123.悲劇は突然にやって来た
林間学校もいよいよ終わり、家に着くまでが林間学校だと訳のわからないことを言う先生に背中を向け、早く出発したがってエンジン音を上げてこちらに顔を向けるリムジンバスを目指す。
重い荷物をぶら下げ、あれやこれやと話しながらダラダラと歩くグループもいれば、話し相手がいなくてスタスタ歩くソロもいる。
目指すバスに乗り込むと、不思議と誰もが、行きに座っていた席を帰りも指定座席のごとく求めてそこに腰を下ろす。なので、最後に乗り込んだ私たち四人は、先頭と一番後ろに分かれた。もちろん、私が一番後ろ、英さんたち三人が先頭の方の座席に座った。
バスはゆっくりと発車し、高原ホテルに別れを告げる。
ここで私は、英さん、美さん、椎さんと仲良くなった。思い出の場所としていつまでも記憶に残るであろう。
山登りも、ちょっと怖い事件があったけれど、展望台の素晴らしい眺めはまだ目に焼き付いている。スマホに収まった私たちの写真も、懐かしい映像として永久保存だ。
写真をもう一度眺めたいが、周りの友達が話しかけてくるので、ポケットから取り出すことが出来ない。思い出に浸りたい気分だが、とても残念だ。
キャンプファイアは椎さんの歌に聴き惚れてしまったので、うっかり撮影を忘れていた。これは心残りだった。まだ歌声が耳に残っているが、これはそろそろ鮮明さを失いつつある。誰か気を利かせて録音してくれていればよかったが。
ガタガタと揺れるバスが坂を下りきるまで我慢をし、今度は右に見える黄金色の稲の波をもう一度堪能する。
それらに別れを告げて揺れの少ない高速道路に乗った頃から、急に眠気に誘われた。話し声も少しずつ減っていき、みなも眠りについていく。耳には、単調な走行音だけが聞こえていた。
そんな私たちに、悲劇が訪れた。
急ブレーキの悲鳴に似た音に続いて、もの凄い衝撃音とガラスの割れる音がしたかと思うと、私は体ごと前に投げ出され、前の座席に激突した。
車内はパニック状態になり、非常ドアを開けるように誰かが指示しているが、すぐには開かず、混乱に拍車がかかる。
泣き叫ぶ声に混じって「開いた!」という声がして、生徒たちが一箇所に殺到する。
激痛で朦朧となった私は、何度も気を失いかけながら、非常ドアから脱出する友達に前後を挟まれ、転げるようにアスファルトの上へ降りた。こういう状態では、助け合うなんて落ち着いた行動を取ることは不可能だ。
周囲は、見たこともない家々が建ち並ぶ。ここがどこだかは、全く見当が付かない。
歩道に野次馬が集まってくる。心配そうな顔に混じって、こんな非常事態に笑っている顔が見えるのは憎たらしい。こちらは、額かどこかわからないが、出血して手が朱に染まっているのに。
初めての交通事故が怖くて、バスが何に衝突したのか、その現場に目を向けられない。
貧血状態になった私は、バスに背を向けてしゃがみ込んだ辺りから意識がなくなった。