21話
彼らがその日のうちに樹海の団長のもとへ発たなかったのには、どうしようもない理由がある。
樹海エリアへ向かう定期船がまだ動かないのだ。
『中型以上の船舶運行時は必ず一人乗船していること』と義務づけられている、王国医師団のメンバーが体調を崩してしまっているからだ。
銃使いのあいつに、川に落とされたせいで。
もちろん引き継ぎ要員ぐらい近場にいるのだけれど、『さっさと引き継ぎをさせて運航ダイヤを早く復活させよう』とならないのが水の都気質だった。
『せっかくだから休みにしよう。酒と食べ物をおともに、大事な人と話す時間があってもいいだろう』。
水の都の人々はお世辞にも仕事熱心とは言えず、娯楽や休暇を大事にするのだ。
「今日はマーケットで食材を買って帰ろう」
暮れかけた日の中でなお活気を失っていない場所があった。
陸地に広がるそこには様々な屋台があって、その軒先に照らされた魔導具ランプの白い明かりが連なり街の様子を照らしている。
光の中にはただ進むことさえ困難なほどの人混みがあって、怒声やおしゃべり、値切り交渉の声などが絶え間なく響き、活気となってその場を賑わせている。
水上にある船店には『完成品』が多いが、陸上に存在するマーケットには『材料』が多い。
食材はもちろん、衣類材料となる布や糸、武器の原材料である鉱物、魔導具作製のためのパーツから魔石まで、専門家も一般人もいっしょくたに客にした店が、用途ごとに区分けされて集まっていた。
彼らがおとずれたのはもちろん食材エリアで、そこには色とりどりの野菜が並んだ店舗やら、大きな動物がまるごと一頭逆さに干された肉屋などが存在した。
行き交う人は中年女性が多いだろうか。いわゆる『主婦/主夫』だけではなく、料理人も相当数いるはずだ。
この国の食事処はだいたいが『家庭料理が得意な人がそのまま家庭料理をふるまう』系の店なので、料理人がイコールで主婦あるいは主夫という可能性が低くない。
「ヒト、いっぱいいますね」
マーケット入口から少し離れた箇所で、ユメはつぶやいた。
「楽しそうだろ?」
同じ位置でユメの手を握り、買い物用の大きな麻袋を左肩にかけながら、彼は言った。
相変わらずその表情はなにを考えているのかわからなかったけれど、彼の今の言葉には、きっとユメへの気遣いがこもっていたのだろう。
「少し、恐いです」
「だから手をつないでる」
「……はい」
二人はいったん見つめ合ってから、人混みの中へ身を躍らせた。
開拓者ギルド内も混み合いようでは似たようなものだが、あそことは違って、マーケットはヒトが常に流れ続けている。
ユメはそういった場所に来るのが初めてだったからだろう、目を白黒させて人並みにもまれていた。
彼は、ユメの金色の頭を見下ろしてなにを思っているのか。
わからない。あいつのぼんやりした顔から感情がうかがえることは滅多にない。
だけどまあ、悪い気分ではないだろう。きっとね。
人並みの中から、時折、ユメが上を見上げる。
それは彼を見上げていたのだろうけれど、まるで息継ぎでもしているようにも見えた。
体の小さなユメには少しきついと、彼も思ったのだろう。
少し脇道に逸れて、彼はユメを肩車した。
「わ、わ」
突然やるものだから、ユメはやっぱりおどろいている。
彼は――少しだけ、笑っていた。
「高いだろう」
「は、はい」
「ヒトがゴミのようだろう」
「……え、えっと……」
「冗談だ」
笑っていたのはほんの一瞬なもので、ただいまの会話の最中、彼はずっと真顔だった。
真顔で冗談を言うな。
いつしか彼らの目的は、『買い物』から『散策』に変化していったようだった。
野菜を買う。肉を買う。目的は達成した様子だったのに、彼らは肩車をしたまま、まだまだマーケットを回る。
果物を見つけて、ユメが興味を示す。
彼はそれを買い与えた。
彼らの持った麻袋はいつしか食材でいっぱいになっていて、黄金に輝く大きな果実が、彼の肩から提げられた麻袋の口からこぼれ落ちそうになっている。
ぎっしりと中身の詰まった重いそれをずれるたび肩をすくめてしょい直せば、そのたび上に乗ったユメがくすぐったそうにする。
彼らは歩き続けた。
いつしか人混みを抜けて――
なぜだろう。
彼らの左右には無人の屋台が並んでいる。
「……」
あり得ない光景だった。
突如消えた人波。必ず誰かいるはずの屋台は商品もそのままに無人で、魔導ランプの白い明かりだけが寒々しく、日の暮れた世界を照らし続けている。
彼はユメを肩の上から降ろした。
肩にさげていた麻袋を地面に置くと――腰に差していた、剣を抜いた。
ユメの手は、握らない。
彼とユメの視線は、屋台で形作られた一本道の出口へ注がれている。
そこには、女がいた。
「これは持論なのだけれど」
黒髪の、幼い女の子だ。
上半身はタイト、しかしスカートはふんわりとふくらんだ、ゴテゴテとフリルやレースに飾られたゴスロリ風の衣装。
強くパーマがかけられているであろう髪はくるくるとロールしていて、服装の印象と相まって見ているだけで胸焼けを起こしそうなほど、装飾と華美が過ぎる。
おまけにハート型の眼帯を左目につけて、胸の前には、両腕でクマのぬいぐるみを――包帯を巻き、包丁が刺さったデザインの、ぬいぐるみを抱えている。
「交渉をするには、まず、対等な武力が必要なのだわ」
容姿に見合った、鼻にかかったような甘い声。
多少作為的だ――ようするに、わざと鼻にかけたような、いけ好かない声。
男受けよさそう、とは思う。
「お前、なにをした?」
もっとも、彼は相手がかぶっている『かわいらしい少女』という皮には興味を示していなかった。
ただ、脅威だけを感じているらしい。
突如現れたゴスロリ女から視線を逸らさぬまま、抜いた剣の切っ先を容赦なく向けている。
「ここにいたヒトたちを、どうした?」
「……ああ、心配しなくていいのだわ。あたしはステージを構築しただけ。『あいつ』と違って、あたしのステージに一般人は入ってくることができない。その程度の差異よ」
「……あいつ?」
「ハヤト。……あいつ名乗らなかったでしょう? 『銃使いの異世界転移者』と言えば通じるかしら?」
「……」
「あたしは『ジュリア』。……ええ、そうよ。これが本名だもの。お前の人種でジュリアはねーよとか言ったらぶっ殺すから」
「……別にいいと思うぞ、ジュリア」
「話がわかるヒトで助かるわ。それじゃあ、早速だけど――その子、ちょうだい?」
「やっぱりそれが目的か。断る」
「そしてやっぱりあなたは抵抗するのね。……抵抗っていうか、対抗かしら?」
「……俺は断ったぞ。お前は引き下がるか?」
「交渉をするには対等な武力が必要なのだわ」
「……だからなんだ」
「あなたは断った。あたしはその子がほしい。ここで交渉に入るのがいいか、それとも――無理矢理奪うのがいいか。少し試させてくださらない?」
「……つまり、戦うのか」
「ええ。でも戦いになるかしら。あたしの『ユニークスキル』は銃使い程度じゃすまないわよ」
ふわり、とジュリアが浮かび上がる。
その彼女の左右には、彼女が抱いているのと同じようなクマのぬいぐるみが、どこからともなく出現した。
「さて、展開しましょう。――あなたを弾幕ゲームにご招待するのだわ」
瞬間、おびただしい量の魔力弾が、視界いっぱいを埋め尽くした。




