5話
異世界転移者に求められるのは『転移させてくれた女神様を喜ばせるリアクション芸』なのだが、あいつはそれを全然理解していない。
かくして独唱が合唱になり、合唱が輪唱になり、しまいには陸路にいた音楽家なんかも巻きこんでオーケストラ生演奏と化しながら、彼とユメは開拓者ギルドにたどり着いた。
愉快な連中の集う愉快な街は、たぶん住民全員がその場のノリで生きている。
開拓者ギルドなんかは特にノリに人生を懸けたような連中が集まっていて、様々な人種が今日も陽気に騒ぎ、飲み、ナンパし、ケンカしていた。
空から見ると水色の輝く宝石のような美しい街は、屋内に目を向けるとそんなに綺麗なもんでもない。
いぶされたような光沢を放つ木材でできたギルド内部には、乱雑にテーブルが並び、そこらに酒瓶が落ち、タバコの煙でもうもうとしていて、ツバを飛ばしながら大声で猥談をするドワーフやエルフたちがいたりした。
教育に悪い光景が広がっている。
けれど、あいつがユメを守るように抱きしめながらギルド内を進んでいるのは、『教育に悪いから』が理由ではないんだろう。
ギルド内をあふれるヒトとヒトのあいだを『誰にも触らず』抜けることは難しい。
だからきっと、あいつはユメが他者に接触しないようにしているのだ。
まあ、かなりの無茶であるのは明らかだね。
こんなことになるのは、あいつだって目に見えていたはずだ。
リスク管理の面から言えば、私なら、こんな混雑した場所にユメを連れていくのは避けるんだが……
あいつにはどんな考えがあるのか、それともなにも考えていないのか。
ともあれ偶然か努力の成果か、彼はユメを誰にも接触させずギルド受け付けにたどり着く。
彼がそこでスキルシート引き替えに必要な書類を渡せば、受付嬢は、
「少々お待ちください」
と言って、背後にいた男性職員に一言「いらっしゃいました」とだけ告げる。
まるで、それで全部通じるかのようだ。……なんだろうね、イヤな予感がする。
「アガサ、スキルシートはここで受け渡しされないのか?」
さすがに彼もなにか感じ取ったのか、受付嬢に問いかけた。
茶髪でそばかすの浮かぶ、地味だがかわいらしい印象の受付嬢は、丸いメガネの奧で困ったような笑みを浮かべた。
「それがですね、『来たら呼べ』ってギルド支部長がおっしゃっていまして。でもあのヒト、日中はだいたい寝てるうえに、起こすと不機嫌になるでしょう? だから少々お待ちいただかないといけないんです」
「……なるほど」
「まったく、支部長はほんとうに困ったヒトですよ! そのお陰で職員の仕事は増えるし、わたしなんて、さっき! つい、さっきですよ!? 働き過ぎのせいか、幻聴が聞こえたみたいなんです……」
「それは大変だな」
「はい! いきなり女性の声で『ええっ!?』って聞こえて……まあ、ギルドはいつもこんな有様ですから、女性の叫び声なんか珍しくなかったんですけど……たまたまその時間、空いていて、女性開拓者の姿が見当たらず…………恐っ!」
……それ、ひょっとして、私の叫び声か?
このアガサって子、巫女の才能あるのかなあ?
「そういえば申し遅れてしまいましたけど、『樹海』エリアの開拓、お疲れ様でした」
アガサがぺこりとお辞儀をする。
彼は――相変わらず、なにを考えているのかわからないような、ぼんやりした顔をしていた。
「ありがとう。でも、まだまだ全然、全貌が見えてこない。『樹海』は広いエリアだし、完全開拓は十年ぐらいかかるかもしれない」
「その子を正式に養子にするのに必要な手続きが終わったら、また『樹海』に戻られるんですか?」
「どうだろう? 展開次第かも。それか、団長次第だ」
「じゃあ、しばらくこの街にとどまることができるかもしれませんね。なにせ、あなたの所属する水竜兵団の団長さんは、けっこう団員の私生活に気を遣ってくれるほうだって話じゃないですか」
「でもあんまり仕事がもらえないのも困る。稼がないと生きていけない」
「……強豪開拓者団の分隊長ともなれば、基本給とかが存在するんじゃないですか?」
「ないこともない。でも、水竜兵団はそんなに高い金はもらえないんだ。実力主義をうたってるから、基本給は安い。その代わり団から降りてくる『クラン・クエスト』はピンハネが少ない……らしい。他の団の事情はよく知らないから比較はできないけど、そう言ってるヤツがいた」
「強豪開拓者団にも、強豪開拓者団なりの苦労があるんですね。国から直々に新規エリアの開拓をまかされるぐらいだから、みなさん豪勢な暮らしをされているのかと……水竜兵団のかたは未所属用クエストを受けにギルドにいらっしゃることもありませんしね……なので受付嬢をしながら水竜兵団のかたの情報は全然わからないんですが」
「団に所属してわかったんだけど……ギルドで受けられる未所属用クエストは、団で受けるクラン・クエストに比べて、あんまり実入りがよくないんだ。だからみんな、暇になってもわざわざ来ないんだと思う」
「……まあ、水竜兵団ならそうかもしれません」
「他の団は違うのか?」
「あまり大きくない団のメンバーですと、『お小遣い稼ぎ』とかで未所属用クエストを受けるかたもいらっしゃいますよ。冒険者団の団員にも色々っていうことみたいです」
「まあ、そういうこともあるんだろう」
彼がうなずいたのとタイミングを同じくして、アガサの背後、受付カウンター内部から、声がかけられた。
アガサは振り返って声の主を確認し、うなずき、そして彼へ向き直る。
「ギルド長の準備ができたみたいです。二階へどうぞ」
「わかった」
彼は来た時と同じように、ユメを抱きしめるようにかばいながら、ギルド二階へと向かう。
「またね」
とアガサに言われて、照れたような笑顔を浮かべてお辞儀をするユメが妙に印象的だった。