落ちた意識の中で
21/10/22 投稿
浮遊感に気付けば、視界にはまるで映写機で映しているような所々ノイズ交じりの映像が広がっている。映っているのは、この空間に独り漂っている陸人自身――より正確に表現すれば、自分自身が今まで体験してきた映像が走馬灯のように情景が映し出されている。
自分は先ほどまで廃棄街区内の工場跡に居たはずだ。そこで異形と戦って、そして……。あぁ、これは夢だと合点する。夢だと自覚して目覚めろと強く念じてみても都合よく目を覚ませる訳でもなかった。辺りを見回しても目の前で流れている無声映画よろしく音のない記憶の中の映像以外は何もない。ただただ暗闇が広がっているだけだ。どうせ手持無沙汰ならば、と目の前の映像に沿って自己を振り返ることにした。夢というのは記憶の整理らしいし、もしかしたら自分が思い出せない記憶も脳の片隅に追いやられているのかもしれない。この映像の中に忘失した記憶の欠片があれば掘り出し物だ。映像の中の自分は対峙した異形を一瞥しただけで焼き尽くしていた。あれは自分にとっての切り札、できることならば切りたくはないジョーカーだ。
「あの異能を使って気を失ったのは……多分、今回が初めてだったな」
音のない夢の世界で、陸人の声だけが反響した。異能を使った後の陸人は決まって頭痛に襲われる。痛みの程度はその時々によって様々だったが、気を失う程の痛みが走ったのは今回が初めての経験だ。ちょうど目の前に投影されている自分も頭痛に悩まされているのか片手で頭を抱えている。
「…まぁ、借り物みたいなものだしな。頭痛はその弊害なんだろうけれど」
本来、陸人が保有する異能は発火能力ではない。彼が変異した時に使えるようになった異能は一言でいうならば『収奪』だ。相手が持つ異能を、その持ち主の意識ごと奪うという特異な異能。少なくとも、自分以外にそんな異能を持っているという変異者の話は聞いた事がなかった。本来持つ『収奪』の異能を使ったのは恐らく20年以上は生きている中でもただの1回のみで、異形に襲われた時に咄嗟に使ったその1回限りらしい。
”らしい”という他人事のような表現を誰かが聞いていたら違和感を覚えたかもしれないが、この場合においては適切な使い方であると主張するしかない。なにしろ、陸人本人に全くもって身に覚えがない。『収奪』の結果、陸人の体の中に住まう事になってしまった異形いわく、そういう事らしいのだ。異形が人語を喋れたという事例は寡聞にして聞かなかったが、頭の中の異形が人語を解せたのは陸人と一部意識を共有しているからと理由付けした。そもそも人類の天敵である異形の話を信じてよいものかと悩みに悩んだ結果、異能を2つ以上保有する変異者の例は他に聞いた事がないというのも後押しして鵜呑みにはしないものの"どうやらそういう事らしい"という信頼性に欠ける情報の位置づけとして扱うことにした。
意識したものを瞬時に発熱・発火させる――それが陸人の2つ目の異能。相手を影も形も残さない程の火力を一瞬にして生み出すその異能は文字通り必殺の切り札だ。ただし、先述した通り使用後に頭痛が走るのも無視できないデメリットだが、1番のデメリットが記憶の忘失だ。借り物の異能を使えば使うほど記憶が抜け落ちていく。幸いにして今まで生活能力に関わるような記憶を失ってしまったことは無かったが、今後もそうならないという保証はどこにもなかったし、そうでなくとも失った記憶によって何らかの支障をきたしたことは幾度もあった。
だから陸人はその日に起きた出来事を可能な限り事細やかに手記に記載するし、起床時には必ずそれを見返す。そうやって忘失してしまった記憶を補完してはいるものの、読み返して得たものはあくまで知識として吸収されるだけだ。自分自身の体験のはずの物が、どこか他人の出来事に感じる。そもそも手記に書き残す前に失ってしまった記憶も中にはあるのだろう。
「今更だけど、考えてみればみるほどリスキーだよなぁ」
「そんな危険を冒してまで、君はあの力を使って異形を殺し続ける。その先に待つのが自らの破滅だとしても。それは……なんで?」
独り呆れたように笑いながら陸人が肩をすくめた時、この空間の中で初めて自らが発した音以外の声が響いた。先ほどまで目の前に映し出されていた自分自身の映像は既にない。辺りを見回してもやはり自分以外の姿は見えない。つまり、この声の主は今まさに自分に問いかけているという事なのだろう。まるでこちらの思考を盗んだかのようにタイミングの良い問いかけに奇妙な夢だと鼻で笑いかけたが、夢なんてものはそもそもそんな物だ。
「答えに渋るほど大層な理由がある訳じゃないが、まずはそうだな……どちら様で?」
自分の夢の中で、誰とも知れぬ声に誰何する。奇妙な夢に違わずこちらも奇妙な事をやっている自覚はある。それでも、夢という物が脳が行う記憶の整理という物であるならば、この記憶にない声の主について問うのは自分にとって価値がある行為だ。質問に対して質問で返す行為が礼を失する事だとしても、そも相手も姿すら現さずこちらに問いかけるという失礼をしているのだからお互い様だ。
「……残念だけど、僕には名乗れるような人らしい名前はないんだ。代わりにという訳ではないけれど、こうやって姿を現すだけで勘弁してほしいな」
姿なき声の主は僅かな沈黙の後にまるで幽鬼か何かが姿を現すように、暗闇の中からその形を作り出す。病衣のような簡素な服を着た少年だ。記憶としても知識としてもこの少年にあった事は無い。そのはずなのに、どこか陰のある笑みをこちらに浮かべてくるこの少年に以前出会ったような気がしてならない。名前も知らないはずの彼の名を呼べそうな気さえするが、それは喉の手前で突っかかって出てこない。まるで誰かにその名を呼ぶ事を禁じられているような強烈な違和感を覚える。
「無理に思い出そうとしないで」
こちらを心配するような声で我に返る。気付けば少年はその声色と同じ表情でこちらの顔を覗き込んでいた。
「人間は忘れるという機能を持つ生き物なんだし、僕の事は忘れるべくして忘れた記憶なんだよ。それより、僕の質問に答えて欲しいな」
少年がどう思おうが、こちらにとっては無くした記憶を取り戻せるかもしれない貴重なチャンスだ。しゃがみ込んで目線を合わせそう言い返そうとした時、少年のあまりにも真剣な眼差しを見て反論の為の言葉が出てこなくなった。必死になって記憶を取り戻したい事情がこちらにあるように、少年にも陸人がなぜリスクを冒してでも異形と戦い続けるか、その問いの答えを聞きたい事情があるのだろう。最早ここが自分が見ている夢の中であろうという事はすっかり忘れていた。この少年の問いには真剣に答えたい。そんな気がしてならなかった。
「……理由とは言っても、さっき言った通り大層な理由があるわけじゃない。最初はただの成り行きで、今も続けてるのは他にやりたい事が特にあるわけでもないから。それだけだ」
夢も希望もない理由に自分で言ってて悲しくなってくるが、はぐらかさずに話すとすればこの表現しか見つからなかった。意識を取り戻した時に世話になっていた人がたまたま異形処理屋だった。自分は変異者で、異形と十分に戦える力があったから同じく異形処理屋として異形と戦っている。そこに志も何もない、紛れもなく成り行きだ。
ただ、本当に成り行きだけなのだろうか。生活のためだけに嫌々ながら命を懸けて刃傷沙汰に身を投じているのだろうか。考えたところで結局の所やるべきことは変わらない。普段ならしないような自問だ。何かに塞き止められていた思考が溢れ出して止まらない。
「ただ、嫌々やってるわけじゃないからそこは誤解しないでくれ」
気付けば言葉が口を衝いて出ていた。更に続く言葉を紡ごうとしている自分に、そしてその内容に不思議と少しの動揺も感じていなかった。
「それは驕りだと言われようが、脳内お花畑と言われようが……俺が異形と戦う事で、俺が異形を殺す事で結果的に誰かを守れるから。根っこの部分はそこなんだと思う」
正義のヒーローを名乗れるほど立派な生き方はしてないし、そもそもヒーローなんて柄でもないから目指してすらいない。結局は自分のやっている事に無理にでも意義を見出したいだけなのかもしれない。それでも、自分を満足させるには十分すぎる理由だ。人類愛を謳えるほどに幸福な思考をしている訳でもないが、人類に絶望するほど不幸な身の上でもないはずだ。
「なるほど。つまりはお節介焼きっていう訳だね?」
「悪し様に言えばそうなる」
暫しの沈黙の後に少年は深く溜息を吐く。それは諦観の溜息にも見えたし、怒りを吐き出すそれにも見えた。両腕を頭に組んでそっぽを向いてしまった彼から表情を窺う事はできない。
「特に理由もないけど危険を冒して戦ってるっていうんだったらもう辞めちゃえ、って簡単に言えたんだけどね。お節介ムーブ全開で来られるとさ、なんていうか『呆れた』っての言葉しか出ないや」
こちらに向き直って少年が悪戯そうな笑みを浮かべる。茶化すようなその物言いに、そして先ほどまでの愁いを帯びた笑みではない事に少し安堵している自分がいる。
「おいおい、こりゃまた随分な言われようだ。ま、何にせよいつもの調子に戻ったみたいで安心した」
自分の発言の違和感に気付けたのは、やはりそれが口を衝いて出てからだった。一度しか会ってない相手ならいざ知らず、いつもの調子を知っているほどの仲であろう相手の事をなぜ自分は手記に書き残していないのか。それが手記を書き始める前の記憶であったのならば、手記を書き始める前に目の前の彼と交流があったのであれば全て辻褄が合う。可能性の域を出ない推論にも拘らず、もはや確証を得たような気持ちになっていた。自分の記憶を取り戻すまたとない機会なのは勿論だが、何よりこの少年の事を忘れたままでいたくない。思い出せそうなのに、すんでの所で思い出せないもどかしさに陸人はぐしゃぐしゃと頭を搔きむしる。
「……やっぱり綻びが出ちゃったか。僕は感情までは操作できないから、こうなる可能性はあったけれど……」
「綻びって一体なんなんだ……お前は本当に誰なんだ。なんで、お前を見てると懐かしい気持ちになるんだ」
いくら頭を悩ませていても自分だけでは思い出すことは出来なかった。縋るように目の前の彼がいったい何者なのかと答えを求める。記憶にない相手に対する漠然とした懐旧の念に、そのちぐはぐな歯がゆさに感情が振り切れそうだった。
「残念だけど……そう、本当に残念だけどそれは言えない。だって、君が僕の事を思い出したらまた無茶をするでしょ。だから言えない。それに、まずは君をここから救い出したら……また僕の事は忘れるようにしておくから無意味だよ」
少年は目を伏せながら首を横に振る。これは意図的に封じられた記憶であるという意味を多分に含ませた少年の発言よりも、彼が一瞬だけ浮かべた悔しそうな表情が心に刺さる。
不意に視界が、世界が歪んでいく。始めはついに訳の分からない感情に支配されて涙で視界が滲んだのかとでも思ったが、どうやらそうではなさそうな事に気付いたのはすぐの事だった。縋るために少年の肩を掴んでいた手が、風に吹かれる乾いた砂のように散り散りに失われていく。慌てて辺りを見回せば、映りの悪いテレビか何かのようにノイズが混じっている。
「まずいなぁ……予想以上に早い。ちょっとだけ手荒になるけれど、我慢してね。大丈夫、安心していいよ。あの時君がそうしてくれたように、今度は僕が守るって……一方的だけど約束したからね」
明らかに異常としか言えない光景の中、少年の声色にこそ焦りの色が見えたがそれ以上に取り乱した様子はない。それどころか、こちらを安心させようと笑顔すら見せてみた。場面こそ違えど、こんな光景を見たことがある。あの時、薄れゆく意識の中でこの少年の声を……今度は陸人を守るというその言葉を確かに覚えている。
「……あぁ、そうだった」
点と点が線で繋がって、彼についての記憶を取り戻したのと陸人の体が浮き上がったのはほぼ同時の事だった。浮き上がった体は急速に引き上げられていく。恐らくこの暗闇から抜け出した時には現実世界で意識を取り戻す事を意味するだろう事は、彼について思い出した今ならば理解できる。そして、この意識下の世界から抜け出した時には視界からどんどん遠ざかっていくかつて大切な約束を交わした親友の存在そのものを再び忘れているであろう事も。
「どっちがお節介焼きだ、まったく。……おい、近い内に必ず、今度こそお前自身の目で広い世界を見せてやるから楽しみに待っとけ!」
所々こそ抜けはあるが、自分が柏崎陸人となる前の事は凡そ思い出した。異能を人工的に再現する研究の末に生まれた紛い物、劣化コピーと蔑まれてきた陸人たちの能力には、オリジナルにはない穴がある。R-09ーー研究施設でそう呼称されていた彼の異能は記憶および意識の操作であるが、同一対象には異能の効果が薄れるという欠点があったはずだ。現実世界で目覚めた時、確かに自分はこの出来事そのものを忘れているだろう。けれども今回より簡単に記憶を取り戻すことはできるはずだ。だから、先ほどの予告は根拠に基づくものだ。
陸人の呼び掛けに返事はなかった。ただ、こちらが宣言した時の彼のハッとした表情と……その後に困ったようにこちらを見て笑いながら肩を竦めて見せたので、恐らく自分の声は届きはしたのだろう。今はそれで十分だ。
暗闇だけが支配していた空間を抜け、先ほどとは打って変わって容赦のない光が差し込み目がくらみそうになる。間もなく自分は意識を取り戻す。
「現実に戻ったら振り出しに戻る、か。まったく、七面倒くさいな」
言葉とは裏腹に、自分の口角があがるのを感じていた。
お久しぶりです…!およそ二か月ぶり更新になります。
次回更新は一週間後ぐらいには出来るように頑張る。
さて、ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
まだまだ勉強中の身ですので、忌憚なきご意見・ご評価等頂ければ今後の励みになります。
頂いたご意見等すべてに沿えるとは確約できませんが、ぜひ参考にさせていただきます。




