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紫煙と回顧

 相も変わらず紫煙に満ちた部屋で、(かなめ)は独り酒を呷る。その行為によって酔いという脳の麻痺が得られない事は、彼自身がよく理解している。だがしかし、もう何年、ひょっとしたら何十年かは飲酒と言う行為を止めたことはない。そもそもにして、止めようと思ったこともない。最初は実際にほんの少しは酔いが回っていた。次第にそれは薄れていって、今では文字通り浴びるように飲んでも一切酔わなくなってしまった。現実から目を背けるための酩酊感は最早味わえない。それでも、飲酒しているという事実はふざけた事を口走るには都合の良い免罪符だ。

 酒を飲んで、煙草を吸って、たまに金の為に異形か変異者を殺す。そんないつか終わりが来る事を期待している退屈な日常に僅かな希望を持たせたのは陸人との邂逅だった。これで今日何本目だったのか最早覚えていない紙巻煙草に火を点ける。その煙を深く肺に入れ、そして吐き出しながら要は陸人との出会いの日の回顧に耽る。


「やぁ、初めまして。突然だけれど助けてもらってもいいかな?」


 なんのことはない、酒を買いに行った帰り道。ぼろ布を頭からすっぽりと被った人間とのすれ違いざまにそんな言葉を掛けられたのを要はよく覚えている。声の主は柔和な口調でこそあったが、こちらが首を縦に振るのを確信しているかのようなそんな口振りでもあった。異形処理屋としての仕事であれば幾らでも請けるつもりではあるが、どうにもその助けを乞う言葉に反して切羽詰まった感情は見えない。自分に欠片程の利益ももたらさない面倒事の匂いがするそれに目もくれず、要は家路へと足を進める。


「……うーん、まぁいいや、話を続けるね?もちろん、手放しで助けてもらおうって訳じゃないんだ、君にとっても悪い話にはならないと思う。……そうだなぁ、そう、取引ってやつだよ」


 こちらが無視を決め込んでいるというのに、ぼろ布の男はまるで意に介していないと言わんばかりに要の後をついて回る。すれ違いざまに横目で見た時、ぼろ布のせいで顔をうかがい知る事は出来なかったが、背丈はそれなりにある。目測ではあるが180cmにやや届かないぐらいだろう。声は決して低くはないが、女性のそれではない。推定男性の言葉遣いは、その身長から抱かせるイメージとは裏腹にやや子供じみたものだ。

 ぼろをまとった世捨て人然とした風貌の人間は、世界が変貌してしまってから約50年もの時を経た今では珍しい。人類滅亡の危機に瀕したあの混沌期や、その危機をなんとか乗り切って文化的な生活をこれから取り戻していこうという復興期ならばいざ知れずではあるが、今日日ホームレスでも他に選択肢があるならばぼろ布を身に着ける選択はしないだろう。それほどまでに人類は人間らしい生活を取り戻していた。

 後ろをついてくるその男は、ぼろ布以外に身に纏っていないという訳ではないが、それでもわざわざそれを身に着けるという事は余程の物好きか訳ありという事は推察できる。だが、佐伯要という人物は、だからと言って見ず知らずの胡散臭い奴の事情を酌んで優しい言葉を投げかけるような聖人ではないし、そうありたいとも思っていない。


「……まったく、初対面の人にも頼られちまう俺ちゃんってば有名人だな?だが、お生憎様なことだが正義のヒーロー業は無期限休業中でな。開店中だった一昨日にでも出直してくれ」


 だから、要がぼろ布の男の方に振り向いて言葉を返したのはあくまで思いやりの善意ではなく、鬱陶しい羽虫を払うぐらいの軽い気持ちだった。こちらが無防備に後姿を晒していても害を加えないのは相手に敵意がないか、もしくは敵意があったとしてこちらを仕留められる実力・自信がないかの二択だ。少々威圧的に振舞って大人しく帰ってくれればよし、逆上して襲ってこようものなら多少手荒な真似で排除する大義名分が得られる。法という物が機能していなかった混沌期と比べ、人類が文明的な生活を取り戻した今のご時世は建前が必要なのだから。


「やっとこっちを見てくれたね。このまま無視され続けられたらどうしようかと思っちゃったよ」


 しかし、要の予想とは裏腹にぼろ布の男は逃げ帰る事も、こちらに敵意を向ける事はしてこなかった。頭から被っていたぼろ布を外し、安堵の笑顔を要に向ける。一見すると無垢な幼児のような一点の曇りもない笑顔だが、瞳の奥底からは人生に疲れ切った老人のように諦観の念が見え隠れしているようにも見える。

 雲一つない晴天のような笑顔に、真っ当な生き方をしていたら決して出せない底の見えない井戸のような瞳。そのちぐはぐな表情を見て、長年死線に身を置いていた末に培われた勘が警鐘を鳴らす。この男は自身に欠片程の利益をもたらさないどころか、身の破滅の危機を招く存在だ、と。しかし、それは同時に要が待ち望んだ存在でもあった。


「このまま尾行(つけ)られてもうざったいだけだからな。話ぐらいは聞いてやろうじゃないかと思ってね。……ま、有り体に言えば気まぐれってやつだ」


 心中を探られれば鼻で笑われる程の白々しい発言である事は、要が一番自覚していた。先程の一切聞く耳を持たない態度とは打って変わって気まぐれで話を聞いてやろうだなんて、何か裏でもない限り起きない心変わりだ。現に頭の中の警鐘を鳴らさせ続ける目の前の男を見て、顔が綻んでいるのだから。


「じゃあ、その気まぐれに感謝しなきゃね。もちろん、助けてくれたらお礼はする。きっと気に入ってくれると思うよ」


 要の思惑に気付くことは無かったのか、或いは気付いた上で気にもしていないのか、男は笑顔のまま話を続ける。普通であれば間違いなく前者であるはずだが、目の前の男は底知れぬ何かを感じさせる。この男ならば或いは、と感じさせる何かが。


「へぇ、そいつは楽しみじゃああるが……先にお礼の内容を教えちゃくれないのか?期待を持たせといて開けたらがっかり、なんて事はよくある事だろ?」


 万が一、要の予想が外れていたとしたら肩透かしも良いところだ。助けを乞われている立場上、請ける請けないの選択権はこちらにある。

 この男ならば、自分の期待している答えが返ってくる。根拠はないが、そんな期待を持たせてくれる。


「そうだね、先の見えない道のりは苦痛だから。……僕()()を助けてくれたら、君の人生に終わりをあげられる」


「要するに、助けてくれたら俺を殺すってか?そいつは……」


「可能なんだよ。僕には……いや、正確に言えばこの体にはそれが出来るんだ。君のその終わりのない人生に終止符を打てる唯一の存在と言っても過言じゃないかもね」


 要が言葉を紡ぎ終えるより早く、男は自信をもって断言してくる。まるで続く言葉が可能かどうかを尋ねるのがわかりきっていたかのように。

 世間一般の常識では助けてくれた相手を殺すなんてものは間違いなく報酬になりえないし、その言葉自体好意的に受け止められるものではないだろう。


「……は、いいね。そりゃ最高だ、少なくとも俺ちゃんにとってはな」


 予想を大きく上回る提案に要の心は打ち震えていた。自然と笑いが零れる。暴力沙汰で解決することが前提の異形処理屋である以上、勘が鋭くなくてはやっていけない稼業ではあるが……今日と言う日ほど危険な香りを判別できるようになっていた自分に感謝した日はなかったかもしれない。

 しかも、男の口振りからするとこの自分が不死の体であることは知っているらしい。その上で、この目の前の男は佐伯要という人間の人生に終わりを迎えさせることが出来ると臆面もなく豪語するのだ。

 世界が変貌して約50年、佐伯要というただの人間が変異者となって……死にたくても死ねない体になってからは約48年。男の発言が例え嘘だったとしても、それが可能だと言うならば返す言葉はYES以外に持ち合わせていない。


「貴方と僕は似た者同士だからね、きっと求めている物も似てるんじゃないかと思ったから……的外れじゃなくてよかったよ」


「成程?訳ありだとは思っちゃいたが……立ち話には向かない長話になりそうだな?家に案内するからついてこい。……あー……そうだ、お前、名前は?」


「僕には名乗れるような人らしい名前はないんだ。それと、この体にも。だけど……そうだね、9(ナイン)とでも呼んでくれればいいよ、一番馴染みのある呼称だから」


 男が名乗ったのは人名と呼ぶにはおこがましい便宜的に付けられた呼称であるのは間違いなかった。だが、それ以外に名乗る名前がないというならば仕方がない。いかにも記号めいた呼称で人を呼ぶのは要の主義ではないが一先ずは短く了承の旨を告げる。

 ナインの言葉を借りるならば、後に陸人と呼称する個体との出会いは、そんな唐突なものだった。


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