彼女の異能、彼の異能
21/10/11 加筆修正
22/02/14 若干の修正
街並みを照らすことは恐らくもう二度とないであろう街灯、そこに誰かが帰ってくる事を待ち続けている住居、かつては活気に溢れていたであろう商店。そんな光景を横目に歩を進める。世界が変貌する以前は当たり前のように人類が生活していたであろう街並みが廃棄街区にはほぼそのままに残っている。ほぼ、というのは所々損壊している場所もあるからだ。強い衝撃のようなものを受けたのか崩れかけた建物、まるで巨大な爪か何かで切り裂かれたような外壁――なぜそのような事になったのか知る由はないが、それらは紛れもなくかつて喜ばしくない何事かが起きた事を示していた。
電気も通じていない廃棄街区内では雲の切れ間から僅かに差し込む月明かりが唯一の照明だった。目は大分慣れてきたとは言え、見通しが良いとは言えないこの環境下で不用心に駆け出すのは悪手だ。依頼人を狙っている異形は一体である、という情報そのものはわざわざ嘘を伝えるメリットも無いだろうから信用に値するとしても、廃棄街区内で用心するべきはその異形一体だけだという保証はどこにもないからだ。単純に他の異形が存在しているならばもちろん十分な脅威であるし、この廃棄街区は脛に傷を持つ身の絶好の隠れ家になり得る。相手がただの文無し宿無しで止むを得ずこの辺りを住処にしている者であれば『夜分にお騒がせして申し訳ない』と一言詫びれば済む話かもしれないが、肝試し気分で入り込んだ者を収入源としている時代遅れの山賊みたいな輩も多からずとも存在するのが今いるこの場所だ。
真琴が先行して陸人がその後を付かず離れずの距離で付いていく。こと索敵においては陸人の知る限り真琴の右に出る者はいない。自己の五感の強化および操作、それが真琴が変異と共に手に入れた異能だった。キャスケット帽を脱いで索敵に集中している彼女の頭の上の耳は時折忙しなく動いている。その気になれば地球の裏側で誰かが呟いた内容もはっきり聞こえる、と初対面の時真琴は笑いながら言っていた。それは冗談にしても、陸人には2人分の僅かな足音ぐらいしか聞こえていないこの環境も、今の真琴にはまるで雑踏に紛れているかのように鮮明に何かが聞こえているのだろう。万が一に備えて警戒は怠ることなく、陸人は黙々と真琴の後に追従する。
2人が合流した地点から今回処理すべき異形がいるであろう廃工場付近まではこのペースのままでも5分と掛からない。今の所は周囲に異常はないし、順調と言っても過言ではない。しかし真琴の歩みはどんどんと足早になっていく。この廃棄街区内に限って言えば迂闊とも言えなくない焦ったような足取りだ。何故そんなに焦っているのか問いかけようとしたその時、不意に彼女の足が止まった。
「……ごめん。今、死んだ」
真琴は陸人の方に向き直って、謝罪の言葉を吐く。彼女の物言いが突飛な物なのは常日頃ではあるが、どこか歯切れの悪いそれは珍しかった。知覚できない速度で何者かが攻撃を仕掛けてきたという可能性もこの時代、この場においては有り得なくはない事だ。しかし、目の前の彼女に目立った外傷はない。ならば『死んだ』というのは依頼人の事だろう。恐らく真琴のその耳には依頼人の最期の瞬間がはっきりと聞こえてしまったのだ。先ほどの速足と併せて考えれば、あの謝罪の一言はもしかしたら救えていたかもしれない依頼人への謝罪なのだろう。
「…別に、珍しい事じゃない」
俯いた様子の真琴からは表情を窺う事が出来ない。フォローのためにと必死に捻り出した言葉は我ながら気の利かない台詞だった。確かに、異形処理屋が到着する頃には依頼人が死んでいる事は決して珍しい事ではない。だからと言ってそう簡単に割り切れるものではないかもしれないが、陸人自身がそうしているように『珍しい事ではないから』と自分に言い聞かせるしかない。
「だから、そう気を落とすな。俺らが気落ちして事を仕損じれば、今度被害に遭うのは赤の他人じゃない……かもしれない」
悔やんでいても失った命は決して戻らない。死を悼む気持ち自体は忘れてはならないが、それで動転して仕留め損ねでもしたら被害が拡大するのは間違いない。本心で言えば赤の他人だろうと誰も異形の犠牲なんかなって欲しくはないが、脅してでも奮い立って貰わないと困る。仕損じれば今度犠牲になるのはもしかしたら見知った仲の相手かもしれない、或いは自分自身なのかもしれないのだ、と。
「……ん?あぁ、僕は全然落ち込んでないよ。ただ、着いた時に依頼人が死んでた事を陸人が知ったら落ち込んじゃうかなって思っただけ」
顔を上げてあっけらかんと薄い笑みを浮かべて平然と言い放った真琴の本心はその様子だけではわからなかった。ただ、異能を最大限使うために先ほどまで脱いでいたキャスケット帽を普段以上に目深に被り直したあたり、恐らくは空元気なのだろう。頭の上に生えているネコ科のそれは、真琴が普段叩く軽口よりは正直に感情を表現する。無意識かどうかは知らないが、彼女は何か隠したい事がある時帽子を目深に被り直す癖がある。落ち込んでいる姿を見せたくないから気丈に振舞っているという仮定が正しいのであれば、まんまと騙されてあげるべきだ。……少なくとも、今は。
「そりゃお気遣いどうも。今回の仕事はあくまで異形の処理のみだ。これが救助ならお仕事失敗で落ち込みもしたくなるけど、な」
上手く口角を上げられているかどうかあまり自信がなかったが、もし下手な演技だと気づかれてもその意図は汲んでくれるだろう。目的地はもう目と鼻の先と言っても過言ではない。過度に音を立てない限りは恐らく大丈夫だ。似合わない事をした気恥ずかしさを隠すために今度は陸人が先行する旨伝える。真琴は「そっか」と一見素っ気ない返事のみをして黙ってやや後ろを歩いている。
「……ありがと」
ふと、後ろから聞こえてきた消え入るような少女の呟きは聞こえていない振りをした。
――黙々と、歩みを進める。始めは風の流れに乗って僅かに感じていた血の匂いは、廃工場の正面玄関に辿り着いた今やここでつい先ほど起きた惨劇を容易に想像させるものだった。
「…どうだ?」
「今もこの中にいるはず。さっき聞こえた音以降、何にも聞こえなかったから」
だから依頼人を殺した異形はその場から移動していないはずだ、と真琴は言う。
異形の知能は個体差が大きい。捕食の為に人を襲う個体もいれば、人を襲うだけが目的のような個体もいる。共通項を挙げるならば『異形は人を狙って襲う』という事と、ヒト以外の既存の生物を混ぜた姿をしているというだけだ。その場から動いていない理由は不明として、人を襲った後に特段音を立ててないという事は恐らく捕食の為に襲ったという訳ではなさそうだ。
異形の目的がどういうものなのかは重要ではない。重要なのは、この中にまだ処理すべき異形が残っているという事だけだ。ここから先は暴力のみが唯一の解決手段だ。アームバンドに装着していた大振りのナイフを引き抜き、手に携える。真琴もレッグホルスターから拳銃を引き抜き、セーフティを解除していた。
目を合わせ、互いの意思を確認する。
"準備はいつでも"
言外の意思の疎通を終え、どちらともなく頷いて廃工場の中に入る。その役割をとうの昔に終えていた自動ドアは到着した時から開いていたから余計な音を立てずに入るのに好都合だった。工場の造りはシンプルな物ではなかったが、それ自体は厄介な物じゃない。血の匂いの濃い方へ向かえば標的に辿り着けるのだから。可能な限り音を殺して、慣れてない者であれば間違いなくむせてしまうような濃い血の匂いがする二階へと進む。
階段を登り切ってすぐ、廊下の中ほどの位置にそれは見えた。おびただしい血の池を中心に転がっているかつてヒトだったもの。そして、その見下ろすように佇む異形。窓から差し込む月明かりのお陰で、大型犬ほどの大きさの異形の姿ははっきりと見えた。頭にはチョウチンアンコウの疑似餌に似た球体が付いた蛙に類似した体、足はまるで飛蝗のそれ。そして何よりその右前肢は鎌のように変形しており血で黒く濡れていた。状況から見てもこれが今回のターゲットで間違いなさそうだ。後ろでも向いてくれれば確実に不意をつけたかもしれないが、そこまで望むのは我儘か怠惰というものか。こちらが異形の姿を完全に視認できたタイミングで、まるで品定めするかのように異形もこちらをじっと見つめていた。
先に動いたのはこちら側だった。夜の廃棄街区内に、乾いた銃声が重く木霊する。ちょうど陸人の背で死角になっている所から真琴が撃った拳銃の弾丸は、異形のその頭を貫く致命の一撃となるはずだった。
甲高く、短い音が一つ。まるで人が煩わしい蠅を払うかのように、振り上げた鎌の腕は銃弾を弾いた。
「……へぇ、やるじゃん。トリニクモドキ」
真琴の挑発めいた軽口を合図とするかのように異形は凄まじい速度で床から壁へ跳躍した。壁へ張り付いたと思わせる間もなくまた床へ、そしてまた壁へと連続で跳躍していく。真琴の拳銃もその軌跡を追うように火を噴くが、単純に速すぎるのと不規則に壁から壁へと飛び移るのもあって、放たれる銃弾は異形が先ほどまでいた場所を穿つだけだ。
5歩の距離まで詰めてきた異形は一際高く跳躍して天井を蹴り、鎌の腕を振り上げながらその反動を活かしてこちらに飛び込んでくる。
「そうはさせないのが俺の役目…ってな!」
ナイフしか武装してない陸人も、距離がある以上何もすることがないからと呆けていた訳ではない。相手がわざわざ近づいてきてくれるその瞬間を待っていた。異形の鎌の腕と、それを狙いすました陸人のナイフが甲高い音と共に火花をあげながらぶつかる。奴の動きを一瞬でも止めればこちらの勝ち、力負けすれば首と胴とが離れ離れになるだろう。異形の全体重が乗った一撃に自身の得物が弾かれそうになるが、ここが正念場だ。腕の筋肉がどうにかなりそうになるのを必死に堪えて食い留める。
「へーい、トリニクモドキ。僕の事を忘れちゃ妬いちゃうぜ?」
真琴が異形の脇に躍り出て、すかさずその頭に今マガジンに装填されているだけの銃弾を撃ち込む。ぎりぎりの所で拮抗していた異形の腕の力が緩んだのを感じて、陸人が全力で異形を蹴り飛ばす。鈍い音を立てて何かが潰れた感触と共に異形は壊れたおもちゃの様に吹き飛んだ。
「ふっふっふ…、今回は僕の大金星って所かな。感謝したまえよー?」
快勝の感覚に愉悦を覚えた真琴がこちらに屈託ない笑顔を浮かべて向かってくる。確かに、彼女のお陰で今回は色々と楽を出来たのは間違いない。言葉尻だけを捉えれば尊大な態度に思えるが、相手が他ならない真琴であればこの程度は冗談の範疇だ。今更気にすることもなかった。素直に謝意を表そうとしたその時、陸人の視界の端で何かが映った。
「――右に跳べ!」
陸人の突然の大声に驚いたのか咄嗟にはその意図が理解できなかったのか、真琴は動かなかった。実際は前者であったのだが、今はそんな些事はどうでもいい。今問題なのは、このままでは飛来する何かを真琴が避けるのに間に合わないという事だ。――気づけば、考えるより先に陸人は真琴を突き飛ばしていた。
何かが陸人の体に絡みつき、そのまま体を高速で引っ張られる。引きずられながらも確認できたのは、今体に巻き付いているのは異形の舌であることと、その先に待ち構えている異形は頭から体液を垂れ流しつつも鎌を振り上げ獲物の到着を待っているという事だ。
起き上がった真琴が構え直した拳銃から聞こえたのは、カチッというスライドだけが動作した音だ。それは弾切れを意味する音でもあったし、助けは間に合わないという死刑宣告に等しい音でもあった。
「仕方ない…か」
身動きもとれない、援護も間に合わない今の陸人のその発言は状況から見れば諦めに等しい発言だった。だがしかしそれは、生きることの諦めでは決してなかった。これから大事なものを失う事への諦め。妥協と言った方がより正確だ。世の変異者が持つ異能というのは、往々にしてデメリットはあまりないものだと聞く。勿論酷使すれば疲れを感じるらしいが、陸人のそれは少し勝手が違った。
『そう気前よく使っていいのか?その先に待ってるのはお前の破滅しかないのは知ってるだろう?…ま、俺は都合がいいケド』
――煩い。
イメージとしては、頭の中の安全装置を解除する感覚。すぐさまそこに住んでいる迷惑な隣人が飛び起きて愉快気に話しかけてくる。
『お前が力を使えば使うほど、お前という存在はなくなっていく。最期の最期、残るのはお前の抜け殻。そうなったら俺が有効活用させてもらうぜ』
――煩い。
下卑た声が頭の中で反響する。自分の体をあげるつもりは毛頭ないし、だからと言って何もせずにむざむざ死ぬつもりもない。陸人の意識が頭の中の隣人と混じり合うと同時に、その隣人の異能の使い方が手に取るように理解できていく。今この場限りではあるが、もう既にそれは陸人の手足も同様だ。
『まぁ、精々余生を楽しみな』
――煩い。
異形の持つ鎌の腕が、その鋭い刃が眼前まで迫ってきていた。瞬間、視界が赤く染まった。
……振り下ろされるはずだったその刃は、異形の右前肢は既にない。異形の声にならない叫びが耳障りだ。体を束縛していた舌も既にこの世に存在しない。陸人はゆっくりと立ち上がり、目の前の不快な音源を見据える。
「消えろ」
その言葉を皮切りに、異形の体が激しく燃え上がる。断末魔の叫び声が酷く耳障りだ。のたうち回る姿が滑稽で不愉快だ。
もう二度と音を出せないように、そして二度とその姿を見ることがないように炭も残さず焼却した。全てが終わった時、視界にノイズが走り、激しい頭痛に襲われる。立っているのもやっとだ。
「陸人……大丈夫!?」
真琴が駆け寄って、必死になって陸人に呼び掛ける。
「大…丈夫。少し休めば…問題ない。ちょっとの間だけ、周囲の警戒…頼む」
心配させまいと、いつものように笑顔を作ろうとしてみたが返事をするのがやっとだった。陸人の意識が遠のいたのは、視界の全てがノイズに覆われてから間もなくのことだった。
四話目にして初の戦闘シーン。
展開が冗長?て、丁寧な事前準備と言ってくれたまえ…!
それはさておき、ここまで閲覧ありがとうございます。
今後の励みになりますので、ぜひ忌憚なき評価・ご意見等いただければ幸いです。
まだまだ勉強中の身ですので、頂いたコメントを参考に頑張らせて頂きます!




