突然の出会い
彼女が住むその館は『魔の森』と呼ばれる森の奥深く、普通であれば気が付かない所にある。ある日、そんな館にやってきた人間がいた。
ユーリがそこにたどり着いたのは、偶然か。はたまた誰かの誘いか。日が高い時間に森に入ったはずがもう暮れてきている。そして入り口の方で研究に使うための薬草を採取していたはずが、いつの間にか奥に入り込んでしまっていたらしい。この森は魔女が潜んでいると言われるほどに不気味な雰囲気が漂っている上になんの気まぐれなのかは知らないが天気がとても変わりやすい。だから近隣の村の人々は誰も近付くことさえしない。だから材料は豊富にあるし取り放題。ユーリは独り占めできると喜んで採取を続けた。いつもと変わらないことをしていただけなのだが熱中してしまっていた。気がついた時には帰り道も分からないような所まで来ているし、雨も降り出した。仕方なく止むのを待とうとしばらくその場に留まっていたが一向に止む気配はなく、逆に強くなってきている。髪も服も靴も鞄も全てが濡れてこれは風邪を引いてしまうなと苦笑しているとどこからか声が聞こえてくるような気がした。
『こっち。こっちよ。ほら…』
あまりにも小さい声だったので幻聴かとも思ったが今度は耳元で
『おいで。案内してあげる…ふふふ…』
と。後ろを振り向こうとした瞬間、ユーリの体を押すように強い風が吹いた。それに抗うことなく身を任せていると開けた場所にでた。先程まで降っていた雨はなく、晴れているし何故か服も乾いている。そして目の前には人が住めるのかと思うほど古びて蔦が絡まった洋館。この森にこんなものがあるとは。自分が知っているのはほんの一部だったのだな。と物思いにふけりながら館に歩み寄ると、ひとつ分かったことがある。それは思っていたより古くない、ということ。遠くから見ればボロボロだと捉えられる外壁はそういう塗装が施され、蔦も比較的新しいもの。屋根や玄関もよくよく見れば敢えて古く見せるデザインだ。この館の主の趣味だと一通りみたユーリは捉えた。雨も止んだのならさっさと帰ろうと来た道を戻ろうと振り返ればそこにはある所を境に晴れと雨がくっきりと分かれている光景が。
「な、なんだよ…これ…。え…?」
慌てて駆けていくと何かにぶつかって尻もちをついた。何も見えないのに前に進むことが出来ない。何度か試してみたがやはりだめだった。透明な壁のようなものがあるようだ。このままでは家に帰れないと焦るものの、遅く帰ったとして心配してくれるような家族は誰もいないと自問自答して落ち込む。すると先程聞こえたあの声がまたこだまして
『…ていい…こちらへおいで。こちらがわへ…』
途端ユーリの体はその声に従うかのように館の方へ。不思議と抵抗する気は起きず、素直に歩いていく。
するすると扉の前まで戻ってきたユーリは躊躇うことなくその扉を開いて中へ入った。ただ一瞬、鍵が閉まっていない事に疑問を抱いたが、それきりユーリの瞳は何かに支配されたかのように虚ろであった。
館の中は外観と同じで古びたようになっているが置いてある物や内装自体は新しかった。ユーリの足は止まらずどんどん館の奥へ奥へと進んでいく。本来は誰が、どんなものが住んでいるかも分からない建物にずかずかと踏み入るような性格ではないのだが、やはりこの時『彼』はおかしかったのだろう。そして館の見た目に反して真っ直ぐ長い廊下を進みひとつの部屋の前でその足は止まった。しばらく部屋の前で固まっていたが、やがてその手がドアノブを掴んだその時。
「あらあらあら…。許可もなく侵入しただけでなく、女性の部屋を勝手に覗こうだなんていいご身分ねぇ?」
横から伸びてきた手に腕を掴まれたユーリはハッと正気を取り戻し、間髪入れず謝った。けれど目の前の女性の冷たい視線は変わらず手は今もユーリの腕をギリギリと握っている。細い腕からは想像できないほどの力で、大した運動もしていないユーリからすればとても痛い。
「形ばかりの謝罪なんかいらないわ。かけらも悪いだなんて思ってないでしょう。それよりもあなた、誰?」
「え、えっと…僕はこの森の近くの村で研究者をしている、名前はユーリといいます」
「ふぅん…ユーリ、ねぇ。それで?この館に来た目的はなに?ろくでもない理由だったら即行追い出すわよ。だいたいね…」
何やら説教が始まる予感がしたユーリはとりあえずの名前を名乗った。けれど女性の怒りはおさまらずなんならヒートアップしている。『彼』には理解出来ないような言葉でブツブツと呟いているが何も分からないのでただ黙っているしかない。しかも別に目的があってこの場所に来た訳では無いのでとばっちりでしかなく『彼』はますます困惑した。
「ちょっと人の話を聞いて…ってあなたもしかして…いやまさかね、そんなことある訳ないわよね…?だってあの結界を越えられたのだから、そんなはずは…」
女性がユーリの顔を見た瞬間、彼女は驚いてつかんでいた腕を離し後ずさりした。
「…何を仰られてるのか分かりませんが僕いつの間にかここに来てしまったんです。この森の入り口付近で薬草を採取していて気がついたら奥の方に…。雨も降り出して困っていたらこの館を見つけて。勝手に入ったことはきちんとお詫びします」
ユーリがそう説明すると女性から表情が抜け落ちていって真顔になってしまった。美形の真顔ほどコワイものはない、と密かに考えていると急に女性が近寄ってきてグイグイと腕を引っ張り、先程ユーリが入ろうとしていた部屋に入って行く。
「いや、あの…なんで?入っちゃダメなんじゃ…て、ここ…?」
「あなた、その村とやらに帰りたいんでしょう?なら入り口まで送ってあげるわ。ここから森の出口まで歩いていくのは大変だもの。ね?」
急にテンションが急変した女性にしどろもどろになるが折角なので送って貰うことにした。楽に帰れるに越したことはないし、どうやってここまで来たのか記憶が曖昧なので正直とても助かる。
「あなたが良いなら…」
「別に良いわよ。しょうもない理由だけどよくある話だもの。流石に館の中に入られるどころか私室を見せることになるなんて思わなかったけれど」
あはは…と苦笑しているとユーリ、と名前を呼ばれた。
「もうここに来てはだめよ。絶対に。いいわね?それを約束するなら、良いものをあげる」
女性は本がぎっしり詰まった本棚の前までユーリを誘導すると、分厚い本を手に取ってそう言いながら『彼』の方を振り返った。ユーリを見る女性は厳しい顔つきをしていたがそれに『彼』が気付くことはなく、誰がこんなところ来るか、とか良いものって何だろうとかでも勝手に入ってしまった謝罪に何か送らねばいけないよな等と考えていた。
「…約束します。絶対です」
「そう、良い子ね。では瞳を閉じて思い浮かべなさい。あなたの望む場所へ導きましょう」
「ちょっと待っ…謝罪はっ…!?うっ…」
ユーリは女性の言う通り静かに瞳を閉じた。けれどやっぱり心から謝らなければならない気がして、目を開けてしまった。そして見たのは、金色の瞳を輝かせ『魔法』を発動しようとしている姿。言葉を紡ごうとユーリが口を開くと同時に、彼女が何かを唱え、彼の意識は暗転した。
「さようなら。…ター。」
女性が最後に口にした言葉を聞くことなくユーリはその場から姿を消したのであった。
「もう、会うことはなかったはずでしょう?ねぇ、伯母さま」
目が覚めたら森の入り口の所に倒れていた。酷く頭がぼんやりしているが、自分は何をしていたのだったか。ユーリは働かない頭で必死に答えを導き出そうとしたが叶わず、結局何も思い出すことは出来なかった。けれど別にそんなことを気にするタチではない。そんなことよりも右手に握っている薬草の方が気になった。決してこのあたりでは取れないような貴重なもの。それを何故自分が持っているのかは今まで自分が何をしていたのか、に繋がる事ではあったがさほど気にする様子もなくユーリは自宅へ戻って行った。『彼』にとっては貴重な薬草をどうやって手に入れたか、ではなくそれをどのように研究に利用しようか、ということの方が大事なのである。
*
「ロゼッタ。ロゼッタはどこにいる?」
館の主である女性…アンジェは忠臣である者の名前を呼んでいた。
「わたしはここに。それからアンジェさま。わたしはロゼッタではありません。ロゼットです。お間違えになりませぬようといつも…」
ロゼットの言葉にアンジェは何か言いたげなのをぐっとこらえ、話を先に進めることにした。
「あら…ごめんなさいね。あなたたち双子は混同してしまうほど似ていたものだから…いつまでもこのようじゃダメな主ね。もうあれから随分経つのに…」
「いえ、心の傷が癒えることはないのは、アンジェさまもわたしも同じですから。存在を覚えているというのは、ロゼッタにとっても良いことでしょう。…それよりもアンジェさま。なにか御用でしょうか」
あぁ、そうね。とそう言いながらどこか遠くを見つめたアンジェは一瞬ロゼットの方に顔を向けてまたすぐに逸らした。その顔を見るのが辛いとそう言いたげな表情で。
「先程来たあの人間…ユーリと言ったかしら。あれのことを調べてほしいのよ」
「あの人間ですか。なにか、気になることでもございましたか?」
「えぇ。嫌な予感がする。あの人間、ただのヒトではないわね。微弱ながら魔力を感じたわ。それも、あの忌々しい魔女と同じオーラを持っている」
アンジェがそう言えばロゼットは驚いたような顔をしたあと、少し顔を歪めた。その瞳は今にも雫が零れ落ちそうである。
「まさか…まさかそんな…」
「信じられないわよね。とっくに血は尽きているものだと思っていたのに…。下手をすればまたあの悲劇が起こるかもね」
ロゼットは静かに跪きこう述べた。
「直ちに調べて参ります。あのような厄災を繰り返すわけにはいきません。その為にわたしは、アンジェさまは生き続けているのですから」