9話
「『宝』ってどういう意味だ?」
武装して殺気を放つ集団にいきなり取り囲まれたっていうのに、相変わらず彼は落ち着きすぎだった。
恐怖心が壊れているんだろうか。
ともあれ、彼があまりにも動じないからか、あるいは自分たちの言葉が通じた様子のせいか、集落の生き残りたちは『いきなり襲いかかる』という選択肢を放棄したようだった。
「侵略者のくせに、我らの言葉がわかるのか?」
たぶん説明がめんどくさかったんだろう。
彼は簡素に「そうだ」と答えた。
「であれば、ここまで『宝』を運んだ貴様の行動を評価し、素直に我らの『宝』を渡せば、生かして帰そう。『宝』には世界を揺るがす宿命がある。そして、我ら戦士を鍛え上げる糧でもある。手放せぬ我ら樹海の民の『宝』……村が滅びようとも、その者がいれば、我らは死なぬのだ!」
「渡すつもりはない。それより、お前たち、この子の能力を封じたり弱めたりする道具の存在を知らないか?」
「……なにを言っている?」
「この子がここまで大きくなったんなら、授乳とかをするために、『モンスターを寄せないようにする』仕掛けがあったとも推測できるんだ。だから、そういう……道具なり、素材なりを探して、俺はこの集落に戻ってきたんだ」
「……なんのために?」
「この子が、街で普通に暮らすから」
戦士たちは困惑していた。
まあ、この温度差で、ここまで相手の要求を完全に無視しつつ自分の事情だけまくしたてる相手には、私だって混乱すると思う。
それにしたって彼は動じなさすぎだ。
……そのお陰で、すっかり場が彼のペースなのだから、たいした話術とも言えるけれど。
「き、貴様らの『普通』など、知るか! ……貴様は正義の味方のつもりかもしれないが、やっていることは、我らの『宝』を奪っただけだ! この侵略者め!」
主導権を握られているのは、戦士たちも感じていることだったんだろう。
慌てたように叫ぶ戦士たちの言葉を聞き――
彼は、笑った。
「なにがおかしい!」
「いや、お前たちのことを笑ったんじゃない。……昔、父さんに言われたことを思いだしたんだ」
「……?」
「『ヒトは絶対的な正義の味方にはなれない』」
「……」
「正義と悪は、立場で変わる。善悪だって、風潮で変わる。秩序無秩序も、風土で変わる。『正義』なんていうものは、心のよりどころにするべき指標じゃない」
「では、貴様はなにによって、我らの『宝』を奪っておきながら、そんなに堂々としているのだ。貴様が傲慢で偏狭な価値観の中で、己の正義を信じているからではないのか!」
「俺が信じているのは、『日記』だ」
「……はあ?」
「今している行動を日記をつけるんだ。そして、日記を読んでる未来の自分を想像する。……未来の自分が笑っていれば、それは『いいこと』をしたってことなんだって、父さんは言っていた」
「……」
「言われた時は全然なに言われてるかわからなかったけど、最近、ようやく意味がわかりそうなんだ。……たぶん、未来の自分が読み返して、ずっとニコニコできるような日記を書けたら――その俺だけの日記は、他者に誇れる人生になる」
「……」
「俺はこの子に、俺の思う『普通の人生』を歩ませることを、後悔しない。だって、今自分がしている行動は、他者にも、自分にも誇れる人生の一ページだと確信しているから」
「……は、話にならない!」
戦士たちは気圧されていた。
まあ、気持ちはわかる。
だって、武器を突きつけられて、集団に取り囲まれて、それでも揺らがぬ『己』を持っているヒトなんて、恐ろしいに決まっている。
「お前は戻るだろう!? そんな、誰ともわからない侵略者なんかより、集落の家族のもとに戻りたいものだろう!?」
戦士は言葉を向ける先をユメへ変えた。
ユメは――
彼に名付けられるまで、名前さえなかった女の子は、震えていた。
顔を青ざめさせて、おびえていた。
それでも彼女は、一歩前に出て、告げる。
「あなたたちは、私の家族じゃありません」
「なんだと?」
「あなたたちのところで生きていくのは、寒くて、苦しかった。でも、このヒトと一緒にいると、暖かくて、楽しいんです。……生きていくのは楽しいんだって、このヒトが、教えてくれたんです」
「……」
「だから私は、このヒトのところで生きていきます」
「お前の力のせいで集落は滅んだんだぞ!? 家族たちに申し訳ないとは思わないのか!?」
「それは――」
ユメが言葉に詰まる。
でも、彼がすぐに言葉を引き継いだ。
「この子の力の発動には、『他人に触れられる』っていうきっかけが必要なはずだ。責任を問うなら、この子に触れた『誰か』であるべきだろう」
「……」
「お前たちはこの子に自由意思を認めなかっただろう? 道具のように扱って、モンスターを呼び寄せるための贄にしていただけなんだろう? 自由を認めないのに責任だけ問うのは、あまりにも都合がよすぎる」
「……貴様になにがわかる!」
「お前たちが戦士を名乗りながら、無傷で無事に生きているのがわかる。『宝』と呼んだこの子を取り戻そうとするどころか探すでもなく、モンスターがいなくなったのをいいことに、集落のあたりに潜んでいたのがわかる」
「……この、」
「……あ、ひょっとして、お前たちがモンスターを呼びすぎたんじゃないのか?」
「…………」
「やっぱりそうか。だから、お前たちはそんなに、恐がっているんだな。……責任の重さに震えていたんだな。――かわいそうに」
彼はきっと心から気遣って述べたんだろう。
でもそれは、戦士たちの理性を吹き飛ばす最高の煽り文句だった。
大柄な獣人の戦士たちが五人、手に手に武器を持ち、いっせいに彼に襲いかかる。
まあ、こんな状況でも彼が落ち着いているのは、彼の人生を長々見てれば不思議でもなんでもない。あいつ、普通に死にかけてもまったく動じない化け物みたいなメンタルの持ち主だからね。
しかし今回は、見てる私も、だいぶ余裕をもって見ていられる。
だって、すでに彼の能力を知っているから。
『伝説のパパ』。
ユメを助けた時、彼がどのようにしてモンスターに囲まれた状況を脱したか?
それはもちろん私が与えた『伝説のなにか』になる力によってだ。
では、『伝説のパパ』とはどんなスキルなのか?
『ユニークスキル。
至上の父親となる運命の持ち主。
このスキルを保持した者は、『子』と定めた相手を守る際に、日常、非日常にかかわらず、ふさわしき無双の力を発揮するであろう。
――父は子を守るものと、父に守られたあなたは知っている』
速くなりすぎた彼の動きを捕捉できなかった戦士たちの武器が空を切る。
『そこにいたのに突如消えた』としか思われぬ速度で動いた彼は、瞬時に二人の戦士をその拳だけで気絶させる。
戦士たちはしかし、ユメのスキルを使ってたっぷり己を鍛えている。
集落が滅びる時に命尽きるまで戦うたぐいの気概はなかったらしいが、人数的有利でプレッシャーが少ない状態であれば、その鍛え上げた肉体と、そこから繰り出される戦闘スキルは脅威に他ならないだろう。
戦闘スキルを発揮できればの話だが。
彼が三人目の戦士の手首をつかんだ時、獣人戦士の黒い瞳に喜悦の色が浮かんだ。
「バカが! 俺の格闘スキルをなめるな!」
戦士はつかまれた腕をふりほどかず、なにかを狙って重心移動を始める。
しかし、
「……あれ?」
唐突に動きが止まった。
それは『動きかたを忘れた』というような、不自然な停止だ。
なるほどスキルを無効化されたらああなるのか、と見ていて感心する。
『――また、『子』の数に応じ、様々な能力が追加発動していく。
現在発動中の能力
スキル無効化。
接触時、接触した相手のあらゆるスキルを無効化する。
――ぬくもりを、知らぬあの子に、ぬくもりを』
彼は停まった相手の顔面に拳をたたき込んだ。
首がもぎれたかと思うほどの衝撃が、ただ見ているだけの私にも伝わる。
でも、死んでない。
そういうスキルになっている。
『制約
スキル保持者の倫理観により、伝説のパパ発動中、保持者はヒトに分類される知的生命を殺害できない。
――だって、父親が人殺しをするところを想像できない』
いや、でもアレさあ。
死ぬほど痛いんじゃないかな?
後頭部からぶん殴られて地面に顔をうずめ、ビクビク震えるだけの戦士――死んでない。
同じく後ろからなぐられ、ギャグみたいに体を樹木にめりこまされた戦士――死んでない。
正面から殴られ、首がありえてはいけない角度にまがり、そのまま膝を折って痙攣する戦士――死んでない。
追加で。
恐くなったのだろう、槍を投げて、しかし投げた槍をつかまれ投げ返され、胴体に突き刺され地面に縫い付けられた戦士――死んでない。
いや、死んでるでしょアレ。
逆になんで生きてるんだよ。
最後に残った一人は、尻もちをついていた。
もう戦う意思はなさそうだ。
「わかった! わかった! 降参する! 殺さないでくれ!」
「俺は誰も殺してない」
「アレで生きてるわけないだろ!」
生き残った戦士に私も同意見なのだけれど、困ったことに死んでない。
見てて非常にいたましく、殺してあげてほしいぐらいなんだけれど、まあ、たぶん治療したら大丈夫なんじゃない?
この世界で『スキル』っていうのは、そのぐらい絶対的なものだ。
「……まあでも、降参するならいい。俺は別に、暴力が好きなわけじゃないんだ」
「え?」
「暴力なんかふるっても、日記に書きたいと思えないから」
「お、おう……」
「手伝ってくれ。この子の能力を完全に封じるか、抑制するか……そういうものを求めて、俺はここに来たんだ」
彼は尻もちをついた戦士に手を差し出した。
戦士はしばし、彼を見上げ、それから、視線をちらりと右に動かす。
そこには、石の穂先を樹の棒にくくりつけた槍が落ちている。
戦士は左手で彼の手を握り、その手を引っぱりながら――
「――死ねェ!」
右手で槍をつかむと、そのままの勢いで彼の胸をめがけて穂先を突き出した。
しかし、無駄。
槍の穂先は彼の胸にとどく前に、彼の空いていたほうの手によりつかまれている。
今の彼の素早さなら普通にできる芸当だ。
まして『槍術』スキルもない槍技なんか、予備動作さえバレバレだろうし。
「嘘はいけない」
パチーン。
平手打ちの音があたり一帯に響く。
強化された彼の腕力で、強化された彼の素早さで、強化された彼の手首を利かせて放たれたビンタは、戦士の首を右に一八〇度回転させた。
バタン、と倒れる戦士。
すべての敵の意識を奪った彼は振り返った。
視線の先にいるユメはガタガタ震えている。
それはなににおびえているのか――まあ、八割ぐらい、彼のやらかしたことにおびえてるんだろうけれど。
「あとでこいつらも治療してもらわないとな。探索が終わったらベースキャンプに報告しよう。……それに、住む場所を失ったんだ。ユメは複雑な気持ちかもしれないけど、俺は、あいつらだって、助けたいって思ってる」
「……え? し、死んでないんですか?」
「死んでない」
「でも、どう見たって……し、死んで……あのヒト、首が、あんなに……」
「ユメ」
彼はユメに近寄ると、彼女の細い両肩に手を置く。
そして、いつもみたいにぼんやりした表情で告げた。
「死んでいるように見えて、生きてる。……そういうこともあるんだ」
いや、普通ないよ。