第三話 詛怪襲来
『はい、こちら110番。事件ですか?事故ですか?』
電話越しから聞こえる声。警察と話をする時はどうしても緊張で強張ってしまう。
「事件です。母親を包丁で刺そうとしました」
「待って輝凜!私に代わって!」
『すぐに警官を出動させます。その場から動かないでください』
ヒカリさんの制止が鳴り止まない中、警察の指示を受け入れる。ごめんねヒカリさん。檻から出てきたら絶対親孝行するから。幸せに暮らしてね。
そう思いに浸る中、唐突に電話の音声が乱れ出した。ブラウン管テレビの砂嵐の様にザザッ…ザザッという不吉な音が聞こえる。110番の電波が乱れるなんてあるのだろうか。
『サツ人ミ遂…これハ、じュう大事けンだ』
そう不審に思っていると、先程までの正義感溢れる爽やかな声が、クリプトンガスを吸った様な、不気味で低い声に変わっていく。この人為的では無い不可思議な変化。その原因に気付いた時、黒く渦巻く穢れの気配を感じ取った。瞬間、スマホの画面が外的要因もなく歪な音を立てて割れたのである。
『コれデ…わタし、モ…てン数が、稼、ゲルゾォオオ!!』
バキバキとヒビ割れたスマホの割れ目から出てきたのは、38口径リボルバーを持った4本の黒い手。反射的にスマホを手放し、傍にいたヒカリさんを守る様に戦闘態勢に入った。
間違いない。詛怪だ。
4丁の拳銃が足並みそろせてリボルバーを回すのが見えた。
「やるよ。黑曜」
「あいよ」
体に纏う神力。それを手に込めてまずはヒカリさんを守る“物質”を“生成”させた。透明な球体でヒカリさんを覆う。ガラスとポリカーボネートで作った防弾ガラスである。中に空気も閉じ込めているので、ヒカリさんが窒息する事はない。
「輝凜!!早く逃げなさい!!輝凜!!」
ヒカリさんの籠った声を背後に、私の体にも物質を生成させる。その間にトリガーが弾かれるのが見えた。間に合うか。
一斉に轟く様な銃声を上げて放たれた4つの弾丸。それはより洗練された軌道を描きながら、私の体に直撃した。鈍い音が狭い室内に木霊する。
「いやあ!!輝凜!!」
そして響き渡るヒカリの絶叫。だが、安心してくれヒカリさん。大丈夫、“間に合った”から。
銃口から硝煙が上がる中、私は無傷で立っている。
私が自身の体に纏わせた神力で生成したのは、防弾チョッキだ。高分子量ポリエチレン繊維という素材で作り上げたので、炭素やら水素やらの他に色々分子を組み合わせなければいけなかったから、少し手間取ってしまった。
まあでも、これで頭さえ守ればこのピストルの詛怪を修祓できる。ピストルといえば鉄と鉛だっけ。それならあれが効くかもしれない。
再び鈍い音を立てながらリボルバーが回る。そのタイミングを見計らい、こちらも手を銃の様にして詛怪に狙いを定めた。
「バンッ」
子どもみたいにそう唱えた私の手から放たれたのは、硝酸で作った銃弾。それは詛怪の手前で弾けて飛び散った。硝酸がかかった詛怪から煙が上がり、独特の臭いが漂う。
「グゴォアアアア!!点スぅ…昇カくぅぅうう!!!」
ドロドロと溶けながら、詛怪が黒いモヤとなって消えてゆく。生えていた腕が消えたスマホは、何事もなかったかの様に床に落下した。穢れの気配が完全に無くなったのを確認し、ヒカリさんを覆っていた防弾ガラスを消して怪我の有無を確認する。
「ママ、大丈夫?」
「私は大丈夫、輝凜が守ってくれたから。輝凜の方こそ怪我は?大丈夫?」
「それならよかった。私も大した事ないから大丈夫だよ」
うん、大丈夫、私が完璧に守ったから怪我は無さそうだ。
いや、こんな回りくどい戦い方をせずとも、一撃でこんなザコ詛いなんて修祓できるのだが、それによってヒカリさんを巻き込んでしまうのは避けたかった。
このついでにもう一度設定を整理しておこう。従えている黑曜が持つ術式、それは原子を自在に操り、あらゆる物質を生み出す能力だ。先ほどの様に様々な分子を組み合わせる事ができるため、応用力が無限大である。構造が複雑になる程、貯めの時間が長くなってしまうのが難点だが、あの程度の詛いであれば修祓は容易である。
次に神力の作用についてだが、神力自体は穢れや詛いでなければ、絶対に致命症は与えない。どんな強力な術式だろうともだ。しかし、術式によって具現化された能力は、少なからず外傷を与える事になる。
さらに椿輝凜は、神力と穢れの両方を併せ持つ特異的存在である。神力に穢れが混ざっている輝凜の術式は、詛人ではない人間や動物にも危害を与えてしまう。
だからこそ、この場では慎重に事を運ぶしかなかったのだ。
さて、また糖分とニコチンが欲しくなりそうなので、一旦整理はこれくらいにしよう。とりあえず被害は私のスマホだけだったし、これから私はしばらく少年院行きなので、今すぐ買い直さなくてもいいだろう。
通報はもう出来ないから、きちんと自分の足で最寄りの警察署まで出向くことにしよう。
「じゃあママ、私警察署行ってくる」
決め台詞の様にヒカリさんへそう伝えると、私は振り返る事もなく、外に出ようとした。
…のだが、
「それなら私も行く!!」
「は?え?なんで?」
そんな訳で何故か着いて来たヒカリさんのおかげ(?)で、警察官からは反抗期による親子喧嘩として処理されてしまい、私は手錠をかけられる事もなく、再び家へと帰宅したのであった。
いや…スマホ買い替えなきゃじゃん…。
翌日、何事も無かったかのように平日を終えた私。スマホは今週の土曜日に買い替えることになった。別に友達なんて一人も居ないから、困る事もない。休み時間やらは暇だけど、陰キャお得意の狸寝入りで今日はやり過ごした。
それよりも少年院を免れた私が次に考えるべきことは、この先の人生についてである。原作の物語が始まるのはあともう数ヶ月。主人公が覚醒するまでのタイムリミットはたったそれだけだ。
降魔正悠はその特異体質と、神使らしからぬ鬼神を使役する家系のせいで、約千年もの間、穢れた血筋として疎まれていた。そのため降魔家は長年、一般人を装い堅実に暮らしていたのだった。そして正悠は、物心ついた時から両親に怒りの感情を抑える様に教育されていた。
しかし、そんなある日に不運が訪れる。団欒の最中にいきなり詛怪が襲来したのだ。なす術なく、目の前で両親を殺された正悠は、そこで初めて怒りの感情を爆発させ、その膨大な力で詛怪を修祓してしまう。その後は、正悠をスカウトしに来た神術師の神代凜人によって力を見出され、春から神術師の養成学校に入学するのである。
更にその後には、相棒的存在のキャラクターやら、ヒロイン的な女子キャラも登場したり、先輩だのその他の神術師がわんさか登場する訳だが、また黒い肺がニコチンを求め出しそうなので、整理は一旦これくらいにしよう。
あ、そうだ忘れてた。彼をスカウトしに来た神代凜人こそが、ヒカリさんが隠していた息子さんである。まあつまり、椿輝凜のお兄ちゃんという事だ。
原作公認の美形男子で、人気投票では一位を獲得したこともあったな。ヒカリさんの遺伝子最強過ぎる。一応椿輝凜も母似の美少女設定であり、主人公の初恋を奪ってしまう程のやり手だったのだが、残念ながら一度もモテた事がない。誠に遺憾である。
あはは、なんか急にすごいストレスだ。どうしよう、まじでニコチンに逃げたい。タバコの煙がお焚き上げ代わりにならんかな。
さて、ヤニカスムーブもこれくらいにして、これからの人生どう生き抜くかを考えよう。
一番簡単なのは改心したと宣言した上で、正悠達の仲間になるor一切神術界には関わらないと誓うのが手間がかからず楽なのだが、それは無理だ。何故なら一度発症した穢疽は消えないからである。それは神術師達の能力を持ってしても不可能だ。彼らが修祓する対象は詛いのすべてである。つまりは一生穢疽が消えない私の様な詛人は、問答無用でギロチンにかけられるのだ。だから彼らに見つかった時点で、私の死は確定する。
だとすれば、次に思いつく方法はただ一つ。死んでも神術師達には会わないことである。この狭い日本では、なかなか難しいことの様に思えるが、意外とそうでも無さそうだ。この神まにの主な舞台は、東京や京都などの神と縁が深い土地ばかりである。たまに人里外れた田舎なども出てくるが、私が今住んでいるこのラスクが美味い未開の地は、全く登場していない。
つまりは神術師達がこの地へ遠征して来ない限り、私が見つかる事はほぼあり得ないだろう。
東京の雑多は恋しいけれど、こんなクソ田舎でも駅前に行けばそれなりの娯楽は楽しめるし、暇を持て余す事は無いはず。この狭いネットワークで、一生を過ごすのは少々息が詰まりそうだが、死ぬよりはマシだ。
という事は、私はこのまま未開の地で、一生を過ごせばいいという事だ。
よし決めた。私はこの生まれ育った地に骨を埋めよう。主要キャラと鉢合う様な出来事なんて、考えられる可能性は、この地に災害級の詛いが舞い降りるくらいだろう。
そんなシーンも原作には無かったし、そもそもこの地の詛戸やらと言った詛いの類は、私が日常的に修祓しているから心配は無い。黑曜に無理やりさせられているだけだけど。
まあ、後はヒカリさんの急な転勤の話がくるとか?いや無い無い。そんなご都合主義過ぎる展開なんて有り得ない。何よりヒカリさんは総務部の所属だ。どちらかといえば転勤する社員達の手続きを担う側の人間。
転勤になるとすれば、都内の本社に人員が足りなくて半ば強引に部署異動させられるといったややこい事情くらいしかない。このまま定年まで働き続けるみたいだし、転職も考えていなさそうだから、その心配はしなくても良さそうだ。
よかったよかった。あれ、なんか案外あっさりと解決策が出来たぞ。なんだこんなに簡単な事だったんだ。何というか、拍子抜けだな。
でもこの先の未来を生きられる希望が見えてきたことに変わりは無い。命の危機を心配しなくても良い事が嬉しいなんて、こんなラノベの主人公みたいな事を思ったのは初めてだ。
自分へご褒美として、今日はとことん自分の時間を楽しもう。
久しぶりに漫画が読みたい。この世界で連載されている漫画は、一体どんなストーリーなのだろう。
そういえば、原作で主要キャラがガンマを読んでいる場面があったな。この世界のガンマなんて、喉から手が出るほど欲しい。
帰ったら一旦スクバを置いて私服に着替えて、前世振りに本屋へ行こう。友達がいないおかげで、お小遣いはじゃんじゃん貯まる一方だったから、漫画本大人買いと行きますか!
呪縛に解き放たれた様な解放感で、自宅のマンションを目指した。
自宅に着いたらさあ、これから私のど田舎スローライフの始まりだ!
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なんて、心弾んでいた日が懐かしい。そうあの時の眩しい自分を瞼の裏に思い浮かべる私の前には、初めて見る小洒落た色彩の扉。
教室札に記されたクラスは、以前の2クラスしかなかった田舎中学とは違う[3−7]という今世では見た事も無い後ろの数字。
しばらく呆然と佇んでいると、室内から教師の促す声が聞こえた為、ひと言断って扉を開けた。勝敗の着いたオセロの様に、みっちりと隙間無く並べられた机から、一斉に視線がこちらへ向くのが分かる。
黒板を見ると、すでに白字で書かれた私の名前と、その横には新しく担任となる女性の教師。
私は今日、転校して来たのだ。東京都内にあるこの区立中学校に。