64 竜の導き
ま
「んじゃ…やるか、優輝!」
「うん。」
不敵な笑みを浮かべながら、自らの鍛え抜かれた堅い拳に更に拳を強化する手甲を纏う。山のように隆起したその肉体、そして鍛え抜いた己の拳。それに絶対の自信は持っている…とはいえ目の前のソレはとても油断して良い相手などでは無い。
先ほどの攻撃もそうだが、それ以上に己の中の直感が…『マズい』と告げている。だからこそ、普段は不要な手甲を装備した。無論筋力を強化する魔法道具であることは勿論として、今回に限っては本来の用途である自らの腕を保護する役割に重点を置く。
「行くぜ、化け物。」
煉は己の拳を打ち合わせる。
息を吐き─
「《縮地》…」
彼我の距離を瞬時に詰める。それは本来…達人じみた足捌きによって彼我の距離など無かったかのように、まるで目前に突如現れたように錯覚する。そんな技術であるハズだ。しかし彼のソレは、既にそんな常識の範囲から逸脱した…人ならざる異界の技。
極僅かな距離ではあるが、彼は本当に点と点とを結び、その身を瞬時にその場に転じる…そんな技をいつしか会得していたのだ。
或いはそれは…たった一人、間に合わなかった最大の友への想いから得た物だったのか…
「ッら゛ぁ!!!!」
─ズン…と、重く、太く、そして長く鍛え抜かれた拳が、魔王のその身を真正面から打ち据える。
魔法効果の付与された金属鎧すらひしゃげさせる豪の一撃。凄まじい音に一拍遅れ、魔王の周囲の水がまるで中心にある魔王を避けるように吹き飛び、更にその直下にある地面にクモの巣状の亀裂を作り出し、地面そのものを沈ませる─
「─マジかよ!?」
そんな一撃を与えた張本人である煉の驚愕した声。
それは己の一撃への自信をへし折られた故に、せめて声を荒げて張り上げ、それを悟られないようにするための虚勢。
煉の拳を受けたソレは、先ほどまでの異様な外見の化け物では無い、いや、異様さこそ変わり無いものの、皮膚の無い肉のような、赤黒い色をした繭のような物が煉の拳を完全に受け止めていたのだ。ならば先ほどの魔王の姿は…
『それで満足かしら。』
「っ!?」
ゆっくりと隙間が生まれ、その無数の瞳と目が合って気付く。己の下腹部から下に伸びる無数の触手をまるで蕾のように形作り、身を守る盾としたのだ。タコやイカなどの小さな生き物だったからこそこれまで気にする事も無かったものの、触手というのは人の身よりもより密度のある筋肉の塊。骨が通っているわけでも無い以上、単なる殴打でへし折れるほど、甘いものでも無い、それが人と同程度の大きさ、太さに変わったならば尚の事─
「─煉!」
決定打を与えたと思った瞬間の一瞬の意識の途切れ…しかしそれは、戦場ならば命取りになる。
触手の盾の隙間から伸びるのは細く白い腕。人のものと見紛いそうになるが、その4本の指とよくよく見れば無数の顔が痣のように浮き上がっているソレが、煉目掛けて伸ばされる。
拳を握りしめているわけでも、凶器を持っているわけでも無いが…だからこそ、『触れられてはいけない』と本能が告げている。
《縮地》のスキルの発動も間に合わない…ならば、ならば、ならばと、普段の煉とは異なる"戦闘モード"とも言える切り替わりを見せた煉の脳は思考を加速させる。その結論は─
「─ふ、ん゛!!!」
スキルの発動よりも、魔法の発動よりも、逃走する足よりも尚早い神速の拳が、真正面から伸ばされた手のひらを粉砕するべく放たれる!
長いようで短い一瞬の思考のもとで導き出されたのは、結論として脳筋思考。『これが一番早いと思います。』を体現したあまりにも早い拳の振り抜き。
"ぐしゃ"とも"べこ"とも聞こえる人体が粉砕され、あらぬ方向へ曲がり、あらゆるを無に帰す最高峰の一撃が、今度こそ正面からそれを捉えた音が響き渡った。
『ちッ…』
さすがにこれは想定外だったのか、異形の魔王は無数の目を見開き、ひしゃげた腕を無視して触手の脚を伸ばしてその身体とは思えない素早い動きで後退する。
「─優輝!」
すかさず煉のやや後ろ、魔王からは死角となっている位置から、輝きを放つ剣を握るソレが疾風の勢いで飛び出す。
後退と前進、どちらが速いかなど語るまでも無く、そもそも…勇者にとって、その程度の距離は無に等しい。
「─はぁ!!」
『〈塵身〉』
剣を振り切ると同時に腕に届いたのは、それが空を切る感覚。何かに命中することもなく、ただその勢いのままに剣が空振る感覚。
しかし、それはあり得ない事だ。ほんの一時…剣がその軌道に乗るまでは、確かにそこには身体があったハズ。だからこそ剣を振るった、だからこそここまで飛び出してきた。煉がその拳を受け止められた触手による防御も、この剣ならば関係無い…それごと切り裂くつもりだった…。
魔王のその身体が、剣の軌道に合わせて2つに別れる。まるで手応えの無いその正体は、魔王の無数の瞳が零れ落ちると共に、小さな虫へと変わることで理解する。
集合体恐怖症という物があるが、そうでは無くとも人間大の塊が全て虫だったと理解した瞬間、さすがに誰でも、背筋がゾワッとする感覚を味わうだろう。男の子がみんな大好きなハズのカブトムシやクワガタだとしても、いや、さすがにムリ!!となるはずだ。それが全部蛾なら尚更だろう。
「うわっ!!!?」
指先ほどの大きさの濁ったような色をした白い蛾が、飛び立つでも無く、そのまま風に乗り腕や足にくっつくか、ボトボトと落ちていく。飛び立つ力が無いのか、或いは既に死んでいるのかは判らないが、勢いよく払うと潰して更に酷いことになりかねないため、絶妙な…本当に絶妙な匙加減で蛾を払い取る。
「なんっ…どこ、に…うっ」
全身の肌という肌がスタンディングオベーション状態ながらも本来の目的である魔王の姿を探るために周囲に意識を集中させ─足に登ってきたソレを払うために足を地面から離し、地面を埋め尽くす蛾の群れの中に上げた足の置き場が無いことに絶望す─いや、それどころでは無い。周りのことなど頭に入っているわけがない。
半ば目を瞑っているような状態で、煉の声だけが頭に響く…
「─避けろ!!!」
「ッ!!」
寸手のところで身を捻り、顔のすぐ横を通り過ぎる湿ったような肉の壁。一番最初に使われたあの攻撃ではあるが、超至近距離かつ、避けづらかったこの状況では一気に戦況を左右しかねない危険な物。
そもそも、この魔王とは違う…あちらの魔王もこちらへの攻撃よりは何故か触れることを優先していたように見える。それが何を意味するかは判らないが、煉の拳を耐える程度の戦闘能力は有している以上、何をされるにも危険は伴う。
『…忌々しい。黙っていればそのまま潰れてくれたのに…。それとも"勇者"の反応速度のおかげかしら?どちらにせよ…失敗だわ』
いつの間にか異形の魔王の姿は遥か後方へ移動しており、適当に腕を振るうと、肉の壁を形作っていた嬰児らしきそれらがバラバラとなり降り注ぐ。それ自体に攻撃性など皆無だが、単に絵面が気持ち悪く、戦意を削いでくる程度の効果はある。優輝自身、蛾などより遥かに潰してはダメそうなそれらを見て、そのまま飛び込もうとしていた足を止め─
『─もう、必要無いわね。』
直感のような何かに突き動かされるままに大きく飛び退る。
─パン
両の手を合わせて叩く乾いた音。わざわざ大きな音を出そうとしたわけでも無いため、もし動き回っていれば水を弾くバシャバシャという音でかき消されていた可能性すらあるその音。
しかし、その音に反応したのか…ここまでただうめき声を上げながら手足をでたらめに動かしていただけだった皮の無い肉塊たちが動きを止める。
まるで天を仰ぎ見るように…その首を無理矢理に上げ、内側から押し出されるように…殆ど開いていない瞼からその目玉が飛び出す。いや…全身が歪に膨らみ、苦しそうなうめき声を上げ……熟れすぎた果実が弾けるように─
─ッッッ!!!!
己の身を挺した自爆攻撃は、周囲に散乱している子供たちの数だけ起きる。
その威力はその小さな身体からは想像出来ないほど高威力であり、飛び散った肉片は霧状の血と共に周囲に広がる瓦礫や建物の壁にべったりと張り付く。そして、爆発の威力を引き上げるのは、無論それらの身体を構成する一部分…骨や歯などの硬質な部位。まるで弾丸のように射出されたそれらは、硬質な外皮も、鱗も持たない脆弱な人間の皮膚など容易に引き裂き、肉を抉り、骨を砕き、臓器を破壊する。それだけの威力が…あったハズだ。
『…全く』
煉の前で盾になるように、優輝の身体を中心として、十字に4本の剣が地面に突き立ち、展開されたオーロラのような光の膜がありとあらゆるを防ぎ切る。
もとは1本であったハズの分裂した聖剣は、『十字の聖域剣』であり、剣を握る勇者に対して護りを与える防御特化の聖剣かつ、それらを地面に突き立てる事により無敵の結界を発動する《聖剣聖域》の媒介となる聖剣。
4本の聖剣はまたひとつに戻り、導かれるように優輝の手の中に再び収まる。
根本的に、この世界における"勇者"とはやはり特別な存在なのだ。勇者として覚醒した者は、その身に宿っていた潜在能力を覚醒させ、他者とは隔絶した圧倒的な能力を発揮する。
いや、それだけでは無い。勇者だけが扱える《聖剣召喚》の力も、歴代の勇者の力が集結した特別な力であり、最も新しい代である彼こそが、歴々の力が収束した最も強い聖剣を扱うことが出来る。
全ての魔王を斃すため。新たな犠牲を出さないためのその力。
時に、それは理不尽の権化たる"魔王"をしても、"理不尽"だと感じざるを得ないほどの力を発揮するのだろう。
優輝の握る剣が再び形を変え、彼にとっては馴染み深い、片刃の薄い剣…『刀』の形状となる。刀であれば、その構えは決まっている…。優輝は腰を深く落とすと共に、その刀を鞘へと納める。
『居合』と呼ばれるその構えは、納刀状態という死地に於いては無防備な構えと、刀身の全長が不明確になるという油断から、相手に間合いを悟らせない…その状態から一瞬にして抜き放ち、『居合斬り』というひとつの業として完成される物だ。
とはいえ魔法やスキルなどといった、理屈の通じない超常の業がありふれたこの世界ではそれは隙でしか無いハズだ。ならば…あえて、優輝がそれを選んだ理由は何なのだろうか?
答えなど判り切っているだろう。
───
抜いたと同時に踏み込んだ、認識出来ない程の一瞬。距離を無視して到達した優輝の居合斬りによる神速の斬撃が魔王の身体を胴から両断する─
─ギィン!!!
ソレが、優輝の見ていた剣の軌道。
しかし現実はどうか?甲高い音が鳴り響き、硬質なナニカに…しかし確かに感じたことのあるナニカによって阻まれる。
『あぁ……煩わしい。心の底から反吐が出るわ。私はあなたを知らないのに、私の血が…私の力が、あなたを恐れる。』
優輝の握る剣の輝きを反射する硬質なソレは、試練の黒龍を想起させる漆黒の鱗。剣を受け止めるように持ち上げられた腕に生え揃ったその鱗は、見た目のみを模倣した陳腐な物などでは決して無く、確かに勇者の剣の一撃を受け止めつつも、ヒビひとつ入らない…本物に限りなく近い…或いは同等の性能を持っていた。
「ぐ…!!」
再度力を込めて振るおうとした優輝の剣が、鱗を持たない…まるで人間のような美しい手のひらが握り、掴む。
硬質な鱗に包まれていない生肌は、容易に刃に敗北し、痛々しい赤黒い血を流しながらもその挙力に物を言わせ優輝の身体を無理矢理に引き寄せ、その無数の瞳と、優輝の瞳が至近距離で交わる。
『私を救ってはくれなかったのに、私がこちらに回った途端あなたは私を殺そうとするのね。』
それは明確な非難であり、魔王から聞いた勇者に対する敵意と悲しみ。勇者に救いが無いならば、彼女の救いは何だったのか…。
『…永遠にして、尊き竜祖よ…我らに竜の路を開き、その導きを持って我が願いに応え給え。我ら小さき者らに竜の導きを…。我ら小さき者らに彼方より応え給え…。』
少なくともその相貌には存在しない唇で、彼女にとっての祈りの対象、神である竜の祖への祈りの言葉を捧げる。
小さき我らに導きを…竜の路を指し示し、与え給えと。竜の路を……そう、竜の導きを。
仕方なく刀から手を離し、距離を取ろうとした優輝の瞳にソレが映った。
「は」
無数の瞳を閉じて、真摯に祈りを捧げる魔王の…その背後に現れたのは、巨大な光の輪と、そこから這い出す赤黒い光の粒子で形作られた巨大な竜の頭。彼女の届かないハズの祈りが通じたのか…はたまた魔王の力の故か…。
偽りの竜はその顎を大きく開き─
『〈黄金の火よ〉』「ッ!!」
魔王の詠唱と共に、凄まじい熱を発する白い炎の息吹が、刀を手放し完全に無防備な優輝へと一直線に放たれる。
神聖魔法による本来"聖炎"とも呼べるその輝きは、竜の息吹という形に書き換えられ─
「ぬぅん!!!!」
いやに雄々しい掛け声と共に、鉄塊とも見紛うほどの、巨大な二本の剣が、地面に深く突き立てられる─
「─さぁ、来るが良い!!!」
野太い声とほぼ同時、火山の噴火を想起させる程の爆音と共に、凄まじい熱が優輝と、そんな彼を守るように立ち塞がる大男へと放たれる。
コンマ数秒にも数十秒にも思える…しかし、ほんの一瞬の拮抗と共に、ゆっくりと…しかし確実に大男の身体は耐えきれず後退する。金属など容易に融解してしまうであろう熱を受けても変形していない大剣を見るに、それは魔剣の類ではあるのだろうが、それでもそれはあくまで『盾』ではなく『剣』である。
しかしそれが、簡単に退く理由になるだろうか?
─オォオオォォォォォォ!!!!!
掻き消されそうな程の爆音の中でも、確かにその咆哮は聞こえた。"絶対に退いてなるものか"という絶対の意思と覚悟。まさに『男の意地』とも呼べるソレが、彼の原動力のひとつ足り得る。そしてもうひとつ─
「ぬぅん!!我が弟よ!!!我に力を!!!お前の剣!!お前の意思!!それをこの場に!!そして我に!!!この程度で!!!退いて!!なる、ものかぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁ!!!!」
それは間違いなく特別な力などでは無い人の意思の力。単なる剣で、只人の身で、彼女の神に、天災たる竜にひとつでも勝ち得る圧倒的力。
「ふぅ……」
竜の聖炎が途絶えた時、やはりそこには男が立っていた。闇に閉ざされた世界でも、一際輝く桃色の鎧が。
火傷を負いつつも、その顔に凶悪な笑顔を張り付けた存在が。
「化け物よ、我が名を知るが良い!!」
『ッ』
大男は地面から巨大な2本の剣を引き抜き、正面の存在へと構える。
「クラス6冒険者チーム『血杯の兄弟』リーダーにして、最強の兄!【桃輝の鎧】タウロ!!!貴様を斃す者だ!!!」
■
「のの!!ストップ!!ねぇののッののッ!!野乃葉ぁ!!!」
「いや、あいつもうほとんど見えねェぞ。」
麗の怒声にも反応しない理由は明白。この巨大なうさぎが野乃葉よりもかなり先行しており、バシャバシャと煩い足音のせいで野乃葉まで声が届かないからだ。
後ろを見れば、100mはさすがに行かないまでも、かなり距離が離れている。
天真爛漫、元気系女子っぽい見た目の通り、野乃葉はそこそこ運動が出来る方だ。どこに向かうつもりなのかは不明だが、少なくともその場に着くまで体力は持つだろう。……つまり彼女の体力が尽きるまでは、止まって自分もうさぎに乗せてもらうという選択肢は取らない…。まぁ、そういう生き物だから仕方がない。
「つぅッ…南も拾って行きたかったけど!ののは何も考えてないから!!」
「………ぉぅ」
思わず悠真の声が小さくなったのは、麗が放った言葉のひとつに、何とも言えない感情を抱いた故だ。
"南も拾って行きたかった"との言葉…。しかし、悠真はアレが南だったのか、未だ疑問に残っている…。確かに、南か南で無いか…と言われれば南だったのだろう。しかし、雰囲気と言うか…なんというか、どこか、自分の知る南とは異なっていたのだ。
なんだ?……何が違った?とはいえ…俺が南と知り合ったのは高校からだ…そう長くない。そんな俺が気づいていて、相当幼い頃から南のことを知っているハズの幼馴染…麗や野乃葉が気づかない…?何も…違わないハズ……
「同じだ、……同じ………」
同じ…?
そうだ…この世界で、他に見たことは無い。白い髪、血のような深紅の瞳。シミひとつ無い白い肌。だが…同じ。記憶と変わらないあいつの姿。
「やっぱ喋んねェからか?」
南と言えば良く口が回る。
口から産まれた男と言っても良いだろう。本人曰くだが…頭の中はもっと煩いらしい。基本的に適当なことしか喋らない男。これも本人曰くだが…頭が回るから頭に浮かんだ事を全部吐き出しているらしい。これも本人曰く、お前たちにアイデアを恵んでやってるとのことらしい。
ならば、喋らない南とはどんな存在か…。
「…南じゃねェな。」
そんな存在が居たらその次の瞬間には世界が滅亡しているだろう。
─!!!
ややニヤニヤしながらそんなことを考えていた思考を全力でぶち壊したのは、巨大なうさぎの急ブレーキ。鞍が着いているわけでも無い以上、乗り心地など皆無に等しい。麗はしっかりとうさぎの毛を掴んでいた故に─多少毛が毟られ、犠牲にはなったものの─無事ではあった…。
ならば悠真は?
投げ出された先は空中。
とはいえ悠真はある程度…そこそこ…まぁまぁではあるが運動神経がある方だ。異世界に来た影響なのか身体能力もそこそこ上がっており、これだけ猶予があれば受け身くらいは……
ごん…
と、鈍い音が麗の耳にはっきりと聞こえた。受け身もまるで取れず、かなり無様に顔面をぶつける姿も見た。しかし…何に頭をぶつけたのかが判らない。
ぶつかった壁に対してまるでアニメギャグシーンのようにズルズルとずり落ちていく悠真の姿を見ても…いや、本当に何にぶつかったんだろう?という感想しか出てこない。
「っとー!!なにごとなにごと!!うさ吉………何号だっけ?」
急ブレーキを掛けた故にそのまま走ってきて追いついた野乃葉…そんな彼女が召喚したうさぎに付けていた名前の適当さが明るみになったところで、ようやく状況を理解する。……野乃葉が召喚したうさぎであるうさ吉9号が野乃葉へと伝えたのは……。
「麗ちゃん壁だって!」
「それは判ってるわよ!!!そこに証人が転がってるでしょう!」
怒鳴りながら指を指した先は、当然転がっている悠真。顔面を抑えながら、かなり心配になる量の鼻血を流しているが、そのへんを心配する者はこの場には居ない。円香であればたぶん社交辞令的な「大丈夫か〜?」を言ってくれただろうが、その円香の意識は未だホラー映画の世界線から出てこれておらず、気絶しながらも苦い表情で魘されている。
意識がある上にピンピンしている悠真を心配する必要など無く、円香が心配の声を上げない以上、今話題になるのは必然的に
「か、べ…。」
血の溜まった口の中で、必死に舌を動かして発した言葉は『壁』である。歯も折れているし、鼻も折れている。間違いなく固い何かにぶち当たり、こうして無様を晒したハズだ。
しかし…それを悠真たちは視認出来ていない。うさ吉9号が気付けたのは、動物的勘とかそういう物の影響だろう。………ここに煉が居れば気付いたかも知れない。
「く、そ……が……ざけンなよ。痛ェ……」
都市は闇に包まれた。ならばそれは何の影響だったのか?それの答えがそこにある。巨大な壁が、都市の全てを呑み込んでいる。少なくとも、悠真の体を張った突進では破れない程度の性能の壁がそこには聳え立っているわけだ。
ならばもっと高威力の一撃ならば破れるだろうか?
「悠真、邪魔。どいて」
「は?ちょッマ!!」
心配してくれる人は居ないだろうとは思っていたが、予想以上に冷たい言葉が飛んできてさすがの悠真も呆けた声が出てしまう。しかし、目に飛び込んできた光景を見て痛みも忘れて飛び退き─
「《一閃穿ち射ち》」
スキルの発動…その直後に凄まじい閃光が巻き起こり、それに相応しいだけのエネルギーの奔流が見えない壁へと叩き付けられる。
防御貫通に特化した連発の効かない最高クラスの一撃を一切の躊躇なく…しかも悠真の居た場所に放つという暴挙。
明らかにヤバいヤツに先ほど会ったにも関わらず矢を節約することもなく、他のメンバーの攻撃を試してみようとかそういう事もなく行われたえげつない暴挙。
"とりあえず殴ってみよう"で半分必殺技じみた技を使ってしまうという暴挙。
─カァン!!
しかし、そんな暴挙も虚しく、あとに残るのは弾かれた上、スキルの反動によって再起不能に粉々となった特別な金属製の矢と、未だ健在…かは触ってみなければ判らないが、まるで手応えの無かった見えない壁だけ。
「ダメね。コレで無理ならもうお手上げだわ。」
人体など容易に貫く威力を誇るソレではあるが、残念ながらその壁は貫くことが出来ないらしい。悠真がそのまま前に居れば悠真を貫くことは出来ただろうが、悠真を貫いても何の意味も無いわけだ。
「ったく…」
何か言い返したい思いはあったが、漢、悠真は口を噤み…大人しく自分の顔面に治癒魔法を掛けておく。折れた前歯は戻らないが、その辺りはアルカナムに戻れば篠原が治してくれることだろう。骨折どころか腕が切断されてようが、縫合もせずくっつければ治せるというチート具合は、某ゲームの某ハーブを組み合わせた某液体を思わせる。是非ともこっちについてきて欲しかった。しかしその場合は世界観が変わってしまうかも知れない。某ウイルスによって某ゾンビな某パンデミックが起きて某シティばりの大惨事になるかも知れない。
そもそも戻らずともあとで余裕さえあれば自力でも治せる。さすがに今ソレを使うわけにはいかないので…暫くは歯抜けで我慢するとしよう。
「ん?」
どこか遠く…いや、悠真たちが逃げてきた方向から、爆発音のような物が何度か響く。
あの化け物と…南(?)との戦いがまだ続いているのだろうか?いや…1回確実に死んだのは見たが…、魔王だから勇者じゃ無いと殺せないんだったか?
「…そもそもよ、アレは本当に魔王なンか?」
悠真たち自身、そもそも魔王という存在についての理解が曖昧なのだ。
『魔王は勇者にしか倒せない』という絶対条件が存在してはいるものの、現にこの世界では、天使が魔王を封印することで平和が保たれている。つまり、魔王の対勇者への脆弱性というのは、魔王が勇者からの攻撃以外全てを無効化する…という仕様では無いことを意味している。だとすれば普通の攻撃でも…先ほどの南(?)の攻撃のようにダメージは通るし、実際あの魔王は攻撃に対しての防御反応、腕を盾にして防ごうとするような動きもあった以上、魔王もそれを認識している。
だとしたら……なんのための勇者なんだ?
思考の渦に呑み込まれそうになっていた悠真の思考を引き戻したのは、浅い水に沈んでいる身体にナニカが触れた時。
水の中故に圧力があまり仕事をしておらず、かなり柔らかに触れているせいか、感触も何も判りはしないものの、少なくともそれは波も無いこの場所で明確に悠真に向けて何度も触れている。
「あン?」
手のひらで掴んでみると…それはぶよぶよとした、柔らかな感触。芯が無いのか指が深くまで埋まり、思わず男ならば誰しもが妄想するアレを想起させる柔らかさがある。
しかし、それそのものを視認出来ていない段階でそれを"掴んでみる"という選択肢を取り、返ってきた感触が思ったより意味のわからない物だった。そこでようやく、悠真はそれが何であるかを視界に納め─
「─び!!!?」
恐らく悠真の人生を辿ってみても最も速い速度で水底から引き抜かれた腕。そして悠真の人生を辿ってみても一度も上げたことの無いレベルの情けない悲鳴。なんだよ「─び!!!?」って。自分でも聞いたこと無いぞ。
「は?何…私の矢でも掠ったの?」
何故かイラついている麗にとって、情けない悠真の悲鳴は十分に我慢の利かない事象だったらしく、半分キレながら「そんなわけ無いよなぁ!?」という答えが既に決まっているヤクザ質問をした麗だったが、その顔色が一気に青ざめる。
周囲は既に気持ちの悪い肉塊の赤ん坊に囲まれていたのだ。
「うへ、気持ち悪っ」
そんな青ざめている麗とは対照的に、野乃葉はわりと聞いたこと無いレベルの本気ボイスの「気持ち悪っ」を吐いてしまう。彼女のKAWAIIは可変式なのだ。たとえ蛙化されようとも、心から本音をその場で言ってしまう。本当に"女の子らしい反応"というのはさっき既に実践されているハズだ。見てみろあれを、恐怖で気絶したあとに、巨大なウサギの上で眠るとかいう周囲とは真逆のメルヘンチックな状況を。恐怖で気絶するって女の子ポイントとしてはかなり高いだろうアレ。それの更に上を行く、うさぎに助けられるファンタジー。何か物語が始まりそうな状況じゃないだろうか?
まぁ、始まるとしてもかなりB級映画感が漂う作品になるだろうが…パニックホラーとメルヘン童話を無理矢理合体させて異世界物を適当にぶちまけたみたいなストーリーになりそうではあるが…。
「っ…逃げ切ったと思ったがよ…まさか居やがンのか!?」
想像通りであれば、この能力は正に野乃葉に近い召喚系能力。しかし野乃葉と異なるのは、召喚した存在そのものには殆ど攻撃性能、或いは有効な能力が無いことだろう。
見た限りでは、その肉体を固めてぶつけるという、もはや瓦礫で良くないか?という攻撃のみ。しかしそれは別にこの召喚物単体の攻撃能力では無いし、結局攻撃自体を食らっていないので「気持ち悪い」という先ほどの野乃葉の感想と全く同じ感覚しか憶えない。
だからこそ、危険性の無いそれらを外見のみで恐怖しつつも、脅威としては感じてはいなかった…。そう、ここまでは─
肉の塊が蠢き、集まる…。
うず高く積み重ねられたそれは、悠真たちとさほど変わらない程の背丈にまで変わり…"ズルリ…"と、内側から細長い腕が生える。
『ぁあ…ぁ?』
言葉とも言えないか細い声と共に、腰を逆側に曲げたソレは、背丈よりも長く、水に浸かる程の髪の隙間から…瞳の存在しない眼窩でこちらを見つめる。
その細い腕には背骨をそのまま引き抜いたかのような歪な形の刃物が握られており、ホラー映画さながらの…明らかに"ヤバい存在です!"という雰囲気をありありと醸し出している。
「っう……クソがよ。」
冷静に考えて、この場には近接職が居ないのだ。
味方が強ければ強いほど力を発揮出来る悠真を筆頭に、弓での長距離射撃に特化した麗。召喚による妨害及び支援に特化した野乃葉。
そして未だ眠り姫状態の円香も、個としての戦闘能力は低い使役職。
さすがにこの場ならば前に出るべきは悠真だろうが、悠真の近接戦闘の技術など、素人に毛が生えたレベルよりちょっとだけ上程度なものだ。無論、コピー時に活動した動きを記憶では覚えてはいるものの、それでコピーが切れたあとにその通り動けるかどうかは全くの別問題。
テレビで格闘家の技を見て見様見真似で完璧に出来るわけ無いだろう?アレと同じだ。
故に悠真には"切り札を切る"という選択肢しか残されていない。
ひとまず自身以外は女子しか居ない。それは=で「お前が前に出ろよ」という圧が掛かっていることを意味する。早めに動かなければアレだ。麗から矢が飛んでくるかも知れない。たとえ野乃葉が先に召喚を発動して突撃させたとしても、少なくとも麗から言葉の矢が飛んでくるのは確実だ。ケガしたばっかりなのに働かせようなんてなんてやつだ。
しかし悠真も男だ。そんな感情は仕舞い込み…前に出ながら腰に刺した剣を………
「あー、宿に忘れたわ。」
丸腰なのに前に出てきた良い的に対して、異形の化け物が動き出す。別に100mも離れてるわけでも無い以上、そこまで時間の猶予は無い。いや、思った以上に速い。世界記録狙えるくらいの速度で走ってくる。え?あんなデカい武器持ちながらその速度で走れるの?その速度のまま振りかぶられたら一撃で頭カチ割れるんだけど?
よくよく考えると寝不足な上に酒が入っている頭で、悠真は必死に…「どうしようもなくね?」という結論に達した。
「あー、頭痛え。」
半ば遺言に近い言葉は、今の気持ちをそのまま声に出しただけ。あとは切り札が通用するか否かの問題。覚悟は決まり…あとは─
─斬
先ほどまでのぼやけた頭を一気に晴らす光景。
いやにスローモーションに、いやに鮮明に、その化け物の首が落ちる。誰も、その場の誰もが何が起きたのか理解出来なかっただろう。
確かなのは、何もなかったハズのその場に、小太刀ほどの長さの刃を振り抜いた、獣の様相を持つ女性がいつの間にか立っていたこと。
まるで影を切り抜いたような漆黒の衣を纏ったソレは…"影に潜る"という彼女の特別な力であり、彼女の呼び名をまさに体現しているようでもある。
「申し訳ございません、少々…遅れました。」
【影潜】ハクラ。
アルカナム王国最高位の実力者の1人が、刃を抜いたのだ。
御影悠真は一応治癒魔法が使える設定。しかし完全上位互換である篠原結華や北瀬優輝が居るので誰も治癒魔法要員として見ていません。彼が治癒魔法を使う場合、一旦優輝をコピーして、優輝の治癒魔法として使った方が効果が高いので。




