第二話 贖罪
しかしそんな願いも神様には届かず、再び椿輝凜として意識が戻ってしまった私。
どうやらリビングのソファに寝かせられている様で、傍にヒカリさんの存在を感じる。
ああ、やっぱり私は犯した罪から逃れられないようだ。
前世でやらかしたガス爆発だって、きっと大多数に迷惑がかかっている。
どれほどの賠償額になるのだろうか。遺された家族達への罪悪感でまた死にたくなる。
しかし、今の私にはそんな悠長に家族の心配をしている余裕なんてない。
殺意を向けてしまったヒカリさんに対しての贖罪は第一にするとして、その後の人生をどう生きるかを考えなくてはならない。
まずは私が転生した漫画の設定を思い出して整理しよう。
【神のまに魔尼】。通称『神まに』。この世界では“穢れ”と“詛い”という概念が存在し、人々に災いをもたらす。
穢れは人々が抱く傲慢、憤怒、色欲、嫉妬、後悔、殺意などといった負の感情のこと。
そして詛いは、膨大な穢れによって具現化された怨霊や呪物の事を示す。
神まにの世界では怨霊を“詛怪”、呪物を“詛戸”と呼ぶ。
例外として生きたまま詛いとなってしまった人間の事は“詛人”と呼んでいる。
それらを修祓する人々が神術師と呼ばれる異能力者達だ。彼らには神力という神聖な力が宿っている。生まれた時から“神使”が傍に仕えており、刻まれた術式を自在に操れるのだ。
主人公の名は降魔正悠。鬼神を神使として使役し、怒りを神力に変換できる特異体質だ。術式は鬼火。椿輝凜を修祓した正義のヒーロであり、椿輝凜に翻弄され、初恋を奪われた哀れで無垢な16歳の少年である。
次に何故、椿輝凜が主人公に倒される詛人となったのか。
かなり複雑な設定だからこれも簡単に整理しよう。
まず椿輝凜は生まれながらにして、首に溶岩が固まった様な、どす黒く禍々しい痣があった。
この世界では、この気味悪い痣の事を“穢疽”と呼ぶ。これは詛人に例外なく発症する穢れの象徴である。通常、穢疽は後天的にできるものだ。何故なら負の感情は人々が成長する過程で心に宿すものだからだ。だから生まれながらに穢疽を発症している赤子はこの世界に存在しない。
しかし、椿輝凜は違った。人類初、いや、生物初の先天性穢疽の発症者として生を受けたのである。
彼女はこの穢疽に翻弄され、椿輝凜はとても傲慢で、可哀想な人間に育った。
生まれた時から家族はヒカリさんだけで、その捻じ曲がった性格から友達なんて一度もできたことがない。
その為に母に対し、異様な執着を向けていた。母の自由を奪い、過剰に周囲を遠ざけ孤立させていたのだ。それほどまでに、母親にとっての唯一無二になりたかったのである。
そんな中で発覚した隠された実の兄の存在。嫉妬を爆発させた椿輝凜は、感情の隨に愛する母を殺した。
その翌年から始まる物語にて、椿輝凜は多くの人間を詛い殺した。一般人はもちろん、主人公と共に切磋琢磨していた主要キャラクター達や、唯一の立場を奪った実兄すらも手にかけてしまった。
椿輝凜の神使に刻まれた術式は、それ程までに強大で、人々の命を最も簡単に削り取ってしまう能力であった。
ああ、端的に纏めたいのに原作の設定が複雑に練り込まれているせいで、原稿用紙一枚に収まらない。
脳みそフル回転させ過ぎて疲れてしまった。今めちゃくちゃ糖分を欲してる。一旦休憩しよう。あー、前世の記憶を取り戻しちゃったせいで、猛烈にタバコが吸いたい。くそ、真っ黒な肺が疼くぜ。逃げろお前達、俺のニコチンが切れる前に。こんな厨二臭いセリフをもクズ仕様に変換できる私って、とことんアホだな。嘲笑が巻き起こりそうだ。
さて、そろそろヒカリさんに誠意を込めた謝罪をしたい所だが、前世で人を殺そうとした事なんてあるわけ無いから、どう償ったらいいのか分からない。
土下座するか?いや、そんなんじゃだめだ。潔く出頭するのが、この場合一番まともな贖罪なのだろう。
まあ、まだ椿輝凜としては15年も生きていないから、少年院に入れられて終わりなのだけれども。
まだ10代のうちに前科がついてしまうのか。将来の進路は壊滅的だろうが、ヒカリさんが先程抱いた恐怖に比べたらちっぽけなものだ。
よし、腰を上げろ私。うん、三つ数えたら目を開けて、まずは土下座で謝罪。次に自分で通報して出頭しよう。
いくぞ、いーち…
「さっさと目開けろ狸寝入り雌狸」
「あでっ!!なにすんだクソ烏!!」
額を突かれた痛みで目を開けた。私のカウントをコントの様に遮った奴の正体は、私が使役している神使だった。一本足で器用に立つ黒い烏。名は黑曜という。
椿輝凜が先天性穢疽を発症した原因である。今はやるべき事があるので、黑曜のことはまた後で整理しよう。
黑曜への悪態もそこそこに、私はヒカリさんの方を見た。ヒカリさんは少し驚いた様に、相変わらず綺麗な顔立ちで目を丸くしている。
「あ…えっと、その…」
意を決して目を開けたのに、どうしようもなく気まずくて吃ってしまう。「ごめんなさい」が喉から出てこない。こうなったら行動だけでもいい。無言で床に星座して頭を擦り付けるしか無い。そうと決まればと、重い腰を上げようとした時だった。
「輝凜!!」
「え、あ!?うわぁっ!!」
唐突にヒカリさんから抱きしめられてしまったのである。脳がついていけず、混乱しながらも彼女を受け止めた。
私を包み込むヒカリさんの体温が温かくて心地いい。この穢れたクズさも浄化してしまいそうだ。
「何か変な所はない?ママの事見えてる?自分の名前は言える?」
捲し立てる様に私を気遣ってくれるヒカリさん。まず初めに謝罪をしようと順序立てていたのに、もうすでに計画が狂ってしまいそうだ。
「だ、大丈夫…」
蚊の鳴くような声でそういうと、私をまじまじと見ていたヒカリさんはみるみる顔を歪めながら、目尻から涙を落とした。
「よかった…」
そう言ってヘナヘナと力が抜けた様に顔を俯かせるヒカリさん。
泣き顔が綺麗すぎてどこぞの銀幕女優さんかと思ったよ。美人の泣き顔はこの世で一番の武器だな。
「あーあ、お袋さん泣かせてやんの」
「ちょっと黒曜は黙ってて」
黑曜を黙らせつつ、ヒカリさんの背中を摩りながらテーブルに置いてあるティッシュを差し出し、泣き止むのを待つ。
すげえ、まつ毛が長過ぎて涙が乗っかってるよ。朝露に濡れて太陽に照らされた花みたいだ。どんな宝石寄りも輝いてて綺麗だなあ。
「…ん、大丈夫、ありがとう。黑曜ちゃんも心配してくれてるのかな、ありがとう」
ティッシュで涙を拭いながら、黑曜とは反対側の方を向いてお礼を言うヒカリさん。こんな時に、ヒカリさんの設定も軽く整理するのだが、ヒカリさんには神力がないので、黑曜やその他の神使は見えていないし、声ももちろん聞こえない。
「ママ、黑曜はこっち」
「えっ!ごめんなさい黑曜ちゃん!」
黑曜を鷲掴んでヒカリさんの前に差し出す。黑曜は部が悪そうに私を睨んでは、ヒカリさんに向き直り「…どーも」と照れくさそうに言った。
もちろんヒカリさん視点では、ただ私が空気を掴んでいる様にしか見えていないのである。
「黑曜がどーもだってよ」
そう言うとヒカリさんはまつ毛に残った数粒の雫を煌めかせながら、いつも通りの眩しい笑顔になった。
ああ、やっぱり美人だろうが無かろうが、人は笑顔が一番綺麗だ。少しばかり場が和んだ所で、ようやく私の決心は固まってくれた。
深く息を吐き、ヒカリさんに頭を下げる。
「ごめんなさい。私、ママに取り返しのつかない事をしようとした」
「輝凜…」
「だから私、自首しようと思う。自分の犯した罪を認めて、きちんと償ってくるよ」
再び顔を上げ、ヒカリさんに意思を伝えると、ヒカリさんは再び顔を歪めた。
「いい。そんなの償わなくていいから。これは輝凜のせいじゃない。輝凜に隠し事をしていた私のせいなの。それに輝凜は思いとどまってくれた。そして謝ってくれた。それだけで私は十分だから」
必死に首を横に振り、私の意思を阻むヒカリさん。恐らくはこの件を無かった事にしたいのだろう。ここまでの無償の愛を向けられる母親もそうそういないのに、ヒカリさんが聖女過ぎる。
前世の私なら「じゃあお言葉に甘えて」と罪を無かった事にしている所だ。でも、今回ばかりはそれではだめだ。多少見逃してもらえる様な軽犯罪なんかじゃないんだ。クズな私だって、自分の犯した罪の分別はつく。
よかったな椿輝凜。あんたはママの唯一じゃ無かったけど、こんなにも愛して貰えてたんだぞ。
そう肉体に言い聞かせながら再びヒカリさんを抱きしめた。
「ママ、ありがとう。私を許してくれて」
そう言って立ち上がり、テーブルに置いてあったスマホを手に取った。通話アプリを開き、110を押す。
「輝凜!!お願い、行かないで!!」
ヒカリさんの制止する声が聞こえる中、呼び出し音が途切れた。