93.このままゲームの中では別人で通すべきか
「行事の後にバイトやめるの?」
「そ。行事終わって、ま、三日くらい出てやるけど。もちろん給料もらってからやめる」
「行事って、バイト先の社員旅行とか?」
「いや。うちのバイト先、店閉めてそんな旅行なんか行ってらんないよ、ってとこだから。今度行く店もそうだけど」
「そうなんだ……」
エレナさんが一瞬だが口を歪めた後、頭を掻いて笑った。
「ま、行事で察してよ。――んで、その行事で、一度も話をしたことがない連中と一緒に行動することになったんだけど」
その言葉に呼吸が止まりそうになった。でも、彼女が先にうつむいたので、おそらく私の表情に出ていたであろう動揺を見られずに済んだ。
「うーん……。なんてったら、いんだろ」
迷うエレナさんがなかなか話さないので、待っている間、手の震えが止まらない。足まで震えて、正直者の椅子がガタガタいいそうだ。
「アイデンティティーっちゅうか、プライドっちゅうか、横文字は苦手でよくわかんないけど、それを貫き通すつもりだった。つまり、話したことない連中にはガン無視で」
「…………」
「ところが、困ったことに、前にうちが原因で困らせちゃった人とも一緒に行動することになっちゃってさぁ。貫き通せないんだよ、プライドが。……だって、その人、もっと困らせちゃうから。誰も行事の間、一言もしゃべらないと責任感じちゃうんだよ、その人」
「…………」
「急に親しく話すとか、態度が変わるとヘンだよね? 何こいつ、ってなるよね? だから――」
彼女が顔を上げた。
「今まで通りの自分を貫いて、でも、その人を困らせず悲しませない方法って、ないかな?」
ここまでの話で、もうはっきりした。エレナさんは、間違いなく英さんだが、彼女は私を「農園 恵」ではなくゲーム仲間の別人と思っている。それで打ち明けているのだ。
こうなると、慎重な行動が必要だ。
私のリアルがバレないことはもちろんだが、英さんの悩みを他の誰かに言ってしまうと、英さんのまだ勤めているバイト先にいる友達の二の舞になりかねないので、今ここの話は二人だけの秘密として絶対に口外してはならない。
でも、このままゲーム仲間の別人だと思われていて、最後の最後で私が「農園 恵」だとバレてしまったら、英さんはどう思うだろう。
怖くて、今は考えられない。
私はエレナさんを見ているようで、実際は二人の中間地点辺りに目の焦点を合わせてボーッとしていた。
「あっ、ゴメン。そんなこと言われても困るって話をしちゃったかな?」
「えっ?」
「顔に出ているよ。いやいや、うちがこんな話をするのがいけないんだから、メグ美さんは謝らなくていいよ」
「ボーッとしていたように見えていたらごめんなさい」
実際はそうなのだが、さすがに言えない。
「だからいいって。気の置けないっていうか、なんかこう、話しやすいっていうか、そういうメグ美さんに、うちが話したくて話しているんだし。そんなこと言われても困るって正直に言ってもらって、全然いいから」
エレナさん流の気遣いに涙が出そうになる。
この時、エレナさんがジッと私の反応を待っている気がした。『悪いね』という顔をしつつ、目だけは真剣に私を見ているからだ。
今度は、私の番だ。彼女が投げたボールをキャッチした私が返さなければいけない。
「人に接する難しさって、よくわかる。私も経験あるから」
「え? え? ホント? どういう経験? 教えて?」
彼女は目を輝かせて身を乗り出した。