よくある仕事
21/10/11 体裁修正
21/10/10 加筆修正
柏崎 陸人
性別は男性。年齢は不明ではあるが、外見年齢は20代前半。生年月日も不明。戸籍登録上は1月1日生まれの24歳ということになっている。平たく言ってしまえば記憶喪失者の類。外見上の変異は認められないものの異能力を保有する変異者――乙種変異者とも呼ばれる異能者。複数の異形処理仲介業者に登録しているフリーランスの異形処理屋。佐伯 要が契約している放棄街区にほど近い住居を定宿としている。
個人の預貯金は1,000万円ほど。取引の履歴を見る限りは大体が入金のみで引出の履歴はあまりない。趣味と公言しているものは写真撮影ではあるが、特段カメラに拘りがあるわけでもなく撮影技術が高いわけでもない。文字通り趣味の範疇として写真を撮ることを好んでいる。
――それが、陸人が記憶している自身に関する客観的にそして正確に言える情報の殆どだ。主観的な、あるいは秘匿したい情報も含めればもう少し自身に関しての情報は広がるが、それでも意識を取り戻す以前の略歴や交友関係などはどうにも思い出せない。
加えて陸人の持つ異能はどうにも癖がある。それが今、彼が行っているルーティンの一つ……目覚めたら、自分に関する情報を整理することに起因している。
起きてすぐ、手記を見直す。その日に起きた事を事細かに、さらにその時の心中を含めて記載されたそれは時折貼り付けられている何気ない風景を撮った写真のせいで厚さを増しており、見た目は傍から見ればやや不格好だ。それでも陸人にとっては自分という人間が存在していた証明の一つとして大事にしていた。
(直近の仕事は2日前、その記憶はちゃんとある。……何も問題ない)
大抵の異形処理は2人1組の体制で動くことが多い。2日前の仕事も例外に漏れず2人1組で、組んだ相手は自分のよく知る相手――ルームシェア相手の佐伯要だった。お互いの実力はよく知っていた事と、幸いにして相手にした異形の戦闘能力が大した事はなかったのもあって異能を使わずして処理できた。異能を使っていないのだから、記憶が欠損するはずがない。頭では解っていても、いつも目覚めた時には不安にもなるし、それ故の習慣はそう易々と変えられるものでもなかった。
(さて、いつも通りの時間に起きたけれど……何か予定があるわけでもなし、要も平常運転だ。こういう時は惰眠を貪るに限る)
部屋を隔ててもなお聞こえる地鳴りのようないびきを聞いて呆れた半面、平穏な日常風景に自然と口元が緩んだ。目覚めた時の『もしかして記憶を失ってしまっているのでは』という不安自体は拭えないのが難点ではあるが、寝ること自体は好きだ。時間の流れはあっという間に感じるし、退屈な時間を過ごすよりはよほど有意義に感じる。やや消極的な"好き”であるのは自覚しているが、今家にある本は殆ど読みつくしてしまったし、読みかけの本が一冊だけあるが出来る事ならば静かな環境で読みたい。少なくとも、隣の部屋から爆音が聞こえている環境下ではあまり読みたくはない。
気晴らしに散策するにしても乙種変異者は外見上は普通の人間と何ら変わりないために外を出歩くときには必ず政府発行のIDカードを携帯しなければならないし、正当な理由のもと求められれば提示しなければならない。変異者、あるいは異能者――どんな本人確認書類になるものを取得したとしても必ず特記事項について回る厄介な言葉だ。IDカードの代わりに本人確認書類を、と運転免許証を取得した時も自分のそれにその三文字が記載されていた時は辟易を通り越して笑いそうになった事を自分に関わる情報として覚えている。本人確認書類を提示した相手が目の前にいる人間は変異者であると分かった時の、あの奇異と恐怖とが混ざったような目が陸人は苦手だった。余程の事がなければ提示を求められることはないのは分かっていても、特段用もないのにふらふらと買い物に行くような気分にはどうしてもなれなかった。
「ただ『死んでいないだけ』っていうのがぴったりなのかもな」
思わず口をついて出た言葉に、我ながらセンチメンタルだと苦笑して再びベッドに体を預けて目を閉じた。十分に睡眠は取っていたはずではあるが、一切の考え事を止めればゆっくりと、意識が薄れていくのを感じた。
――すっかり暗くなった部屋の中に、無機質な携帯電話の音が鳴り響く。どうやら結構な時間寝ていたらしい、枕元でうるさく鳴り響く携帯電話を手に取り着信元を確認する。
『万屋東堂』……陸人の記憶が確かであるならば、異形処理仲介業にはかなり新規に参入した便利屋だ。一企業としての規模で言っても決して大きくはないし、異形処理屋として登録している人員も陸人と要を含めて5人もいないが、便利屋として堅実に経営してきて勝ち得た信頼と小規模企業ならではの軽いフットワークとやらを活かして着実にシェアを広げている……というのが同業他社からの評判らしい。もっとも、それは万屋東堂の表の顔しか知らない者の評価ではあるが。
業界としてのシェアがどうであるとかは陸人にとってそこまで重要ではない、ましてやフリーランスとして活動しているこの身としてはただの取引先の一つだ。寝起き直後で鈍っている頭のキレを取り戻すために行っていた発信元への情報整理を終えて陸人は着信に応答する。
「もしもーし、お仕事のご相談でっす。今回は異形の処理のみで、数は先方によると1体。場所は廃棄街区B-13、その旧石英工場周辺。報酬についてはいつも通り。あぁ、そういや先方さんは処理が済んだらすぐに撤収して欲しいそうだ。だから、事後報告とかはこっちにだけくれればオッケー。で、対応可能ならば大体到着まで何分かかりそう?」
受話するなり軽薄さを感じさせる声は必要な情報だけを伝えてきたのは万屋東堂の店長である東堂 夏樹だ。直接会ったのは一度きりではあったが、陸人は取引先の人間としては好感を抱いていた。どんな状況下でも軽薄な口調ではあるし、普段は無駄口も多いがそれでいて伝えるべき所はきっちりと抑えている。それに何より、口調からは想像が付かないほど真摯に仕事に打ち込んでいる。
「オーケイ、場所は近いし準備も含めて20分くれれば着くさ。…そうだ、要は今日は例によって無理そうだから、あと一人は適当によろしく」
「あぁ、なるほど?じゃ、一人適当に探して行ってもらうんで、廃棄街区のBブロックゲート前で合流してくださいな。陸人には合流地点でちょっと待ってもらう事になるだろうけど」
了承した旨を伝えて今から準備して向かうから、と通話を終える。準備といっても陸人のそれは至ってシンプルなものだった。軽くシャワーを浴びて着替えを済ませ、暦の上では春とは言えまだ肌寒さを感じるからとジャケットを羽織り、エンドテーブルに置いていたIDカードと携帯電話をそれぞれ胸元のポケットと内ポケットに入れる。ジャケット自体は対刃加工が要所要所にされているとは言え、傍から見れば荒事とは程遠い『ちょっとしたお出かけ』には十分通じる小奇麗な格好だった。
そして、自室の隅に置かれている小型のアルミ製アタッシュケース……その中にポツリと眠る、やや大振りのナイフ一振りを取り出して左腕にアームバンドと共に装着する。これで準備は完了、あとは合流地点へと向かうだけだ。対峙する異形がどんな特性を持っているのかを事前に知ることができた仕事は今までの経験上存在しなかったし、だからと言ってやれチョッキだやれプロテクターだと全身を固めて動きにくくなるのは悪手である、というのが持論だ。
大半の異形が見た目からは想像できないような膂力を持つ。変異者の大半も同様に保有する異能とは別に並外れた身体能力を持っている。なんでも筋繊維自体が変異しているとか人づてに聞いたことがあるのは覚えている。並の人間が見逃してしまうような僅かな隙でも晒せば致命傷になりうる。逆に僅かな隙を見つけさえすれば必殺の好機になりうる。それならば必要以上に装備を増やして動きにくい状態であるとか、可能性を広げたが故の迷いを作りたくなかった。
「さて、と……それじゃあ、行ってきます」
玄関からこの家の主である要に小さく呼び掛ける。今もなおいびきを響かせ続ける相手には、伝わるはずは当然ないのは分かっている。
『俺が寝てようが、たまたま居なかろうが行ってきますだけは言っておけ。……ま、願掛けみたいなもんだ』
陸人が要の家に転がり込んだ初日に言われたことは、今ではすっかり習慣化した。無事にただいま、と言えるように……仮に行ってきますと言い忘れたとしてもそれで死ぬことはないけれど、言ったから死ぬわけでもないしさほど手間が増えるわけでもない。神仏の類は二人とも信じていなかったが、このおまじないにも似た習慣は嫌いではなかった。帰って続きを読みたい本もあるし、何より死にたいと思う理由もない。極力音を立てないようにゆっくりと玄関のドアを閉め、合流地点へと向かった。
特段トラブルに見舞われることはなく、間もなく合流地点が見えてくるはずだ。廃棄街区のゲートは物資を放棄街区から回収し終えた今や、平時は封鎖されている。必要な状況が発生しない限りはそこを通る人間はいない。放棄街区自体は有刺鉄線付きの金網で囲まれているものの、所々大きく破けているし放棄街区に表立って言えない用事がある人間はそこを通る。放棄街区内の価値のあるものはとっくに回収し終えているし、異形の侵入を阻めるわけでもない金網フェンスは補修される気配は一向にない。それでも取り払われもしないのは、単純に手間だからなのかもしれない。
ゲートの手前にハザードランプを点けたパトカーが一台停まっていた。街灯もろくにないこの近辺では、点滅を繰り返すそれはやけに眩しく感じた。ゲートを開放するために東堂が連絡してくれたのだろうが、待機している警察官二名は緊張した面持ちのようにも感じる。当然と言えば当然だ。眼前の廃棄街区内に異形がいるらしいのだから。別に合流してから声をかければ問題ないが……ここはとりあえず処理屋が来る前に襲われるかもしれない、という緊張感から解放してやることにした。
「お疲れさん」
努めて声色は明るくフレンドリーに近づいていく。陸人の姿を認めた警官はこちらを威嚇するような声色で誰何する。
「ここで何をしている?……ここは遊びに来るような場所じゃない、危ないから帰りなさい」
処理屋としての顔が売れていないというのは陸人にとっては嬉しいことではあったが、職務質問されて余計な時間を食うのは面倒だ。スマートに事を済ませるために、胸ポケットに仕舞っていたIDカードを提示する。いたずらにストレスを与えるために声をかけたわけではないのだから。
「処理屋だ。ここから先は俺らの仕事なんで、ご安心を。……もう一人と合流してから中に入るけれど、ここで待たせてもらっていいかな?」
IDカードと陸人の顔とを行き来する視線を眺めながら、その表情を見ながら心の中で嘆息する。
――あぁ、やっぱりこの奇異と恐怖がない交ぜになったこの目は、どうしても慣れない。
前置きが長々としてしまうのは悪い癖なのかもしれない…!
ようやくここで主人公登場です。
もしよろしければ今後の励みになりますので、忌憚なきご感想、評価等よろしくお願いします!