現実に引き戻され、いざ仕事の打ち合わせへ
うだるような暑さから一変し、肌寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
お久しぶりです。ぼちぼち更新再開していきます。
記録装置と命名されたナインは一体どんな目的で生み出されたのだろうか。名称通りの役割だとして、それが何故人類の生存という目的に繋がるのか。施設の職員が肉体を放棄したと言っていたが、どういう事なのか。様々な疑問がとめどなく浮かぶが、どれも上手く言葉にできない。そもそも、ナインの言っている事の全てが真実だとは限らないのだ。1から10まで適当な作り話だという可能性はある。少なくとも確実に言えるのは、疑心暗鬼に陥った状態でどんな質問をした所で、また新たに疑問が生まれるだけという事だ。それならば、何を聞いても無駄というものだ――と言うのは自分を傷つけまいとする安っぽい誤魔化しだ。
半ば頭では理解していた。ナインの言う事は口から出まかせのその場しのぎではない事を。それを拒んでいるのは頭とは別の、心の問題だ。自分の人生が大きく変わってしまった元凶である組織がまだ存在していて、その組織が作った自分の後釜のようなものであろう存在が目の前にいる。それは要にとってすんなり受け入れられる問題ではなかった。何を聞いても無駄、というのはただの建前。結局の所これ以上は何も聞きたくない、というのが本当の所だ。
「お前の言うことは今のところ話半分で聞いておく。俺ちゃんってば疑り深い性格なんでね。だがまぁ、これだけははっきりさせておきたいって事柄が1つあってね。お前は"この体"っていうのと"僕"っていうのを使い分けてるみたいだが、それは文字通りの意味って認識でオーケイ?……いや、回りくどい聞き方は俺ちゃんも止めよう。その体とお前は別物、って事であってるか?」
要の質問に対し、ナインは俯き暫しの沈黙を返す。ただ誤魔化すために黙りこくっているというよりは、問いに対する適切な言葉を必死に探しているようだった。
ナインが要の問いに対し詰まったのは、初めてだ。それは少なくとも"答えがNOではない"事を意味しているのであろうし、彼にとって答えにくい事柄の1つなのだろう。
「……そう、だよ。貴方の言う通り、僕はこの体の本来の持ち主じゃない」
ナインが再び言葉を発するまで、要にしては珍しく茶化しもせず無言で待っていると、諦観が多分に混じった溜息を1つ吐いた後に彼は認める旨の言葉だけを口にする。
さて、本来の持ち主ではない、という言葉は2つの受け取り方ができる。1つ目は要の目の前にいる男は俗に言う多重人格で、ナインと自称する彼は主人格ではないという受け取り方。そして2つ目は精神が分かたれたのではなく、1つの肉体に2つの魂が入っているという受け取り方。魂、などという認識は非科学じみたオカルト的表現ではあるが、そもそも既存の――世界が大きく変貌する以前の常識なんてものは通じないのが今の世の中だ。そして、ある程度情勢が落ち着いた今でも現状を科学的に証明できたという話は聞かない。
どこそこの研究者が解明に乗り出した、なんてニュースは何度か聞いたことがあるものの、続報を聞いたことは今の今まで1つたりともない。もちろん、要が世間の流れに疎いだけの可能性は大いにあるが、もしそうだとしたら異能や変異者はこれ程忌避されていないだろう。人ならざる力をもった人という存在は、オカルトや絵空事のままでさえあれば受け入れられたのかもしれないが、いざ現実に隣人として歓迎できるかどうかと問われれば別問題だ。
閑話休題。別に目の前の彼が人格が分かたれたうちの一人であろうと、元々別の体を持っていた人間がその体に入っていようと、要にとってはさしたる興味もない。その質問をした意図としては、ただ1つだけ気に食わないことがあったからだ。
「……あぁ、なに、別にだからどうってわけじゃない。本来の持ち主じゃなかろうが正当な権利をもってますと主張されようがどうでもいい。ただ、俺は番号じみた名前で人を呼ぶ趣味はないんでね」
その名前を気に入っているのなら別ではあるが、と短く付け加えて要は言う。とはいえ、彼がその名前に愛着を持ってはいないであろう事は予想ができる。人らしい呼称は持っていないからそう呼んでくれと言っていたからだ。番号じみた名前であろうと、人らしい呼称でなかろうと愛着を持っていればそのような前置きはしないだろう、という予想の下での発言だった。
要のゴロツキ然とした物言いや振る舞い自体は演技でもなんでもなく素ではあるが、人として最低限の礼節は弁えていると自負していた。だから、愛着を持っていないであろうことを見越したうえで彼の名前を番号じみた名前だと一蹴した。そうでなかったら、人の名前にケチをつける真似はしない。傍若無人に振舞うダメ人間のようでいて、一線は決して越えない。それが佐伯要という人物だ。
「――だから、お前が嫌じゃなければ俺ちゃんが名前をプレゼントしてやろうかと思ってね。尤も、体1つに対して戸籍を2つ用意なんてできねぇからあくまで名前だけ、だけどな」
……はて、と可笑しなことに気付いて回顧を中断する。要がそう提案した時の彼の表情は、今でも鮮明に思い出せる。鳩が豆鉄砲を食ったような、きょとんとした表情だった。彼の口調に見合った無垢な子どものような表情で、思わず声を出して笑ってしまったのも思い出せる。尤も、ナインと名乗った彼も、今現在柏崎陸人として生きているその体も、この世に生を受けて10年も経っていない子どもだと知ったのは後の事だったのも、その後過ごしてきた約1年の間に起きた大体の出来事も難なく思い出せる。ただ、自分はナインと呼称されていた彼になんという名前を付けたのか、要はどうにもそれが思い出せなかった。
「こりゃあ、いよいよ歳かね……?」
見た目以上に長生きしている自覚はあるし、人生を無為に過ごしている自覚もある。普通であれば物忘れが激しくなっても可笑しくはない生き方をしている事を知りつつも、自分の身体はその"普通"に該当しない事も知っている。
まるで虫食いかのように、不自然に記憶にぽっかり穴が開いてしまった奇妙な違和感は拭えない。自分を誤魔化すために、誰に言う訳でもない冗談を独り言ちて自嘲気味に笑う。しかし、虚空に響いたそれはなんの慰めにもならなかった。
たしかに、今この瞬間どうしても思い出さなければならないかと問われたら勿論否ではあるが、それでも自分が名付けた名前を思い出せないのは非常に歯がゆい。回顧に耽っていた間にすっかり燃え尽きてしまっていた煙草に目を落とし、勿体ないなどと小さく愚痴を零しながら新しい煙草に火をつけて、紫煙をくゆらせどうにか思い出せないかと頭を回転させる。
「入るぞ?……うわ、この間片付けたばっかだってのに酷い有様だ」
虫食いの記憶を取り戻そうと捻らせ思考の世界に飛び立っていた要を現実に呼び覚ましたのは、回顧の中の彼の声――つまりは、陸人の声だった。もちろん、声が同じとは言え発声器官を振るわせている中身は違う訳ではあるが。そんな陸人が、ドアを開けて一歩踏み込んだ位置で顔をしかめ乱雑な部屋の中を嘆いている。
「おー、どうした?陸人少年。忘れ物なら俺ちゃんの部屋じゃなくてお前の部屋にあると思うぞ?」
記憶がたしかであれば、陸人は先日できたお友達とやらとつい先ほど買い物に出かけたはずだが、忘れ物でも取りに来たのだろうか。いや、もしそうだとしたらわざわざ自分の部屋を訪ねてくる理由がない。だから、要は自分でも的外れな指摘だとは分かっていた。
分かってはいても、いや、分かっているからこそ冗談を言うのをやめられない。なぜなら――
「そんな事は分かってるよ阿呆要。と言うか忘れ物じゃない、買い物はもう終わってる。何時間前の話をしてんだよ?……あと、陸人少年ってなんだよ」
――なぜなら、陸人の反応が楽しいから。誰に対しても軽口を叩く姿勢を取り続ける要ではあるが、陸人に対してそれが顕著になるのは反応を見ていて飽きない。外じゃお澄まし顔で卒なく仕事をこなしているものの、彼の本質はまだまだ子どもだ。年齢不相応の知識と肉体を持っているからそんな扱いをされることはあまりないし、陸人本人もその事実を知らないが故に子ども扱いされると不機嫌になるが、本来血生臭い仕事とは無縁の生き方をしているべき年齢だ。
だから、普段感情を押し殺して仕事に臨んでいる分、安全圏である自宅くらいでは抑圧されたそれを発散させてやりたい。そんな内情を本人に告げたら、暗にお前はまともな生まれ方をしていないと打ち明ける事になるから決して手の内を明かすことはないのだろうが。もっとも、今となっては本音と建て前はない交ぜになりつつある。からかわれた時の陸人の反応は要にとって間違いなく愉快なものだった。
「俺ちゃんにとっちゃ殆どの若人は少年みたいなものでな。気を悪くしたなら申し訳ねぇな、陸人少年。……で、何の用だっけ?」
「……いや、今日は例の仕事の打ち合わせがあるから14時までに戻って来いって言ったの要だろ?んで、余裕もって戻ってきたはいいけど……誰かさんは出かける準備してる様子もなかったから、呑気に舟漕いでるんじゃないかって見に来ただけ」
謝罪になっていないそれを悪びれもせずに豪快に笑いながら言う要に対し、呆れたように溜息を吐きながら陸人は部屋の時計を指さす。示されたそれを要が見やれば、たしかに時刻は13時半を過ぎているのが確認できた。たしか陸人がこれから買い物に出かけてくると言っていたのが11時頃だったから……優に2時間は思い出に耽っていたということになる。
「あー、ちょいとボーっとしてたらもうそんな時間か。歳を食うと時間が経つのが早く感じるもんだ」
先ほど点けたばかりの煙草の火を揉み消して、軽く伸びをしながら要は立ち上がる。記憶を呼び起こす作業は一時中断し、外出の準備に取り掛からねばならない。と言っても、これから向かう場所は着飾らなければならないような場所でもないので、いつものように適当な身繕いをするだけではあるのだが。
「……相変わらずマイペースだよな、要は」
「ま、それが俺ちゃんの良い所だしな」
皮肉であって全く褒めてないんだけどな、と呆れを通り越して諦めたような口調で陸人は言うと、10分後に玄関前に集合の旨を告げ、踵を返そうとする。
「……慣れだよ、慣れ。相手が異形じゃなくてヒトってだけだ」
いつも以上に当たりがきつい陸人の様子を見て心中を察し、要はなだめるように部屋を後にしようとする陸人の背に向けて声を掛ける。今回の仕事は異形が相手ではなく、変異者が相手だからやりにくいのだろう。
殺人や強盗などの重罪を犯した変異者は少なくとも日本国内では今日に至るまで存在しない。――いない、という事になっている。変異者に対する悪感情を爆発させないため、という名目のもと秘密裏に処罰――つまりは殺害し、記録上では失踪扱いとする。一部の限られた異形処理屋だけが行う、もう1つの仕事。そして、今回の打ち合わせをする仕事の内容がそれであった。
「理解と納得は別だよ。……八つ当たりなのは認める。……そこは、ごめん」
謝罪の言葉を残して、玄関前で待ってると言い残し陸人は部屋を後にする。彼の足音が聞こえなくなった頃、要は小さく溜息をこぼす。要もこれからの事を考えると気が重いと言えば気が重い。だがしかし、悩みの種は仕事の内容ではなく自分の相棒である陸人であった。
割り切れない感情があること自体に理解は示せても共感はできない。相手がヒトだから動揺するという経験は要自身は恐らくこの先来ないだろう。それほどまでに数はこなしてきたし、その数だけ鈍化してしまっている自覚もある。ゆえに、陸人はまだまだ大甘の子どもだ、とも思っている。
問題は、そんな陸人に刃傷沙汰が前提の仕事でしか生きる術を教えられなかった事への後悔と――大甘で子どもな彼の事を、自分よりよっぽど人間らしい人間だ、と好意的に見てしまっている事だ。
「やれやれ、困ったもんだ」
要は再び小さく溜息を吐いて、独り言ちる。言葉とは裏腹に、その表情はまるで我が子の失敗を見守る親かのようだった。




