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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヘルメスは嘲笑う

作者: キスナ

さぁパリス、審判の時だ。そのリンゴをどの女神に渡すのか。

権力のヘラか、勝利のアテネか、美女のヴィーナスか! お前が選んだ女が最も美しい女神なのだ!


まるで舞台役者のように仰々しく心の中で言い放った言葉に自分で薄く笑った。

誰が一番美しかろうとどうでもいい。どうせパリスは死ぬのだ。

そう思いながら真横で繰り広げられている修羅場に目を向ける。

おおよそ十五分ほど前からキーキーキーキーと騒がしい。

まるで動物園の猿山だ。飼育員かボス猿を連れてきてくれ。


ランチタイムを過ぎ去り、ちょうどアフタヌーン・ティーぐらいの時間だろうか。

そんな時間になったら少し気取って紅茶でも飲みたくなるものだろう。少なくとも、自分はそうである。

だから少し遠出をして美味しい紅茶があるカフェで本でも読みながらゆっくりとした時間を過ごそうとしていたのに、数分後にやってきた一組の男女によってその素敵な計画は破綻せざるをえなくなった。


カランと少し低い音のドアベルとともに耳に飛び込んできたのは、このカフェの空気を一気に壊すほどうるさい男と女の声。

場違いだろうその声の主が見覚えのある男から発せられているのを確認した自分の眉間には、恐らく駿河湾よりも深いシワが刻まれたはずだ。


あぁ、知っている。知っているとも。我が大学で有名な色狂いの親の七光りお坊ちゃん。

父親は大手企業の社長で、政界にも太いパイプを持つ地元じゃ有名な権力者。

その権力を振りかざして大学に裏口入学しただとか性犯罪をもみ消しただとか、とにかく悪い噂が絶えない有名人である。


そんな男の隣を歩くとはいったいどんな女性なのだろうと横目で確認すると、なるほど、美人だ。

だがそれ以上に特徴的なのはその蠱惑的な色気だろう。

程よく肉づいた胸と尻、引き締まったくびれはもちろんの事、ちらりと見える項や鎖骨は男としての本能をくらりとさせるほど魅力的に見える。

さらには紅茶のカップを持つ手の動きや髪の毛を耳にかける仕草、男の話を聞く時の目線、頷きかた、微笑みかた、一挙一動すべてにおいて、まるで計算されたかのような男に魅せるための女の動きだった。


現に女を見つめる男の眼はどろりとした欲をはらんでおり、控えめに言って気持ちが悪い。

今すぐホテルに連れ込んで致したいと言っているようなものだ。目は口ほどにものをいうというが、これほど分かりやすいのもどうなのか。


欲に忠実な男に呆れながらもさっさと紅茶を飲み終えて別のカフェへ行こうと決めた、その時だった。


「ちょっと! その女どこのどいつよ!」

「貴女! 私の彼氏になに色目使っているの!?」


突如、怒鳴り声とともに開かれたカフェの扉。

普段は来客を温かく歓迎してくれるドアベルが、まるで開戦を宣言する法螺貝のようにけたたましく鳴り響いた。


おそらく、このカフェにいた当事者であろう男女以外の全員が思った。「あぁ、修羅場なのか……」と。

 

そしてものの十五分で、見事に画面越しでしか見られないような正真正銘の修羅場ができあがったのである。


「なによこのブス! この人は私の彼氏よ!」

「何です、彼女たちは! 貴方にふさわしくないわ!」

「私が彼を独り占めしていたからって醜いわよ、アンタたち」


なるほど。女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、女性特有の甲高い声が三種類もあればそれは立派な生物兵器になりえるのだと痛感した。

頭が痛い。色んな意味で。


こんな状況をさも「俺ってばモテちゃって困るなぁ」と言いたげにニヤニヤ笑いながら見ている男は生粋の馬鹿なのだろう。

周りの目は氷漬けにして殺してやろうかと言わんばかりの冷ややかさだというのに、随分と太い毛が心臓に生えている様子である。


誰も止めることができない女性たちの壮絶な舌戦に誰もが遠い目をしていたが、とある一言でその場の空気はガラリと変わった。

「貴方は誰が一番なのよ!?」


その言葉は金色のリンゴだ。諍いと不和の女神であるエリスによって投げ入れられた、破滅の言葉。

誰もが知っている。この言葉はどう返したところでろくなことにならない。

そんな簡単なことに気づけないパリスは相変わらず気持ちの悪いにやけ顔を晒し、女性たちは金色のリンゴを手に入れたいがために誰が一番か決める権利を持つパリスに自分の売り込みを始める。


「私を選んでくれたら授業に出ていなくても卒業できるように手配します。それに、この前貴方のお父様がコンタクトをとりたがっていた政治家の方に話をつけてさしあげます」

「私を選んでくれたらパパに頼んであなたを邪魔するすべてを排除してあげるわ! 心配事ももみ消してあげる! 私を選べばあなたの将来は安泰よ!」


女性たちは自分の持ち得るすべての力を見せつけている。

その内容が不穏すぎて色々と問題がある気がするのは自分だけだろうか。男の噂に真実味が出て来た。


後から来た二人のアピールは終わった。

さて、それじゃあ最初に男と一緒にいたあの女性はどうするのかと様子を伺っていると、彼女は悠然と笑みを浮かべそのまま男の耳に口を近づけた。

ひそひそとされるその会話内容はこっちに聞こえないが、男の顔を見れば分かる。完全に色仕掛けだ。

この女性は自分ことが最大の武器なのだろう。そして悲しいかな、男というのは欲に忠実なのだ。


「悪いな、お前ら。俺、コイツに本気なんだわ!」


嗚呼! パリスはヴィーナスを選ばれた! もっとも美しい女神はヴィーナスだ! 黄金のリンゴはヴィーナスのものだ!


頭の中でファンファーレとともに高々とした声が審判の結果を叫んだ。

女としての勝利を収めた女性はニッコリと笑い、そのまま男を連れたってカフェを出て行った。

残されたのは羞恥と屈辱と憤怒でわなわなと震える女性が二人。

せめて後片付けしてからいなくなってほしかったと叶わぬ願いをしつつ、自分もまたカフェを後にしたのだった。




「なぁ、聞いたか?」

「何を?」

「アイツだよ、アイツ。あのお坊ちゃん。アイツ、殺されたらしい」


あのカフェでの修羅場から約半月後。

中学校から大学まで付き合いが続く腐れ縁の友人からの情報に、少しだけ驚いた。


「へぇ、それはまた、どうして」

「お前、カフェでアイツが修羅場ってんの見てたんだろ? その時ふった女二人が怒り狂って父親に話したんだと。その後すぐにアイツは事故って死亡。一応警察は事故死ってことにしてるけど、あれは確実に殺人を金か権力でもみ消したな。しかもそのタイミングでアイツとアイツの父親も週刊誌にすっぱ抜かれたぞ。アイツ、マジで強姦とか脅迫してたらしい。その証拠を週刊誌に送ったのはアイツが選んだ美人だぜ。父親の方も息子の犯罪をもみ消したり政治家に賄賂贈ってたりで大炎上。会社は倒産だろうよ」


こういった情報をいち早く掴んでくるコイツの情報網は一体全体どうなっているのだろうか。

ドヤ顔しているそいつの顔に苛立ちを覚えながらも、死んだという男のことを考えていた。


パリスはヴィーナスを選んだことでヘラとアテネの怒りをかって自分と自分の国を滅ぼした。

男も、自分の欲望のままに彼女を選び、自分と自分の父親を滅ぼした。

神話そのままの末路を迎えたあの男はもしかしたらパリスの生まれ変わりだったのだろうか。

ではそれを見ていた自分はパリスに金のリンゴを持っていくようゼウスに指示されたヘルメス?

なんにせよ、あの男も馬鹿なことをしたものだ。自業自得だったのだろう。


つらつらと思考を巡らせていると、引き攣った顔の友人が「おいおい」と思考を中断させた。


「お兄さん。お顔がすっごく悪い笑顔になってるぜ」

「はぁ?」


思わず手で顔を確認すると、たしかに自分は笑っているらしい。


「相変わらず、良い趣味をお持ちのようで。人の不幸は蜜の味ってやつか?」

「失礼だな。まるで僕が人の不幸を喜んでるみたいじゃないか」

「いやいやいや。お前、中学の時にお前のこと目の敵にしてた先生が階段から転げ落ちたの見て、それはもうとろけるような笑顔浮かべてたからね。その後も幾度となく誰かの不幸話を聞くたびにその笑顔浮かべてるぜ。俺、お前のその笑顔初めて見た時、お前のこと悪魔だと思ったもん」

「もんとか言うな、気持ち悪い」

「俺に対して辛辣すぎる!」


机に突っ伏して嘘泣きを始めた友人を無視しつつも、さて自分はそんなに人の不幸を笑っていただろうかと過去を振り返る。

どうにも記憶はないが、嫌でもずっと一緒にいる腐れ縁の友人がそういうなら、そうなのだろう。

別に他人の不幸が自分の幸せとまでは思っていないのだが。


だが、まぁ。


「調子にのってる馬鹿が痛い目見るのは、とても気分がいいけどな」


今度はちゃんと自分の意志で笑うと、友人は一瞬にして顔を青くさせ、か細い声で呟いた。


「やっぱりお前、悪魔だよ」


友人の言葉をかき消すように、チャイムの音が鳴り響いた。


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