あれだ、さっきはタールが強すぎて咽せたもんだと思っていたが、普通に考えてこの肉体でタバコを吸うのは初めてだから、こうなるに決まってたな。黒い肺に支配されすぎて忘れてた。
でもこの味、やっぱり懐かしい。このガツンと喉に来るメンソールがたまんねえ。途端に前世の自分を思い出してしまった。前世はなんやかんや社畜街道まっしぐらだったけど、それでも日常生活は充実していたな。
今と違って、そこそこ友達もいたし、家族仲も良好で年に数回は地元に帰省していた。漫画好きの父と、おすすめの漫画を紹介し合いながら飲む日本酒は格別だった。酒に弱い兄は、私らのペースに無理やり合わせたせいで、トイレで一人潰れていたっけ。あの真っ白に燃え尽きた様な体制は一生涯忘れる事はない。そんで缶チューハイ一本飲んだら満足な母は、家族一の天然だった。ハンバーグを頼む時なんか「デラミックソースで」とかいう言い間違いをして、店員さんに訂正されていたな。あー懐かしいな。会いたいよみんな。やべ、なんか感極まって泣きそう。年取ると涙脆くなってたまったもんじゃない。
あーあ、あん時死ななきゃよかったよ。本当に。
そう思い出に浸っていた私の元に、とある男性が近寄って来ていることに、その時は気がつけなかった。完全に油断していた。まさかこんな場所で、あの人物と対面する事になるなんて。
「おねえさーん。ごめんけど、俺に一本恵んでくんない?」
「あ、え、私っすか?」
そう言って声のした方を見上げて男を視界に入れた瞬間、喉元をヒュッと鳴らして背筋が凍りつく。
何故、お前がここにいるんだ。
そう叫びたくなるのを抑え、透き通る様なプラチナブロンドと、全てを見透かされている様な眼を持つ大男を見上げる。
「ね!お願い、一本だけ!」
そう言って、おちゃらけながら手を合わせてねだるそいつは、間違いなく主要キャラクターの一人であった。
親の顔よりも見たそいつの名は神門煌斗。神代凜人に次ぐ無敵の神術師だ。養成学校の教師でもあり、全国各地から要請がひっきりなしにかかる程忙しい彼が、何故ピンポイントでこんな場所にいるのか。さては私の正体に気づいたのか。それはあり得る。
こいつは術師の中でも最強クラスの存在だ。神術師の中でも強さのピラミッドがあり、神位という位でランク付けされている。その中でも煌斗はトップの黄櫨だ。この神位にいるのは煌斗と凜人だけである。いや呑気に原作設定を整理している場合じゃない。
つまりは今すぐ逃げないと死ぬのだ。湿布で隠している穢疽も、煌斗相手じゃすぐに見抜かれてしまう。いや逃げた所で速攻で捕まって死ぬ。もう戦うしかないのか。もう嫌だ負ける気しかしない。正しく一色触発。蛇に睨まれた蛙とはこのことを言うのだろう。
ごめんよヒカリさん、せっかく私は善人として改心したのに、一回も親孝行できなかった。最後にお願いしたらヒカリさんにひと言、遺言を伝える時間をくれるだろうか。
そう死を覚悟した時だった。
「なにナンパしてんだエロ教師!」
「あイテっ」
煌斗めがけて蹴りを入れた少年。私よりも少しばかり背の高い、濁ったグレーの髪に学ランを着崩した彼もまた、主要キャラクターの一人である。
名は神代眞仁といい、凜人の腹違いの弟だ。こいつもまあ厄介な術式だ。目をつけれたらたまったもんじゃない。しかしラッキーな事に、どうやらバレていないようだ。よかった。これで今回は命拾いできる。
「たくよお、いきなりいなくなったと思えば未成年ナンパしてるとか、恥を知れ恥を!」
「心外だなあ。ただタバコ貰おうとしただけなのに。」
「いや未成年がタバコ吸ってる時点で止めんのがあんたの役目だろうが!さらっと黙認してんじゃねえよクズ教師!」
ああ、そういえば私、放課後にギャル達と原宿直行したから制服着たまんまだった。あぶねえ、教師とかに見られてたらほんと終わってたよ。とりあえずここは適当に嘘ついて誤魔化そう。
「あはは、実は私もうとっくに成人してるんですよ。これは働いてるガールズバーの衣装で」
「え!そうなんスか。なんかすんません」
繁華街近くだからこそまかり通る嘘だ。二次元仕様のコスプレ風の制服でよかった。漫画様々だな。
「いえいえ、じゃあ私はこれで…」
よし、なんとかやり過ごせた。今日の私は世界一の強運の持ち主かも知れない。今日は機嫌がいいから優先席じゃなくても席譲っちゃうぞ。
今すぐスキップで走り出したいような高揚感を抑えながら、二人の横を通り過ぎようとした。そんな時、煌斗の口から、私が今一番言われたくない言葉が発せられたのだ。
「ねえおねえさん、その湿布の“中”には何を隠しているの?」
瞬間、再度悪寒が走る。私が感じたのは殺気だ。煌斗は初めから気づいていた様だ。私の首にある穢疽に。地獄からようやく天国に行けたのに、再び嘲笑されながら奈落の底に突き落とされたような絶望感。逃げても死ぬ。戦っても死ぬ。そんな絶体絶命の中で、必死に生きる術を足りない脳みそで考える。時間にしてたった2秒。そんな短い間で、私の弱い頭が最適解を導き出せるなんて事はなく、出て来たのはなんとも間抜けな嘘であった。
「や、やだなー。担当のホストに付けられたキスマですよー。あいつダイソン並みの吸引力だからぁ」
いや無理があるー!!土地に影響されすぎだって!!あーもう、なんで付けられてもねえキスマの自慢なんかしなきゃならんのだよ。ふざけんな。恥ずかしくて死にそうだよ。
「へえ、幸せでよかったじゃん」
しかし、どうやら誤魔化せた様である。煌斗から放たれていた殺気も、もう感じなくなった。その横で一緒に聞いていた眞仁はウブならしく、顔を赤らめて私の首を見ない様、必死に目を逸らしていた。フッ愛い奴め。
「じゃ、じゃあ私もう出勤なんで!」
疑われない様、特に用事もない歌舞伎町目指してその場を立ち去った。
「じゃあねー、門限までには帰るんだよー」
ひらひらと手を振る煌斗と頷く様なラフなお辞儀をした眞仁に一礼をして、振り返る事なく立ち去った。ようやく彼らが見えなくなった頃合いで、緊張の糸が緩まり、その場にヘナヘナとしゃがみ込む。
あっっっぶねええええ!!!
まだ心臓バクバク言ってる。死ぬかも知れない時って、人間こうなるんだ。いやでも案外チョロいな。最上位の黄櫨サマでも私の嘘に騙されるなんて馬鹿な奴だ。さて、もうそろそろ帰らねば、門限は19時だか…ら…。
そう思った瞬間、何度目か分からない悪寒で鳥肌がたった。
そしてこう思った。神門煌斗やっぱやべえ…と。以来、私が新宿に近づくことはなかったのである。